私が私淑しているとある先生が、ブログは自分のための備忘録だとおっしゃっていた。全くその通りでブログを書くために過去記事を参照するたびに自分の言葉が他人の言葉のように感じられる。外化しているからか驚くほどに忘れているのだ。
学生の時に比べれば明らかに投稿頻度が落ちているが、ライフステージをともに歩んでいることがうかがえる。
初投稿は6年前、学部4年生の世界教師デーだ。
このブログは、主に教育についての持論や読んだ本の感想、それ以外には日々の記録を書く場として使っていきたい。
わずかでも読まれる可能性があればこそ、書くことを習慣化することが出来るだろう。
書くことは習慣になっていない。毎日投稿することはないにせよ、折に触れて学びを残すことはやっていきたい。何故ならこのブログでもたびたび宣言しているように単著刊行という野望があるからだ。上に挙げた10000アクセスを機に書いた記事で以下のようなことを書いている。
勿論古田先生は本を書くことを目的に実践していたわけではない。日頃の思索や授業実践の積み重ねが機会を得て書籍の形となり、国語教師の暗黙知の言語化という偉業を達成されたのだ。
教育実習を経て「このままではいけない!」と本を読むようになり、様々な本を読むにつれて単著を刊行するということの凄さに思い至るようになった。
今の自分にはまだ語れる言葉やものがない。それでも書くことや考えることを止めずに機を待てば、何かのきっかけで手に取った読者が何らかの思索や行動をする契機となる本を書くことができるのではないだろうか。形にすること、世に問うことの出来る国語教師を目指したい。単に足りない頭での独断を書き散らすだけではなく、優れた著作の言葉を豊富に引用して読者を名著へと誘う…そんな本を書くが出来ればと思うのである。
結構良いこと書くなぁ、自分。
なお、このような野望を抱いたきっかけは古田先生のこの本だ。
この夏読みなおそうと職場から持ち帰った。移動中の電車で3・4章を読んだ。その中でこの一節に出合い直した。
教師たちにもっと「知識人」化してもらうための養成や支援のあり方が必要である。(107頁)
この点に関しては
等の記事で少し触れている。私の考えではあるが、独自のものではなく古田先生や今まであってきた先生方に大きな影響を受けている。
また読書会やりたいなぁ。
東京、京都ときて広島開催も良いが、私の新たなホームタウン大阪にお招きして美味しいものを振舞いたい。
さて、単著刊行と同じくらい、もしくはそれ以上に語る野望に母校で教員をやることがある。実は今年その公募が出るかもしれなかったが、少なくとももう1年現在の勤務校で働く決断をしていた。
そろそろ公募が出るかなーと母校のサイトをのぞいたら、英語科専任教諭の公募は出ていた。出すとしたら同じタイミングだろうと思われるので、来年度に向けた国語科専任教諭の公募はないのかもしれない。
また、このブログでたびたび取り上げているのは、専業となったことでますます多くの作品を手掛け、ご結婚もされた書評家・文筆家の三宅香帆さんだ。
「三宅香帆」で過去記事検索すると大量に出てくる。
我ながら愛がすごい。重い。
ややガチ恋の気はあったが、今も応援の熱量は変わらず、この8月も以下のサイン会と対談に参加する。
〈トークイベント〉三宅香帆×谷川嘉浩の文章術 | 京都市立芸術大学 (kcua.ac.jp)
三宅さんが京都に越したという情報が出た時は、
「え?これ私が大阪に行くの運命では!?」
と思ったものだ。関西でガンガンイベントやってほしい。供給、お願いします。
上記を踏まえて、
単著刊行
母校で教員やる
三宅さんと何らかの形で一緒に仕事する
を今後の目標として掲げたい。
達成のためにこれまで以上に本を読み、ブログを書かねばならぬことはまぁ明白だ。