虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

アツいぜ!青国研冬の勉強会

 本記事のタイトルにおける「アツい」はダブルミーニング

 ご覧になれば分かるようにまず、資料が厚い。そして内容も厚い、重である。それぞれの考えに基づき、どのような授業を作り上げていくべきか考え抜かれている。

 「すぐできる!」と謳う質量ともに薄い著作をバンバン売り上げる某出版社(特定する情報は何一つない、思い思いの主語を考えていただきたい)の対極である。もちろん優れた著作もあるにはあるが、忙しい先生方の少しでも学びたいという心の弱みに付け込み、売れればよいという本を出すことのなんと浅薄なこと。資本主義の欠陥である。

 そして先生方が熱い。失礼を承知で申し上げると参加者の年齢層はやや高めだが(最近は若手が研究会に入るほどの現場の余裕がないのかもしれない、一人若い先生が居たがやはり私立中高の先生であった)、生徒に負けない「誰もが底抜けに伸びたがる」熱い先生方である。今の私はあらゆる研究会に足を運び、カラカラのスポンジのように吸収しようとする熱い知的貪欲さがあるが、実際に私が授業や校務文章に忙殺されたとき果たして今のような生活が出来るだろうか。甲斐先生は大村に生徒は学校に行くのに迷わないでしょ?教師が研究会に行くかは迷うものではないというようなことを言われたそうだが、そんな初代会長大村のさを後続の先生方が大事に守ってきたのだろう。

 

 先日の繰り返しになるがあすこま先生のブログを参照いただいた方が良い。私の記事は網羅的でなく、あくまで備忘録と学びのアウトプット練習、ほんの少しでも学びが参加していない人にも届いたらというお節介心によるものである。しかしながら、二日目の様子は少なからず参考にして頂けるかなと。

 

 

 

 

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
 

 

 はじめに参加者は自己紹介がてら近況報告をしていった。その最中で上の二冊が甲斐先生のおすすめ本として回ってきた。

 内田樹の著作は甲斐先生の教室でもたびたび教材にされる。「内田樹の文章を読むと必ずむかつく中学生がいるのよね」と甲斐先生が笑顔でおっしゃったことがある。

 帚木蓬生さんは私のの読書の幅が狭く存じ上げなかった。そのため、今回初めてお名前を拝見し源氏!?という印象を持っただけである。そういえば明日源氏ファン垂涎のイベントが。

 タイトルだけで申し上げるのはやや気後れするが、敢えて言えば探究による学びはまさに学習者が「ネガティブ・ケイパビリティ」を持ち、教師がそれを育てていくことが必須である。それがどういったものなのかこの本を読んで学びたい。

www.shinchosha.co.jp

 かなりミーハー心をくすぐる経歴である。 

 急遽『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』著者のあすこま先生がいらっしゃることになったため、訳者前書きの読み合わせと気になった部分について自由に語り合った。

 先生方の気になった点としては「譲り渡す(hand over)」という語にどのような意味合いが込められているか、思考のプロセスを見る・見せるということについての話題が出ていた。

 

 ゲストによる実践報告

 毎回冬の勉強会にはゲストを招いているそう。今回は植田恭子先生。

www.hakuhofoundation.or.jp

  研究との関連で受賞した先生が受賞した研究内容の詳細を検討したいと思っているが、公開されている情報はなさそうだ。博報賞受賞研究でオープンアクセスの紀要を作成してくれたらと思う。

 今回は「ことばは生きている」と「時代を生きる1945」の二つの単元の報告をなさった。

 「ことばは生きている」は全7時間の単元で誤用の多い慣用句への気付きを基に「ことば食堂へようこそ!」をモデルとした動画作成・総合評価を行い、言語生活を見直しコミュニケーションのあり方について考えたという内容だった。

