虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

【書評?】山本アリフレッド『理系が恋に落ちたので証明してみた。』

 

ネカフェ生活が板に付く院生。リーズナブルに宿泊できるため今年度はかなりお世話になった。ヘビーユーザーかもしれない。

  著者の山本アリフレッド先生は本学のご出身だそうで本学生協でも猛プッシュされている。しかし恒常的に金欠な私は生協の書籍購買部ヘビーユーザーでありながら、申し訳ない事に今まで購読はおろか、読んだことすらなかった。5時ごろに思い立ちネカフェにあった『理系が恋に落ちたので証明してみた。』(以下、『リケコイ』)を読んでみた。スーパー理系人達が真っすぐ(?)に恋というものを探究していくさまが面白おかしく書かれている。文系の端くれ院生である私も楽しく読むことが出来た。

理系が恋に落ちたので証明してみた。(1) (メテオCOMICS)

理系が恋に落ちたので証明してみた。(1) (メテオCOMICS)

 

 

  2巻で登場する池田先生が最も好きなキャラ。

理系が恋に落ちたので証明してみた。(2) (メテオCOMICS)

理系が恋に落ちたので証明してみた。(2) (メテオCOMICS)

 

 

  以下の記事にもある通り「たんきゅう」の表記は非常に気になるところである。

hama1046.hatenablog.com

 

 

理系が恋に落ちたので証明してみた。(3) (メテオCOMICS)

理系が恋に落ちたので証明してみた。(3) (メテオCOMICS)

 

 

 

 4巻の研究発表で学生が指導教官に準備不足を喝破されるシーンはここまで大きなものを経験していない私も身につまされる思いがした。厳しい学問の世界が垣間見える。

理系が恋に落ちたので証明してみた。(4) (メテオCOMICS)

理系が恋に落ちたので証明してみた。(4) (メテオCOMICS)

 

 

 

  まだ5巻は読めていない。4巻の終わり方的に一波乱ありそうであった。早くネカフェに行って続きを読みたいと思う。

理系が恋に落ちたので証明してみた。(5) (メテオCOMICS)

理系が恋に落ちたので証明してみた。(5) (メテオCOMICS)

 

 も…勿論生活がうまく回るだけの収入の余裕が出たら購入します。

 

学校とエッセイ

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

読んでいる途中のツイート

 【読書メーター感想】この本は村上が「あとがき」で書いている通り「自分自身のために書き始めた文章」を「語らざる講演録」のかたちで「系統的に」まとめた「集大成みたいなもの」である。教科書に採録された短編やエッセイ、『風の歌を聴け』を読んだだけの私ですら村上春樹という人間を描いたこの本を面白く読んだのだから、彼の著作を愛し長年読み続けてきた読者にとってどれほどこの作品が意義深いかは想像し得ないほどである。彼の主張に一貫性が見られることや観察眼の鋭さは想定内だったが、身体性を重視することやデビュー前の村上が意外で個人的に面白かった。

 

もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)

 

読書メーター感想】さくらももこの観察眼が冴え渡るエッセイ。エッセイ集の存在を知り、「こんなに多くのエッセイを読めるの!?」と小学生くらいの頃に『ちびまる子ちゃん』のコミックに挿入されたエッセイを楽しく読んでいた私は興奮したものである。たまたま村上春樹の『小説家としての村上春樹』と並行して読んでいたため、表現者が「無意味な合宿」や「巻末お楽しみ対談」で「学校」をユニークな笑いにしながらも、冷ややかな視線を向けているという事実に再びドキッとさせられた。これらのエッセイを教材にしても面白いだろうと考える私に彼女は何て言うだろう。

こんな感想でも読んでみたいと思ってくださる方がいるかもしれぬので、そんな新鮮な驚きを奪わぬよう敢えて引用して示さない。

 

 私もエッセイと呼べぬ何かを

きっかけの一つのツイート。

皆様はどちら派でしょうか。

 

小池先生から有り難い反応

小池先生のツイートに乞うご期待

 

「語用論能力」とは何か

 

 とある「語用論能力」のある方に揶揄されてしまった。

 

発端は中本先生のこのツイート

 私は修士2年が見えているこの期に及んで読んでいない古典的名著を中本先生は高校3年・大学1年の頃に読んだのかと思い、軽い気持ちでリツイートとお気に入りをした。全員ではないと思うので決めつけは避けたいが予備校で活躍される早稲田卒の先生方は本当に書を愛し、書に学んでいる人が多いと個人的に思っている。

