虎哲先生の探究

単なる大学院生の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

結構面白い?過去の学習指導要領解説を読む

今日はここにおりました。

textbook-rc.or.jp

論文の〆切が10月末に迫りいよいよ追い込まれてきた…。

 今回の目的は学習指導要領解説国語編の概観。戦後刊行された全ての高校国語科教科書を見るのは不可能なので、対象を絞りましたーという際の根拠が欲しい。

 

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

 

 を読んで「現代国語」と古典科目との二分化された頃に、経験主義から系統主義へ移行したという記述があったように記憶しており、そこを学習指導要領及びその解説の記述からうまいこと説明したいなと。

いきなり横道に逸れるマン。

 これで論文を量産してやるぜ。

「現代国語」と「現代の国語」

 古典は原則江戸時代までのものを指すや古文入門期の教材として明治文語文を扱ってもよいといった記述に出合えたり、人間・自然・社会といった文言がいつごろから学習指導要領に登場したのかが分かったりと収穫が多かった。

関心の所在でさらなる発見があるかも。皆様も是非。

色褪せぬ名著―井上尚美 『思考力育成の方略―メタ認知・自己学習・言語論理―』雑感

 

思考力育成への方略―メタ認知・自己学習・言語論理 (21世紀型授業づくり)

思考力育成への方略―メタ認知・自己学習・言語論理 (21世紀型授業づくり)

 

 の前のバージョンである

 

 をいま読んでいる。

 

  方法が違えど、私が研究したいことと近いことを研究なさっており、ご著書や直接の修論相談で大いに示唆を与えて下さった青国研の大先輩でもある酒井雅子先生も著書の「あとがき」において井上尚美先生の功績の大きさについて述べている。

 学部生のうちに読んでおくべきであったと思いつつ、結構共感する考え方があるので紹介していきたい。

 

デューイの探究教育哲学―相互成長をめざす人間形成論再考

デューイの探究教育哲学―相互成長をめざす人間形成論再考

 

 を読んでいてデューイの論理学にイマイチ共感できない、私の研究に組み込めないなぁ…と考えていた理由が分かった。

 私の修論のスタンスは教科横断的探究のために国語で探究というよりも国語科の核となる部分の追求が国語科独自の探究のあり方や教科構造の再発見につながるというところにあるので(書いてないので何とも言えないが)井上のいう「国語科の特色」をより深堀りしていく必要がある。

 学部3年時の教育実習で初めて知ったトゥールミン・モデルや直近に授業が迫っているディベートについての言及があり興味深く、先に述べたような「学部生のうちに読んでおくべきであった…」との思いが募る。

 

こちらも買いっぱなしなのでそろそろ読まないと…。 

日本語学 2019年 09 月号 [雑誌]

日本語学 2019年 09 月号 [雑誌]

 

 

国語教育研究者の仕事

認知心理学者に限らず、研究者はもっと国語教育に貢献すべきということを難波先生は主張しておられるが教師の側が歩み寄ることも必要だろう。コラボできる教員になりたいものだ。大学附属はこうしたことがやりやすいところ(なはず…)

メタ言語能力を育てる文法授業?英語科と国語科の連携

メタ言語能力を育てる文法授業?英語科と国語科の連携

 

 読書メーターの拙感想

タイトルの思考力育成をスルーしがち。増補新版も読みたい!

#いいねの数だけ積読本紹介する まとめ&所属研究会おススメ新刊

#いいねの数だけ積読本紹介する まとめ

 

教育のワールドクラス――21世紀の学校システムをつくる

教育のワールドクラス――21世紀の学校システムをつくる

 

 

 

創造の狂気 ウォルト・ディズニー

創造の狂気 ウォルト・ディズニー

 

 

 

人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける (光文社新書)

「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける (光文社新書)

 

 

 

読書教育の未来

読書教育の未来

 

 

 

美女と野獣[オリジナル版]

美女と野獣[オリジナル版]

 

 

 

〈今・ここ〉に効く源氏物語のつぶやき

〈今・ここ〉に効く源氏物語のつぶやき

 

 

 

高校生のための批評入門 (ちくま学芸文庫)

高校生のための批評入門 (ちくま学芸文庫)

 

 

皆さんも使って積読本シェアしましょー。

 

所属研究会おススメ新刊

 