ことば食堂へようこそ! | 文化庁

 「時代は生きている1945」戦後70年の節目の年に中2・3(1~9月)に跨がる全18時間の帯単元で、主として教育用SNS(Schoology)に活用し、「15歳日本のどこかに居住」する「1945年を生きる架空の人物」になりきって書き込みを行うことで、他人ごとにならず戦争を考えることを目指したものである。なりきりについては

 

子どもの思考が見える21のルーチン: アクティブな学びをつくる

子どもの思考が見える21のルーチン: アクティブな学びをつくる

 

 166頁から173頁にあるらしい。戦争を扱う単元についてはどのように扱えばよいか悩ましいところであるが、なりきりもまた有効な手立ての一つになるかもしれない。

 

デジタル・ストーリーテリング―声なき想いに物語を

デジタル・ストーリーテリング―声なき想いに物語を

 

 

 戦争を扱う単元については他の先生による上の本に紹介されたデジタルストーリーテリングの作成を軸に据えた単元の発表も行われた。生の声ではなく、吹き込まれた声を何度も録り直すことで自分と向き合う経験をさせるというのもよいかもしれない。

 同じ先生が哲学対話の体験を「愛のサーカス」で問いを立てて読むことで行う単元の発表も興味深かった。関連する以下の本も早く読みたい。

 

探求の共同体 ─考えるための教室─

探求の共同体 ─考えるための教室─

 

  植田先生の実践を巡って安居先生からは、自分の経験でしかものを語れないということ、そこから教師が言語学習材をあるもので限らないこと、今回重視されていた情報だけでなく言葉そのもの、言うなれば教室の言葉なども言語学習材だというお話、学習をどのような仕掛けで組み立てるか指導者が子どもをどう見るかというお話が合った。

 

あすこま先生と『イン・ザ・ミドル』を巡って

 まずは「譲り渡す(hand over)」についてのお話があった。「手渡す」には相当する語「hand off」があり、それとは異なりなかなか使われる言葉ではないが、アトウェルはこだわって使っていることや、押し付けというイメージではないこと、甲斐先生の指導が「譲り渡す」であることといった話がなされた。

 詩の重視については、読む→良さを見つける→書くといったサイクルが短いこと、様々なジャンルのレトリックが学べること、アトウェルの詩を教えるミニレッスン集「Naming the World」の存在の話もあった。

 ナンシー・アトウェルやあすこま先生自体のヒストリーの話も興味深かった。

 初版の頃はは教えないこと・ファシリテーターに徹することにこだわっていたが、第二版の頃は子育てを契機にそのこだわりが揺れ始め(あすこまさんはこの第二版を翻訳したかったそう)、第三版にいたる現在は自身の教え方に確信を持っているという流れだそうだ。改訂のたびに自著の7・8割書き換える教師としての変容ぶりがすごいと思った。

 あすこま先生が学生時代野口米次郎・比較詩学を研究していたこと、中高生時代ノンフィクション・歴史・新書をよく読んでいたこと、その経験から先生の所属する学校の生徒もそうかと思いきや彼らは小説を手放さないことをあすこま先生が意外だと思ったことなどが話題となった。

 

「二重国籍」詩人 野口米次郎

「二重国籍」詩人 野口米次郎

 

 

 以降は実に様々な実践報告がなされたが、その中でも特に自分の問題意識に近いものや興味深かったものに絞ってまとめたい。

 

自分だけのオリジナルの詩集を作ろう

 公立中学校のベテランの先生による卒業単元。とにかく先生が詩の魅力を生徒に知ってほしいという先生の思いが伝わった。入試等で抜けが出ている時期の全9時間の単元。地域の図書館と連携して集めた300冊の詩集からお気に入りの詩を選ぶ(最低3編)、写す、製本する、読み合うという流れ。

 中高時代の国語の授業で何かを作るということがなかったので、学習記録の存在を知った時もそうだったが衝撃を受けた。認知心理学でもものづくりの重要性が指摘されているらしい。こうした実践の存在を知れたのもよかった。「文学国語」の言語活動に示されるアンソロジーづくりの示唆が得られた。