 

 しかしながら①選書②この本を高校生に勧めるかの2点においてtwitter上の「有識者」の反感を買ってしまったようだ。実際にその3冊を読んだからこその反感だったのだろうが、「語用論能力」皆無な私は根底において彼らと相違があった。

 中本先生も先の「有識者」に対する一連の批判に対し言及。

「なんでツイッターで程度のものでこんなに解説する必要があるんだろ。」というお言葉はモリッシー先生のお言葉を借りれば

 

 とりあえず

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

 

 と語用論についての入門書は読みたい。語用論についてはロカルノ先生が詳しいが、忘れっぽい私はおススメされた本の中で初学者は1冊目にどのような本を読むとよいか忘れてしまったのでまた紹介していただけることを祈りたい。

 

【雑感】小森陽一先生最終講義

 講義のタイトルは「戦争の時代と夏目漱石」である。

戦争の時代と夏目漱石

戦争の時代と夏目漱石

 

  2、3週間前に小森陽一先生の最終講義があるとtwitter経由で知り、 ずっと楽しみにしていた。小森陽一先生については学部時代に受けた近代文学の授業で「こゝろ論争」及び小森陽一先生、「『こころ』を生成する心臓」を知り、高校時代に通読して自分の中にあった『こゝろ』テクストが瓦解し、その後改めて読み直したことが記憶に新しい。

 大学院1年前期の近代文学の授業で『こゝろ』に関する文献・通読を取り入れた実践論文を読み漁った。その際に以下の本で扱われた『こゝろ』教科書採録部分に対する問題意識は、後の教科書に影響を与えたものの、依然として三角関係が顕在化するKの告白と自殺をめぐる箇所が中心であり根本的には解決していない、教科書の紙幅の都合上解決し得ないことを知ったのだった。

 

  

 元々は西洋史を専攻したかったそうだが当時学生運動に精を出した影響で成績がカフカだったために専攻が第9希望の国文科になったこと、卒業論文は小学校時代をプラハで過ごしその後も語学学校に通い高い語学力をキープしたロシア語を活かして二葉亭四迷の翻訳文学について研究したこと、教師になるために修士課程に進学したこと(高校世界史の教師になり革命家を育てたい!と思っていたという発言は特に印象的だったがそうならず、国文科の方に進まれたのは二重の意味で幸運であった)とこれだけでもなかなか小森先生という人柄が見えてくる。

 

国語教科書の戦後史 (シリーズ言葉と社会)

国語教科書の戦後史 (シリーズ言葉と社会)

 

 

 国語科教科書には戦争についての教材が必ずある。その扱い方にはデリケートな問題が横たわっているが、国語科の前に教育によって戦争の悲劇を繰り返してはないことはいうまでもないことであろう。

  今回の講義では『こゝろ』『三四郎』『それから』『門』の戦争に関わる叙述を丁寧に読み解かれ、漱石の戦争を忌避する考え方を明らかにするものだった。新聞での連載小説であることを巧みに生かした書き方であるということを私のような浅学にも分かりやすく説いて下さるにはまことに恐れ入った。

夢十夜・草 枕 (集英社文庫)

夢十夜・草 枕 (集英社文庫)

 

 読みたい気持ちの火に油を注ぐ小池先生。

 

「ゆらぎ」の日本文学 (NHKブックス)

「ゆらぎ」の日本文学 (NHKブックス)

 

 

 

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

 

  駒場から活動の拠点を移されるが今後も精力的に活動されるようだし、本が残っている限り小森先生から学ぶ者は今後も増え続ける。私も、また春から某大学国文科に進学が決まった私の元教え子も小森先生の著作を読み、漱石の著作をより深く読む手立てとするだろう。

 

 個人的にとても好きなのであすこま先生・すまう先生の思い出話を載せてこの記事を閉じたい。

 

 

 

探究?探求?