あまんきみこハンドブック

あまんきみこハンドブック

 

 

 

 

三省堂「現代の国語1」所収「玄関扉」教材化の覚書

 明日から授業が始まります。

2学期は「玄関扉」から。

  受験生時代は学校・塾共に先生が優れていたためキーワード集を買わずに文章から頻出テーマの知識を学んでいた。

イラスト図解でよくわかる!現代文読解のテーマとキーワード

イラスト図解でよくわかる!現代文読解のテーマとキーワード

 

イラストと平易な文章、しっかりした内容でお勧め。優秀な生徒とはいえ中1で理解できるか? というところに不安はあるが、補助解説をしつつ利用しようかなと。

→配布資料をちゃんと読んでそうだったのは控えめに言って生徒の1割くらい。レベルの高い方のクラスで、一人の生徒がニコニコしながら「レベルたけぇ…」と言ってくれたのは嬉しかった。興味の持てない生徒を置き去りにしてしまった感はあった。

 

 

 読書メーター感想を参照して

→「読み分けワーク」は事実・理由付け・意見を推理などの例を出しながら割と丁寧に説明したもののその定義を自分のものとするのに苦慮している生徒が多かった。話を聞くと分かるが線を引いて読み分けるとなると難しい…といった具合である。個人作業の後は全体共有を行った。読み分け結果とそう考えた理由を共有することで後のディベートで聞き分ける際に有効かなと考えたためである。自信のありそうな生徒やうるさい生徒しか当てられなかったのが残念で机間指導の際に良い生徒の例を拾い上げておくとなおよかった。(線を引けない生徒の対応に終始していたため)また「書きかえ」を要約に変更してみた。これについては熱心に取り組んだ生徒が多かったように思う。読みの理解度や誤読といったところを要約を読むことで把握できたのは大きな発見であった。

 当然ながら就活・修論があっても授業は犠牲にできない。余力があればリフレクションも。(→以降がリフレクション)

今後の読書のために②―助川幸逸郎先生の著作をご紹介

  下の記事が大好評(大嘘)につき、第二弾。

hama1046.hatenablog.com

  初の単著はこちら。

文学理論の冒険―“いま・ここ”への脱出 (東海大学文学部叢書)

文学理論の冒険―“いま・ここ”への脱出 (東海大学文学部叢書)

 

 アマゾンレビューが秀逸で侮れない。「役に立った」をクリックして謝意を表するとともに以下に引用する。なお、太字は稿者による。

 

アジアの息吹さん(☆5)

もともとは源氏物語を専門にする、気鋭の文学研究者初の単著である。
しかしながら源氏物語を分析しているのは(しかもジャック・ラカンを用いて!)
全八章中、冒頭の一章に過ぎない。
そしてその後第六章までは『デスノート』や『ノルウェイの森』に始まり、
精神分析腐女子にまで言及、近現代文学にとどまらず、
アニメ・マンガ・映画までその視野に入れた幅広い議論が
読み易い文体と共に展開していく。
しかし本書を読んでまず感じる「軽さ」を、文字通り軽視してはならない。
本書を通じて通奏低音の様に流れるのは、著者の人間に対する深い興味と関心と、
変わり続けること(=成長?)への絶対的な信頼である。
文字やその他メディアからも、背後にいる人間の息遣いを感じることは出来るし
彼らが変わっていこうとする意思を、時を越え愛しむことも出来る。
そしてそのことを自らの体験に重ね合わせ、軽い文体で随筆風に著述する
第七章・第八章は、愁眉である。

