【雑感】小森陽一先生最終講義
講義のタイトルは「戦争の時代と夏目漱石」である。
2、3週間前に小森陽一先生の最終講義があるとtwitter経由で知り、 ずっと楽しみにしていた。小森陽一先生については学部時代に受けた近代文学の授業で「こゝろ論争」及び小森陽一先生、「『こころ』を生成する心臓」を知り、高校時代に通読して自分の中にあった『こゝろ』テクストが瓦解し、その後改めて読み直したことが記憶に新しい。
大学院1年前期の近代文学の授業で『こゝろ』に関する文献・通読を取り入れた実践論文を読み漁った。その際に以下の本で扱われた『こゝろ』教科書採録部分に対する問題意識は、後の教科書に影響を与えたものの、依然として三角関係が顕在化するKの告白と自殺をめぐる箇所が中心であり根本的には解決していない、教科書の紙幅の都合上解決し得ないことを知ったのだった。
大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)
- 作者: 小森陽一
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/10/10
- メディア: 新書
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着いた!混んでいて関係者席真後ろのめちゃくちゃ良い席になったS席。笑 pic.twitter.com/KJEd6ceidJ
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
会場に体育座りする人が出るほどの超満員。左斜め前に紅野先生、右斜め後ろに仲島先生もいらっしゃる。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
小森先生の最終講義に参加。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
小森先生のご厚意により、撮影・録音OKだったがお話に夢中で撮れたのはこれだけ。小説の叙述を丁寧に見ていく小森先生の読みを知る度に「私はまだまだ小説を読めていない!」と再確認させられる。「戦争は最も個人の自由を阻む」としてこれからも漱石の戦争忌避の生き方を pic.twitter.com/bsdefUPDAk
引き続いでいくという強い意志を示してマイクを置かれた。駒場から活躍の場を移されるだけでこれからも第一線で活躍なさる方なのだと改めて感じた次第。最終講義前半で小森先生、最終講義後ににすまう先生のライフヒストリーを伺えたのも非常に良かった。歩み始めたばかりの私はライフヒストリーを語る
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
ことができるのだろうか。月並みなまとめ方になるが最終講義を受けて漱石の著作、小森先生のご著書・論文をもっと読みたくなった。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
元々は西洋史を専攻したかったそうだが当時学生運動に精を出した影響で成績がカフカだったために専攻が第9希望の国文科になったこと、卒業論文は小学校時代をプラハで過ごしその後も語学学校に通い高い語学力をキープしたロシア語を活かして二葉亭四迷の翻訳文学について研究したこと、教師になるために修士課程に進学したこと(高校世界史の教師になり革命家を育てたい!と思っていたという発言は特に印象的だったがそうならず、国文科の方に進まれたのは二重の意味で幸運であった)とこれだけでもなかなか小森先生という人柄が見えてくる。
かなり面白く読めたが、やはり国語とは?ってなる。「近代」「現代」「文学」「文学史」「思想」などはあまり自明なものとして取り扱わない方が良い気がしてきたなぁ。50年代の「国語」は生徒にとっては一旦置いておくとして「文学」を学ぶ理由・体系化が結構はっきりしている。私は教えられないけど。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月7日
国語科教科書には戦争についての教材が必ずある。その扱い方にはデリケートな問題が横たわっているが、国語科の前に教育によって戦争の悲劇を繰り返してはないことはいうまでもないことであろう。
熊本行って帰ってきて小森陽一先生の最終講義を受けて今は『草枕』読みたい欲がマックス。序文がかっこいいよね…程度の認識。笑
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
文豪の長編で通読したのは高・大で夏目漱石『こゝろ』を2、3回、志賀直哉『暗夜行路』は挫折した程度。大学時代は3年から専ら新書、卒業研究にかかる専門書を読んでいた。
学生時代はよく言えば本に頼らなくても良い生活、悪く言えばその程度の軽薄な生活であった。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
今は院生となり、私に構ってくれる奇特な友人も数えるほどなので何の気兼ねもなく本を読むことが出来ている。
今回の講義では『こゝろ』『三四郎』『それから』『門』の戦争に関わる叙述を丁寧に読み解かれ、漱石の戦争を忌避する考え方を明らかにするものだった。新聞での連載小説であることを巧みに生かした書き方であるということを私のような浅学にも分かりやすく説いて下さるにはまことに恐れ入った。
小森陽一で感銘を受けた本は、
— 小池陽慈 (@koike_youji) 2019年3月8日
『〈ゆらぎ〉の日本文学』
『ポストコロニアル』
の2冊。
読みたい気持ちの火に油を注ぐ小池先生。
駒場から活動の拠点を移されるが今後も精力的に活動されるようだし、本が残っている限り小森先生から学ぶ者は今後も増え続ける。私も、また春から某大学国文科に進学が決まった私の元教え子も小森先生の著作を読み、漱石の著作をより深く読む手立てとするだろう。
個人的にとても好きなのであすこま先生・すまう先生の思い出話を載せてこの記事を閉じたい。
私も来てます。めちゃ近い席のような気がw
— すまう(Hitomi Nakajima) (@sumaus) 2019年3月8日
小森さんは、僕の学部生時代に、彼が授業に大遅刻した上に「いやあ、カルチャーセンターの最終回で...」とか花束持って登場したので、「カルチャーセンターもいいけど本業の授業をまともにやってよ」と反発して授業に出なくなった過去があります...。今日も行く気はなかったw
— あすこま (@askoma) 2019年3月8日
私はあすこま先生に対し、物腰柔らかで優しい方というイメージしか持っていないので、学生時代のエピソードを伺うたびにとても驚きます。
— 虎哲(こてつ・こてっつぁん) (@Hamaten61) 2019年3月8日
ええと、もしそうだとしたらそれは老化現象の結果でございまして、20代の頃の僕をご存知のそちらのすまう先生(元同僚)に聞いていただけると、いささか違うイメージになるのではないかと、愚考する次第であります…
— あすこま (@askoma) 2019年3月8日
あすこまさんは物腰は柔らかいけど言うことが厳しいのよね😂
— すまう(Hitomi Nakajima) (@sumaus) 2019年3月8日
これから10年かけて精進します…
— あすこま (@askoma) 2019年3月8日
えっなんで?別にいいじゃんw 実際この10年で随分まるくなったと思うけど、それは私も同じかもね😂今も昔もフェアなところ信頼してますよ!
— すまう(Hitomi Nakajima) (@sumaus) 2019年3月8日
10年以上前は、言語技術教育で有名な某先生の公開授業で「あまりにひどくて生徒が気の毒」という感想を書いて相手にこちらの氏名を恨みとともに記憶されたこともあったので、確かに当時より人格と体型は丸くなりましたね...。虎哲さん思い出話に巻き込んですみません。おしまい。
— あすこま (@askoma) 2019年3月8日