学校とエッセイ
【職業としての小説家 (新潮文庫)/村上 春樹】を読んでいる本に追加 → https://t.co/2h0vLsV44K #bookmeter
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
読んでいる途中のツイート
「第八回 学校について」「第九回 どんな人物を登場させようか?」を読み、今は「第一回 小説家は寛容な人種なのか」を読んでいる。「小説家の多くは」「円満な人格と公正な視野を持ち合わせているとは言いがたい」(11頁)「作家というのは基本的にエゴイスティックな人種」(12頁)はそうかもなぁ。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
小説を書きたいと思うタイプの人間を私は好きになれないだろう。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
お世話になっている先生は元々文芸学部?の出身で作家志望がゴロゴロいたそうだ。その頃のお話を伺うのは面白いが、その度に「こうしたタイプの人間と付き合うのは精神衛生上良くなさそうだな…笑」といつも思っている。教師も同じ?笑
「第十回 誰のために書くのか?」を読んでいて個人的に面白い発見をした。このエッセイ(本全体についても言える)はまるで読者に語るような文体なのだが、実際に「そのへんのことについてはまた別の機会にあらためて話したいと思いますが。」と書いてある。(284頁)
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
話す機会があるのでは?と思われる方もいるかもしれないが前の頁で「あまり本業以外のことに時間を取られたくない」とメディアへの露出やサイン会について積極的な意義を見いだしていないことが読み取れ、実際に読者が村上の「話す」のを聴く機会はないし、恐らく村上自身もその機会を想定していない。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
すなわち村上にとってエッセイを書くことは読者に話すこととほぼ同義であると言えるのだ。書き損じでは?と思われるかもしれないが、エッセイからも小説をかなり推敲することが読み取れ、エッセイについても言葉に自覚的でないはずがない。だからどうしたということではあるが個人的に面白かったので。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
「あとがき」冒頭すぐから文体の件に触れられていてわろた。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
【読書メーター感想】この本は村上が「あとがき」で書いている通り「自分自身のために書き始めた文章」を「語らざる講演録」のかたちで「系統的に」まとめた「集大成みたいなもの」である。教科書に採録された短編やエッセイ、『風の歌を聴け』を読んだだけの私ですら村上春樹という人間を描いたこの本を面白く読んだのだから、彼の著作を愛し長年読み続けてきた読者にとってどれほどこの作品が意義深いかは想像し得ないほどである。彼の主張に一貫性が見られることや観察眼の鋭さは想定内だったが、身体性を重視することやデビュー前の村上が意外で個人的に面白かった。
高等学校国語科の教科書ほぼ全てのに村上春樹の作品が掲載されていることに気付いた時にはふーん、編集委員の世代が結構好きなんだなぁ程度にしか思っていなかったが、彼の著作を読みまた彼をほんの少し知ることでひょっとすると10年後の私は立派なハルキストかもしれんな…と思うようになりました。笑
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月9日
【もものかんづめ (集英社文庫)/さくら ももこ】を読んでいる本に追加 → https://t.co/j9bLG5SMIb #bookmeter
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
【読書メーター感想】さくらももこの観察眼が冴え渡るエッセイ。エッセイ集の存在を知り、「こんなに多くのエッセイを読めるの!?」と小学生くらいの頃に『ちびまる子ちゃん』のコミックに挿入されたエッセイを楽しく読んでいた私は興奮したものである。たまたま村上春樹の『小説家としての村上春樹』と並行して読んでいたため、表現者が「無意味な合宿」や「巻末お楽しみ対談」で「学校」をユニークな笑いにしながらも、冷ややかな視線を向けているという事実に再びドキッとさせられた。これらのエッセイを教材にしても面白いだろうと考える私に彼女は何て言うだろう。
こんな感想でも読んでみたいと思ってくださる方がいるかもしれぬので、そんな新鮮な驚きを奪わぬよう敢えて引用して示さない。
私もエッセイと呼べぬ何かを
きっかけの一つのツイート。
テラスハウスかあいのり、どっちかに出ないとってなったらどっちだろ。。
— ひな(SILENT SIREN) (@hinanchu_twtr) 2019年3月10日
皆様はどちら派でしょうか。
人生で告白は一度しかしたことがない。卒業式前の最後の登校日に。結果は保留の末に「ごめんなさい」。受験前だったので彼女なりに配慮してくれたのだろう。フラれた直後は彼女の思いが分からなかったが有り難かった。小学校から間を挟んで大学まで好きだった子とは告白するタイミングが合わず疎遠に。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月10日
旅をしながらいずれは本気で恋をして成就するにせよ、しないにせよアタックしないと帰れない。なんと美しく残酷なシステムであろうか。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月10日
ひなんちゅのツイートと、尊敬する国語教師の名言「小説を10周読むから1回大恋愛したほうがいい」に触発されて感傷に耽り要らぬツイートをしてしもうた。いつもか。
大恋愛をしたことはないが、両手で数える程度ではあるが好きになった子と二人でどこか遊びに行くことはあった。相手の話を聞いて知らない一面を知り、相手がもっと好きになるのが好きだった。(「えー…」ってなることもあるが、Love is blind.とはよく言ったものだ)もうかれこれ2、3年ほど前のこと。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月10日
こんなこっぱずかしいことを書いているのは今日2冊の素敵なエッセイ集を読んだから読書経験が不足している私は言わば本に酔っているのだろう。10年後の私は「芋臭いことを書いているなぁ」と読むか、「なんだこれ?今の私のまま?」と読むかが楽しみ。まあもし後者だとしたら先が思いやられるんだが。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月10日
顔がアイコンのまんまもしくはもう少し酷く、友人で知らない者はいない(知らなければ多分友人ではない)超絶面食い野郎なのでそもそも恋愛が成立するということが奇跡に近い。加えて今まで追いかけられたことは全くないが、多分私を追いかける程度の人を私は好きにならない。かつ新たに人に会わない。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月10日
小池先生から有り難い反応
「人生で告白は一度しかしたことがない」という一文を読んで、
— 小池陽慈 (@koike_youji) 2019年3月10日
うぉー!
ってことはこれまでずっと告られてたんだこの人!
うらやまー!
ってなる人間は、はたして現代文が得意なのか、否か…? https://t.co/WT8GNF7Xqu
先生のツイートから、甘酸っぱい「うふふ♡」をたくさんちょうだいいたしました…(〃ω〃)
— 小池陽慈 (@koike_youji) 2019年3月10日
僕一人で「100いいね」くらいしてますので、そのカウントでお願いいたしますw
押忍!!
— 小池陽慈 (@koike_youji) 2019年3月10日
甘酸っぱい、というか若干の腐った杏子臭漂うお話を、いつの日か必ずツイートいたします!!
小池先生のツイートに乞うご期待