 
Θさん(ベスト500レビュアー/☆3)
文学理論の入門書だが、決してガチガチの構成ではなく、『デスノート』や『蹴りたい背中』などの最近の作品を豊富に取り扱っており、諸学者にも読みやすい構成になっている。
なので、本書はとてもわかりやすい入門書となるであろう。
ではなぜ評価が低めかというと、筆者の「書き方」ではなくてむしろ本書で紹介されている「文学理論」それ自体についての評価による。
本書の多くで用いられているのはポストモダン的な文学理論で、作品の内容を「性的欲求」「性的シンボル(ペニスなど)」「去勢」などといった「すべては性的なもので説明できる」といった精神分析チックな枠組に押しこんで解釈する方法をとっている。
こうした解釈が「作品の内容をより豊かにするか」と言われると甚だ疑問であり、ラカンなどの世界観を信奉する人が、自らの世界観に合致するように作品を強引につなぎ合わせ、自らの世界観の整合性を再確認し安心する以上の有意義さははっきり言って見出せなかった。
上記以外の方法にしても、あらかじめ枠組を用意しておいて、その枠組みに作品を押しこんで解釈するというタイプの方法が多く、「そのような解釈をとることでどういう意味があるのか(読みが豊かになるのか)」という問いに答えられないように思えた。
なので、本書で面白いと思えたのは、最初から「多くの作品は以下のどれかに分類できます」と正面切って宣言して、その類型化を行うような部分であった。
例えばフライの批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)から引いている、主人公の強さを基準にした「神話/ロマンス/高次模倣様式/低次模倣様式/アイロニー」の類型化は興味深かった。
これらはあくまでも多くの作品が備える「特徴」を集めてきたもので、さまざまな作品に当てはめることでその妥当性を検証してみることもできる。
また王朝物語必携による話型に分けた分析も同様に興味深いと思った。
個人的には、後者のようなものをもっと中心にした入門書であってほしかった。            

 

神谷和宏さん(☆5)

簡単に言えば、読み物としてもおもしろかったという感じ。
 若い筆者らしく、文学理論や(表題になっているのだから当たり前だが)文学と隣接する他の学問の理論(精神医学等)を援用しながら、『蹴りたい背中』『デスノート』等々の新しい題材を切ったり、今度は比較的古い三島文学を最近の事象である「腐女子」と絡めて切ったりと、興味は尽きない。
 文体が平易でしかもエッセイ調のところもあるので読み進めるのは楽なんだけど、要素が濃いので、読み返さないと咀嚼できない部分も多い。
 また、ともすればこの手の本の中では一見「軽い」のだが、テクストを丁寧に追う姿勢はいかにも大学の演習的だし、柳田国男の理論を軸に読み解くなど、王道を逸していない。
 最後尾は演劇論。
 『源氏物語』から始まり、民俗学、昨今の文学(マンガ含む)を扱うパースペクティブの広さが秀逸。

 

 扱う作品の幅広さや分析の切り口に対する高評価が伺える。3人中2人が随筆・エッセイと文体を評しているのも面白い。

 

つたえるエッセイ―心にとどく文章の書き方

つたえるエッセイ―心にとどく文章の書き方

 

 こんな本を出されているのも頷ける。エッセイストに憧れがあるので是非勉強したい。

 

 専門とされる源氏物語について『新時代への源氏学シリーズ』の編著も担当されている。以下は

新時代への源氏学 | 竹林舎

 を参考にお名前があるものをピックアップした。

 

架橋する〈文学〉理論(新時代への源氏学 9)

架橋する〈文学〉理論(新時代への源氏学 9)

 
新時代への源氏学 6 虚構と歴史のはざまで

新時代への源氏学 6 虚構と歴史のはざまで

 
新時代への源氏学 5 構築される社会・ゆらぐ言葉

新時代への源氏学 5 構築される社会・ゆらぐ言葉

 
新時代への源氏学 2 関係性の政治学 1

新時代への源氏学 2 関係性の政治学 1

 

 

 

 こんな本も!

光源氏になってはいけない

光源氏になってはいけない

 

 

dot.asahi.com

こちらでの連載をまとめたのが

 

「問いから始まる探究的な文」は特に『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』で思った。

などと呟いていたらフォローして頂き

『本田翼はなぜいつも旬なのか』をいつか書きたい。笑

 

謎の村上春樹  読まなくても気になる国民的作家のつくられ方

謎の村上春樹 読まなくても気になる国民的作家のつくられ方

 

 

村上春樹は、私にとって長らく、

「好きとはいえないが、新刊が出たらかならず読んでしまう不思議な作家」

でした。

 

という書き出しは多くの人の共感を得て、「結末までつれていかれる」ことうけあいであろう。ちなみに私は恥ずかしながら『風の歌を聞け』と大学院の演習で読んだ教科書に載っている(た)短編全てしか読んでいない。彼の短編では一番異色と言われる「沈黙」が一番好き。

 上の三作品は読書メーターで数ページ立ち読み出来ます。おすすめ。

 

  長らく読みたい本リストに名を連ねている

〈国語教育〉とテクスト論

〈国語教育〉とテクスト論

 