 選択の功罪については最近考えているところである。思い切って選ばせるということも私の授業に取り入れたい。(ものすごく大変なことは承知で)その実践を発表した先生が予想を超える意外な詩を選ぶ生徒がちらほらおり、生徒の知らない一面に触れたという言葉が印象的であった。選んだ教材しか与えていないと見えないものである。

 

単元が単元を生む

 今私が単元学習について最も注目しているのは、一つの単元を構成することではなく単元と単元が有機的に結びつき、相互に関係し合い大きな学びを学習者が作り上げる在り方である。

 こうしたことの具体が分かる論文として僭越ながら以下のものを勧めたい。

早稲田大学リポジトリ

 こうした視点での発表が二つあった。

 東京学芸大学附属小金井中学校数井千春先生と桜修館中等教育学校荒井佳子先生によるものである。

 数井先生は前単元「考えを伝える:具体と抽象の往復」から生徒が「悩んだり迷ったりする複雑な自分の心をみつめて言葉にでき」るようになるため、「揺らぐ思いを語ることに焦点」を当てた「いにしえの心を語る―私たちの考える「人間らしさ」とは―」という単元を構想し実践した。単元の詳細は次年度に出るであろう研究紀要に譲るが、単元の終わりに個人で構想した自主学習を1か月間させるという計画に度肝を抜かれたということを記しておきたい。

 荒井先生は「問い」を軸に単元を有機的につなげ、「羅生門」でそれらの学びがどのように生かされたを論じようとする論文の草稿を発表なさった。完成稿をぜひ拝読したい。高等学校国語科は教材ベースの授業が多く、学びの繋がりに乏しいという感覚を持っていたため、荒井先生の単元のつなぎ方はぜひ参照にしたいと思った。

 

 実に学びの多い二日間で、既存の思考の枠組みをグラグラと揺さぶられ、勉強不足を痛感し、かといって希望を失わず、甲斐先生の言うような研究会後に体が軽くなるような感覚があった。(が私は聞いているだけなのにどっと疲れた)

 来年は例会にも参加し、院修了後もずっと通い続けるタフさを持った実践者になりたいと決意を新たにしたのだった。

 

 

 

 

 

『イン・ザ・ミドル』ブッククラブでの学び@横浜

と言いつつも実家の手伝いもしつつグダグダとしておりました。

 まずはこちらの振り返りから。

  あすこま先生の記事を見ていただければ十分である。私のものはあくまで参加者唯一の学生の学びとして見ていただきたい。

 今回のブッククラブはトミー先生が案内して下さった。自身が小学校でワークショップを実践している経験から発言にも奥行きがあり、こんなに輝いている先生がいるのかと圧倒された。甲斐先生が自分はたまたま人に見いだされ実践を見ていただけるような立場にいるが、世の中にはすごい実践をしている人がいくらでもいるのだと改めて気付かされたというようなことをおっしゃっていたがまさにその通りで、私が知り得る偉大な実践家は氷山の一角に過ぎない。とにかく出かけていくべきだなと。

 

ブッククラブの学び(ダイジェスト版)

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

 

  この本を携えて、この本に魅せられた19人が一堂に会して語り合った。その参加者の偏りのなさ(※あすこまさんのブログ参照)が、この本が実に幅広い読者層を有していることの証左であろう。休み時間にはあすこま先生によるCenter for Teaching and Learning訪問時の話を写真とともに伺った。児童生徒の作品にあふれた実にこじんまりとした学校で、ここで教師がどのように働きかけ、児童生徒がいかに学んでいるか気になった。

 アイスブレイクも兼ねた自己紹介の後は挙手制でこの本やそれを契機とした自身の実践について思うところを7分ないし5分以内で一人語りするというものだった。自分も含めて思いがあふれているようで整然と話す人は少なかったが、それが飾り物でない聞く人の胸を打つ言葉になっていた(ここは私を除く)。以下、一言一句正確ではないが私の心に残った名言集。