 古田先生の授業見学についてかなり重厚で時間がかかっているのでとりあえず今自分が気になっている表題についての煩悶をここにまとめる。(随時更新予定)

 

問いからはじめる教育学 (有斐閣ストゥディア)

問いからはじめる教育学 (有斐閣ストゥディア)

 

 こちらは面白い本だったが・・・

 

 

hama1046.hatenablog.com

  この記事にある経緯で今この本を読んでいる。今までぼんやりと考えていたことにズバズバとラベリングされていくような痛快さがある。

読書と社会科学 (岩波新書)

読書と社会科学 (岩波新書)

 

 

主な用例:学問の探求

【授業見学記】広島大学附属福山中学・高等学校 古田尚行先生の授業

以下の記事で示したように2/24は広島に来ていた。

hama1046.hatenablog.com

 こんな機会は逃すまいと25日に授業見に行っていいですか?と事前に連絡し、快く授業見学を許可して下さった。

授業見学後の雑感

授業を見たいと思う先生が快く授業を公開して下さる。有難い話である。

 

 

大学院進学のきっかけは一個上の大学院進学する先輩に対し、古田先生が何故大学院に進学するか聞いた際の返答このままだと現場に飲み込まれそうという言葉がきっかけの一つだそう。この点に関しては異論もあろうが私は確かにその通りだろうと思った。少なくとも私は大学4年で教員採用試験を受け、正規非正規問わず教員になっていたら間違いなく現場に飲まれていたであろう。院修了後もそれは変わらないかもしれないが、修論の執筆過程で手に入れる「思考の核」と言えるものや2年間の様々な形の経験は非常に大きいはずだ。

 

中2 万葉集「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず」

  

国語の授業の作り方: はじめての授業マニュアル

国語の授業の作り方: はじめての授業マニュアル

 

  この本の59-60頁にもある実践である。2頁に凝縮された実践を50分実際に見させて頂いた。雑感にもあるように「和歌1首を言葉に着目して読み深める授業のイメージが持てるようになった」のは大きい。

 まずは古田先生が和歌を板書し、生徒を指名して読ませる。この和歌を元々知っている生徒がいなかったため(ex.読むように言われた生徒は「さきもりにゆくはだれがせととうひとをみるがともしさものおもいもせず」と読んだ)どう読むかについて発問を通して確認していく。他の読み方をするという生徒を指名する。(「誰が」について)

「たが」「なんでそう読んだ?」「リズムが」「どういうリズム?」「五七五七七」

上のように問うことによって「だれが」と読んだ、もしくは読んだであろう生徒に思考のプロセスを共有しているように感じた。「君の名は」に出てくる「誰そ彼(たそがれ)」を挙げ、「誰」が「た」という例を示す。「五七五七七」と読むとしたらおかしなところがあるとして「物思ひもせず」の「物思ひ」は「ものおもい」ではなく、「ものもい」と読むと説明する。昔は母音の連続がなかった?好まれなかった?ためであること、錦織を「にしこり」(nisikiori→nisikori)と読むなどその名残は今も残っていること(これを引き出すための補助発問日本の有名なテニスプレイヤーは誰?という問いに対し生徒たちが海外のテニスプレイヤーや大坂なおみ、松岡修造とある意味流れをあえて無視した答えをガンガン挙げているところは中学校らしいと思った)

 そして「和歌の場合は句点を付してみるのがよいでしょう。」(先掲著60頁)とあるように、句点を付して「文構造」を見るところに入る。古田先生は「句点をどこに打つ?」という問いを発し、その問いを考えるために「句点の前にはどういうのがくる?」「句点で終わるのどういう状況・状態なの?」「ちょっと話し合ってください」と問いを考える方向付けの問いを投げかけ、既有知識を確認する話し合いを取り入れている。

 その後様々な答えを聞き出し(直感でどこかを答えさせた後どちらが良いかと考える)、ともしさの後に句点を付すことを理解する鍵となる体言止めを引き出す。形容詞の活用語尾に「さ」を付けると名詞化するということも発問を通して生徒の既有知識から文法を引き出しており、文法はやはり教えるより引き出す方がよいなと改めて。

 そして、本時を大きく展開させる「誰が誰を見ていますか?さぁ、みんなで考えよー♪」という問いを投げかける。話し合いが始まってきたタイミングで、古田先生は「言葉に着目」「誰がは難しい、誰をは分かる」などというようにヒントを投げかけながら数人の生徒やグループの声を聴いていた。

  話し合いが一段落したところで一つよく分かっていない言葉があるとして、背の意味が夫であることを確認し、現代語訳を生徒にさせる。「防人に行くは誰が背と問う人を」が「誰を」の答えであることを確認し、「誰が見ているでしょう」「話し合ってみよう」と明示されていない「誰が」の部分を話し合うことを通して考えさせる。おおよそ全員が答えが分かったところで次の発問に移る。

 「歌には心がある」(前時の内容らしい)としてこの歌の「心の状態。何を思っているか。歌の言葉を参考に」と投げかける。「物思いもせず」「ともしさ」が出てきて、「物思ひもせず」が「防人に行くは誰が背と問う人」「ともしさ」が「防人の妻」の心情であることも確認する。