 の編者を担当していた。

 

テクスト論を中心とする、70〜80年代に受容された欧米文学理論はもはや過去のものにすぎないのか? そして文学教育は、「実用性」を欠いた無用の長物なのか? このような問題意識の下、内外の文学研究と国語教育の歴史を振り返り、〈いま〉という時代に必要な新しい文学教育の理論を提言する。文学教育の場が、「教師が一方的に意見を押しつける場」とも「生徒が言いたい放題意見を言う場」とも違う、「他者との関係を学ぶ場」となることを目指す。 

 

という本の内容紹介がとても良い…。(太字は稿者、国語教育史学会会員の端くれとして特に惹かれる部分)

  以下についてはシンポジウムや対談等協働によって生み出されたと思われる著作。日本読書学会大会で『読書教育の未来』の刊行について伺ったときも思ったが、ひつじ書房さんもアツい本を出す出版社だよなぁ。

可能性としてのリテラシー教育 21世紀の〈国語〉の授業にむけて

可能性としてのリテラシー教育 21世紀の〈国語〉の授業にむけて

 
『君の名は。』の交響?附録『シン・ゴジラ』対論

『君の名は。』の交響?附録『シン・ゴジラ』対論

 
“人間”の系譜学―近代的人間像の現在と未来

“人間”の系譜学―近代的人間像の現在と未来

 
21世紀における語ることの倫理 〈管理人〉のいない場所で

21世紀における語ることの倫理 〈管理人〉のいない場所で

 
グローバリゼーション再審―新しい公共性の獲得に向けて

グローバリゼーション再審―新しい公共性の獲得に向けて

 

  助川先生はとんでもなく人たらしなのではないか?という仮説。

 

 最新作

平成の文学とはなんだったのか

平成の文学とはなんだったのか

 

 の出版を記念したイベントが池袋ジュンク堂で開催される。

honto.jp

ご興味がある方一緒に参りましょう!

 

実況ツイートまとめただけ!日本国際バカロレア教育学会大会感想

前日に思い立ちふらりと行ってみることに。

http://jaiber.org/wp-content/uploads/2019/08/20190808-日本国際バカロレア教育学会第4回大会プログラム・Japan-Association-for-Research-into-IB-Education-The-4th-JARIBE-Conference.pdf

 

午前の部

 

充実のお昼休み

 

午後の部

→井上先生今日も一方的にお見かけしたもののなかなか取り巻きの方が絶えずにご挨拶できず無念。

またお会いできるので。

 

 

 

 リチャード・ポールの名は酒井雅子先生のご著書でもかなり見かけたので期待大。

The Art of Asking Essential Questions: Based on Critical Thinking Concepts and Socratic Principles (Thinker's Guide Library) (English Edition)

The Art of Asking Essential Questions: Based on Critical Thinking Concepts and Socratic Principles (Thinker's Guide Library) (English Edition)

 

  なぜか5時に起きてしまったため眠かったこともあり懇親会は不参加。IBのカリキュラムは世界のカリキュラムの良いとこどりしたものだそうなので共時的な比較教育及び自身の指導の引き出しを増やすためにも今後もゆるゆると学んでいきたい。

第2回読書会@京都の感想まとめ(随時更新)

 

国語の授業の作り方: はじめての授業マニュアル

国語の授業の作り方: はじめての授業マニュアル

 

 去る8月13日、こちらの本で読書会をした。

monkokugo.blog.fc2.com

古田先生が端的に読書会についてまとめてくださいました。今日までにメールで頂いた参加者感想と合わせてご覧ください。

 

まずは私の拙き感想(参加者メール用)、隗より始めよ。

 

「マニュアル」とタイトルにあるものの、安易な方法知に流れず問いを投げかけるようなこの本で思い思いに問いを発し、考え合う読書会は私にとって非常に有意義な学びの場となりました。

主催者ということもあり2回とも参加しましたが、優れた作品はこれまでの作品の流れを踏まえて違った意義づけがなされるものなのではないかという古田先生の考えが聞けたことや、実践に関わる諸問題を取り上げて検討する時間が多かったことなど前回とはまた違った角度から学ぶことが出来たように思います。(前回も勿論実践に関わる諸問題が話題に上がりましたが、古田先生の思想や本がどのように出来たのかといったヒストリーについても盛んに話し合われていた印象です。)

