虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

国立大学教育学部は教員工場ではない。

国立大学教育学部出身者としてこれだけは言っておきたい。

 

表題の通り、

国立大学教育学部は教員工場ではない

と。大学時代から一貫した思想である。

きっかけのツイート群

 私の代が特殊なだけかもしれないが、38人いた同期の中で教員になったと私が把握している(今は辞めている可能性もあるが)のは自分を含めて19人。約半数である。それ以外の進路としては公務員、企業勤務、そして牧師と僧侶を輩出している。

同じ代の親友は教育実習ののちに子どもは好きだけれど、この「好き」は教員としての「好き」ではないと語り、紆余曲折の末に裁判所事務官の道を選んだ。

 一概には言えないが、国立大学教育学部に合格する能力を持つ人々は進路を主体的に選択することができ、かつ希望する進路を実現するだけの能力を学部時代に培うことができる。

 つまり、国立大学教育学部を卒業して教員にならないというのは、教員という道からの逃亡などではなく、高い能力と主体性の産物である。

 であるならば、今、日本および文部科学省地方自治体や私立学校がすべきことは、教員採用試験の前倒しによる囲い込みなどではなく、優秀な国立大学教育学部出身者が教員という道を選択したくなるような環境づくりであることは明白だ。

 

hama1046.hatenablog.com

 

4年前にも上記のような戯言を吐いている。

 教員のなり手がいないから門戸を広げて…という考え方についても、教員の多様性という観点からは賛成だが、国立大学教育学部教職大学院といったいわゆる即効性の対処を期待する流れについては慎重になってほしいものだ。