 その後「体言止め以外に使われている表現技法は」と発問する。ストレートには出てこないので、「物思ひもせずどこかにやりたい」と補助発問し、倒置法が使われていること及び先に句点の位置を考えたことに繋げる。

 「防人の妻」の「ともしさ」を「セリフにしたら」どうなるかという発問を投げかけて授業は終わる。意味通りに取れば「羨ましさ」だが、この発問で終えたことからも逐語訳で「分かった気にさせない」授業を志向していたことが分かる。

 

以下は少しダイジェスト版で。必ず後で書き足す。

 

中3 百人一首一夕話「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあわむとぞ思ふ」

  語の解釈がわかればなんとなく分かった!となってしまいがちな和歌である。前時の和歌の授業で行ったと思われる自然と感情との関係についての確認をして和歌の解釈を一通りした後「このままで終わると思う?」と「何を見て何を思っているのか。」という問いを投げかけ、既知を未知へと変える発問をして、再度和歌に向き合わせていたのが印象的であった。

 

中2 菊池寛「形」第二時

  単にこの小説を丁寧に読解するだけでなく、小説の読みと合わせて社会の見方を知る、もしくは改めて再発見する授業だった。

  象徴的な発問は「みんなにとっての脅威って誰?」「「形」って何?」である。最後の発問は細かい言い回しを忘れてしまったので授業見学メモを見返して改めて書きたい。小説の具体を抽象化し再度自分の文脈で具体例を挙げるという往還も見られた。

 

  今回の授業見学では先の雑感と重複するが、教材と生徒を発問でどのように繋ぐか、発問の順番をどのように組み立てることでどのような学びが生まれるかいう点で示唆を得た。しかし、この古田先生の授業スタイルは「すぐわかる!できる!」というものでは決してなく、私が教材を読み込み、授業で生徒と向き合っていく中で少しずつ出来てくるところなのであろう。また、今回は全て初めて見る教材での授業だったため「なるほどこういう教え方が出来るのか!」と古田先生の授業をそのまま受け取ってしまっている。この教材はこう教えるというようなスタイルがある程度固まってから改めて授業見学させて頂くとまた違った発見が出来るだろう。今から楽しみである。

  以前あすこま先生とお話ししている中で「はまてんさんはいい授業を見過ぎでいっぱいいっぱいになっているのかもしれないね。」というお言葉を頂き、ハッとした。見る目のないまま自分が見たい!と思う多くの授業を見せて頂き、それを寝かすことの無いまま自分がこんな授業を出来るのかと煩悶する日々を送っていたことに気がついた。

  私は来年度からは教壇に立つ。体に眠っている授業見学で得た学びの蓄積と、これから出会う教材の読みと生徒。試行錯誤しながら授業を作り上げたいと思わされる貴重な経験だった。

 

 

2月の生活行動目標の振り返りと3月の生活行動目標

 2月の生活行動目標の振り返り

以下の記事でも示した生活行動目標の振り返りである。

hama1046.hatenablog.com

 ・『入門!論理学』『古典について,冷静に考えてみました』『暴走する能力主義 教育と現代社会の病理』『文系と理系はなぜ分かれたのか』『読書の歴史を問う:書物と読書の近代』を読む。(追加『新しい古典・言語文化の授業―コーパスを活用した実践と研究―』)

4日読了。

 

入門!論理学 (中公新書)

入門!論理学 (中公新書)

 

 

9日読了。

 

暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

 

11日読了。

11日読了。

 

20日読了。

 

古典について,冷静に考えてみました

古典について,冷静に考えてみました

 

 

20日には勢いに乗ってこの本も。

 

 

27日読了。

 

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代

 

 

読書メーター便利。

 こちらの本は3月に…。

新しい古典・言語文化の授業: コーパスを活用した実践と研究

新しい古典・言語文化の授業: コーパスを活用した実践と研究

 

 

・3月提出の論文の初稿を書き上げる。→国語総合教科書の書くことや問いについて探究的な視点で検討する論文。現在5頁分。分析の観点で苦戦。つまり未達成。

 

・ブログを10記事書く。→書くことが充実しており達成。

 

ボルダリング初体験(^ω^)→やらず終い。

 

3月の生活行動目標

2月の目標をほんのりグレードアップ(なるべく量質両面で)して、未達成は引き続きで、それらに加えて少しづつ国語科学力の中でも受験学力的な部分のリハビリを始めていく所存。