この読書会で得た問いは「私はどのよう教員なのか」です。他の優れた先生方の授業を見て相対化していく中でこの問いを数年間考えていきたいです。

 

 

三井田秀太先生の感想

 

 「他者と向き合い、よりよき社会を作るため」の国語の授業の具体的な形について、古田先生は「これだ!」というものではなく、考えるヒントとしてバフチンなどの言葉を挙げられており、自分自身でまたそれらの文献を読み、考えていきたいと感じた。また、話し合いの中で、古田先生が「(塾や予備校とは違って)学校だからこそポリフォニー的な空間を作れるのでは?」とおっしゃっていて、そのことも授業作りに生かしていきたい。

 そして、それらのことは国語科の目標(あるいは目的)を考える上でも重要なことだと思う。自分の中では目標が授業作りの原点だと考えていて、それについては話し合いの中で少し見えたものもあった。「目標を目の前の生徒の実態から考える」「目標を授業者(指導要領)から考える」「生徒がやってよかったと思えることを目標として設定してさせる」「メタ認知の力をつけさせる」などを授業作りに生かしてみたい。

 

比較的若手の多い場で率直に目標についてを問うている三井田先生の言葉から強さを感じた。教育実習で私を指導して下さった先生が附属に赴任した当初は迷いなどなかったが、今は迷っているということを最終日に話してくださったことが非常に印象に残っている。経験値や知識が増えるからこそ迷いがあると私は思っている。その迷いを素直に披歴できるのは強さだと思う。

 

参加者の感想

 

ミハイル・バフチンアーレントについては第一回でも話題になっていたようです。今回も導入としてバフチンの思想の話になりました。印象的だったのは、教室というのはそもそもポリフォニックだ、という件です。この「そもそも」が大事です。現実には、授業規律や評価、目標や進度、要するに授業者の意向があります。しかし、それら授業者の意向のために、この「そもそも」はどれだけ抑圧されるのか。あるいは、抑圧してしまっているのか。また、どのように、どの程度で折り合いを付けるべきか。対話的であること、他者の前で「who」として立ち現れること、そうしたことを望むのであれば無下にはできない問題であることは明らかだと思います。授業者の権力性を自覚し、よりよい呼びかけを目指した授業づくりをしていきたいですね。

以下は余談です。

 「単に生き残ることは、生きること、生を享受すること、あるいは有意義と呼ばれるような生を送ったりすることとおなじではありませんでした」「若者として、私は情熱的に本を読みました。まるでそれに人生がかかっているかのように読んだのです。情熱に動かされて、私は読みました。情熱をもって、私は読みました。しかし、私は情熱についても読んでいました。最終的に人間の本性、ないしは人間の生についてなにかを理解し、それによって私自身の苦悩が自分に特有の個人的なものである度合いが下がり、人間たちがいたるところでもっている、より広範な苦悩と希望に自分を結びつけられるのではないかという可能性に賭けていたのです」(ジュディス・バトラー「この生、この理論」『現代思想2019,3月臨時増刊号)とあるのが、古田先生や竹村先生(あるいは益田勝実でしょうか)の考える「よい」文学とは何かという問いへの答えとも結びつくだろうと思いながら話を聞いていました。問わず語りではありますが、バフチンアーレントに加え、自分のバックボーンとなる思想について話したくなったのでかきました。

 →「そもそも」を私たちはどれだけ理解できているのだろうか。読書会のキモを的確に感想にまとめ上げられる先生の力量に感服。実をいうと「この先生に参加してほしい」が読書会を京都開催にした理由の大部分であり、本当に来ていただいてよかったなと。バックボーンとなる思想についても語って下さったので私だけのものとせずシェアさせて頂きます。

 

 

 

 参加者の感想

 

読書会に参加させていただき、受けもつ生徒に合わせた授業を作っていくのは自分自身であることを、当たり前のことながら痛感しました。

また、参加者の様々な声をもとにして読書会が進んでいく、今回のような形こそがポリフォニックな空間と言うのだろうかと、浅学寡聞ながらそう思ったりもし、参加者が空間を作り出すことの重要性も同時に学ぶことができました。

本や他の先生方から様々な知識や情報を得ることは、気持ちさえあれば誰だってできることであって、活用し行動していかなければ何にもならないとも思います。できることや現時点で良いと思うことを、地道に実践していこうとあらためて感じた読書会でした。