 

アトウェルはいっちゃってる。自分の思考の枠組みを取っ払った方が早い。授業スタイルを示して変えていく。(公立小副校長)

 

実際にやってみて、選択させることを信用した。カンファランスに葛藤。(私立中高国語科教諭)

 

司書の私は2章を自分事として読めない。(公立小学校司書)

 

訳者としても2章は重いと感じた。一人ひとりの生徒をいかに見るかのハードさと知識量のハードさ。280頁からの個々の会話にバリエーションがある。相手の本気度も影響する。(あすこま先生)

 

おこがましいが1章のストーリーに自分を重ねる。「こうして、書くことが、カリキュラムのなかで、本来あるべき場所に収まりました。」(本書30頁10行目)(公立中国語科教諭)

 

ぼんやりしていたものがくっきりと。自由だけど自由じゃない。(私立中高国語科教諭)

 

『作家の時間』との差。環境手順を整えるという前準備から。(公立小教諭)

 

  確かにこの本を読んだ時の心情はは頑張れば出来そう!という明るいものだったが、『イン・ザ・ミドル』の時はこりゃ出来んのか?という圧倒だった。

 

教えることも学びもプロセス。悩んだ軌跡。(公立高校国語科教諭)

 

プロセスを見せる教師の姿。(公立小教諭)

 

大村はまを目指してきたがどんどん離れていく。大村への憧れ力でここまで来た。この本を読んだ時『教えるということ』を読んだ時と同じ衝撃。人間や中学生の捉え方が同じ。しっかりと見ようとすることが土台で教育。大村の言葉「国語教師は人間教師」「やる気にさせたら80%終わり」哲学がベースにある人は似てくるのか。教えるか学ばせるかじゃない、両方。それが仕事。教室は和やか、成果は厳しく。(甲斐先生)

 

 甲斐先生は甲斐先生だなと。いつもにこにこしていて周りにいる人を自然と笑顔にするような温かさがあるが、ぶれない軸があって許せないことに関してはとことん厳しい。先生の話を聞いて読み直してくなったのが以下の二冊。

 

教育力 (岩波新書)

教育力 (岩波新書)

 

 

 

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

 

 

 最後は自身の実践経験を軸にトミー先生が語った。以下。

 

同じ本を読みながらノートを作るペア読書。詩の力強さ。WritingとReadingを分ける必要があるのか。出版を軸に全教科で文集づくり。書く読むの融合で力がつく。カリキュラムを自分のものにする、磨く。テキストをためる。教科書は資料集。

 

 以降は分科会。自分はReadingとWritingの融合を話す会に参加した。

 トミー先生の言うジャンルごとにユニットを作るというのは良いと思った。甲斐先生も「詩で詩を詠む」「随筆を読んで随筆を書く」などのように読み書き総合単元を実践している。トミー先生の言う「読むと書きたくなるし、書くと読みたくなる」のスパイラルを回していくこともよさそうだ。中学国語や文学国語の授業づくりの参考としたい。

 教科書会社から来た方は今後高校国語の教科書でも光村のような付けたい力によるリスト化が行われるだろうということ、表現編がちぐはぐなことを指摘していた。教科書分析の研究をする身としてはやはり表現編の手薄さ、言語活動とのつながりの弱さは気になるところであった。

 コンテンツ・コンピテンシー・コンセプトの三者から読み書き総合単元を構想することを提案した。

 トミー先生はユニットで求めている力をシステムでアピールして明らかにすること、知識がないと問いが立てられないは誤解、個に応じて問いを進めるサポートをしていくこと、ばらばらでも心地よい環境を作ることを挙げた。

 『歴史家の時間』実践の概要からシステムづくりの大事さを再確認した。

 トミー先生のカリキュラム論については以下を参照されたい。

 

参加者おすすめ本展示

 一人ひとりのお勧めする理由を聞きたかったな。

 ちなみに甲斐先生のおすすめ本は、

 

長新太の絵本の不思議な世界―哲学する絵本

長新太の絵本の不思議な世界―哲学する絵本

 

  村瀬学さんは甲斐先生の信頼する文芸批評家で、この本の批評の言葉の分析を通して単元で扱う批評の言葉の教材研究をしていたそうだ。休み時間を狙って聞いてみた自分ファインプレー!