 

→初任のお忙しい合間を縫って来て下さったことが何よりうれしかった。古田先生から発せられた1年目はそんな余裕なかったという言葉、非常に励まされたなあ。

 

現在大学4年で来年度から院生となるたんぬさんの感想

 

・虎哲さんの振り返りにも「優れた作品」の話題についてありましたが、私も「作品の評価・優れた作品が教員個人によって違うのではないか、という指摘は非常に考えさせられました。「公共的な読み」という話もでてきましたが、生徒が教材によって何かを学ぶという目的がある国語科では、やはり「教員個人の読書にとっての作品」と「授業で取り扱うべき教材」の価値判断は意識して分けなければならないのではないかと思いました。また、その「授業で取り扱うべき教材」にどのような公共的な価値があるのか、ということを定義する難しさ、そこから生徒がどんな学びをできたのかを評価する方法についても、今後考えていきたいと思いました。

・「ポリフォニー的空間」について、それらを教室で作り上げることが目標ではなく、「ポリフォニー的空間」は既に社会や教室の中にあるが、教員の権威などによって塞がれているため、それを開放できるような教室空間・環境づくりをするというお話が非常に勉強になりました。生徒同士の自由な話し合い空間の中の鋭い対立を中心にしていくことを、今後授業づくりの観点の中に盛り込めたらと思います。

・「受験のない高校現場、進学校など、あらゆる現場を貫く軸」についての古田先生のお話を聞き、やはり国語科の教員は、生徒の表面的な技能としての読解力や論理的思考力?を向上させるための手立てに加え、「国語科で生徒は何を考えられるようになるのか」という目標・意義として、何らかの「軸」を持っていなければならないのではないかと改めて思いました。その軸は、あらゆる手立てを考え、目の前の生徒に合った方法を選ぶことで、貫き通すことが可能なのではないか、と思います。私は現場経験がないからこのような甘いことが言えるのかもしれませんが…。

・文学・言語研究の方たちの研究成果を、中等教育の現場に活かすための接続を、修士・博士の人間ができるのではないか、と仰っていたことに関しても、それこそ今学んでいる私達の責務だなあと思います。今回の読書会での学びを活かし、研究頑張りたいです。京都までお越しくださって、本当にありがとうございました。

 

→最年少ながら臆せず議論に入っていく姿に「後生恐るべし」(24歳でこの言葉を言うことになるとは…)と感心させられました。

 

締めははこせんせーの感想。細やかな気遣いが嬉しかったのでメールの文面ママ載せております。

 

先日は読書会の主催をしてくださり、ありがとうございました。

学びの多い会になりました。

簡単ではありますが、いくつか感想や気づいた点をまとめました。

 

・授業の暗黙知言語化することの重要性の再確認。声掛け1つとっても、意図や目的、効果を考えて行う必要がある(指名後の「ありがとう」など)。

・文学の授業の作り方。文学理論の応用。もっと文学理論について学ばなければお話にならないと痛感。

・読むことだけでなく、書くことや話す聞くことの指導はどのような実践をされているのか気になった。古田先生だけでなく、様々な現場での実際も合わせて。

・漢文教材の活用方法について、もっと話を聞きたかった。

 

今回は若手の先生や学生が多く、古田先生へのお悩み相談室のようになった感がありました(勿論、めちゃめちゃ勉強になりました)。今度は「読書会」ではなく、もっとフラットな「研究会」「勉強会」のような形で実現させたいなと思いました。

古田先生には地獄の暑さである京都までご足労頂き、有り難さと申し訳なさでいっぱいです。次回は広島で開催しましょう。

 

今回は本当にありがとうございました。

→「お悩み相談室」的な場となっていたことに関しては、想定される読者と今回の参加者が一致していたことも大きいのかなと思った。前回は本を読んで自分の授業について相対化しようという考えをお持ちの中堅の先生方が複数人いた分レベルが高かったのかも。懇親会の最後に古田先生に「もう読書会はいいよ」と言われてしまったので、勉強会・研究会ならいいのかなと。(ポジティブ)

次回開催については古田先生のご都合も勘案しつつ。

そうだ、授業に学ぼう!(普通に非常勤先で授業があるため私自身行けるかは微妙)

fukuyama.hiroshima-u.ac.jp