本物を分析する。これが教材研究。by甲斐先生

 今回も勉強になりました!

 

 

探究を探究する高校教師たち―第16回高大連携教育フォーラム(後編②)

以下の記事の続きである。

 

hama1046.hatenablog.com

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  後編②ってなんだよ。

 分けたことで全体が見にくくならないよう改めて。渡邉先生は今回の発表で「新教科「現代の国語」において高次の国語学力を育むにはどのような単元をデザインすべきか。①どんな力を、②どんな教材・活動で培い、③どう評価するのか?特に、主体的に学習に取り組む態度をどう育むか。」を「議論したい問い」だと示した。今回はこの問いをさらに掘っていくところ及び実践の実態に入る。

 

①どんな力を(目標設定に関しての課題)

 

新学習指導要領対応 高校の国語授業はこう変わる

新学習指導要領対応 高校の国語授業はこう変わる

 

  上の本の「『まず教材ありき』の単元構想から脱却し、資質能力(指導事項)ベースの単元構想が必要である」という大滝先生の指摘を引用し、そうした授業に陥りがちな高等学校国語科の課題を示し、一方で「研究の発展により、教科固有の能力構造の検討・精緻化」は進み(スライドに八田幸恵 2015とあるがどの論文に対するものかを聞き落した。)、「国語科における本質的な学びのあり方についての共通理解も進みつつある」とする。しかし、「教科固有の能力構造の検討・精緻化は進んでいるとはいえ、目に見えづらい、言語化しづらい、高次の能力の内実を吟味し単元の目標として具体化するまでには各教師は至っていないことが多」く、「しかもどこかから借りてきたような目標が横行」しているとし、「今、目の前にいる生徒たちの状況に基づき(もちろん指導要領や社会の情勢もふまえ)、生徒の具体的な姿として描かれた目標を設定して、単元授業を構想していきたい 」という課題を示した。なお、これらの課題には(自分も含めての反省)と示している。以上が渡邉先生の「問いの背景」である。

 「改善のポイント」として、「学習指導要領や指導書等からの引き写し」のような「借り物の目標」ではなく、「教師自身の願いに基づく、主体的な目標の設定」や「「この生徒たちがこのような姿になってほしい」「このようなつまずきを克服して欲しい」といった目標の設定」をと強調なさった。そして「目の前の生徒にどんな力を培いたいのか」という「教師による目標吟味の徹底」を挙げた。

 上記の話から一年以上前に母校国語科の先生から伺った話を思い出した。

 

hama1046.hatenablog.com

 

 

 上の記事における「教師自身が出来ること」は以降の教材選定や発問等の関わり方に関わるのだろう。

 

 ②どんな教材・活動で(目標と学習活動を一体化するという課題)

 上の問いは「どうやってそんな力をつけるの?」と換言できる。「知識・技能だけでなく、思考力・判断力・表現力や、主体的に学びに向かう態度を培うことが大事、ってよく言うけど、それってどんな教材で、どんな方法で、つけるの??」という渡邉先生の「問いの背景」は共感するものが多いのではなかろうか。

 「どうやって力をつけるのか、に関する3つのポイントとして、渡邉先生は「生徒のものの見方・考え方を揺さぶる教材の選定」「学習課題・発問の選定」「学習活動の組織化」を挙げた。

 「生徒のものの見方・考え方を揺さぶる教材の選定」について渡邉先生は「書籍はもちろん、新聞、ネットからも、採用。自分が書くことも。」と示している。発表資料における「「力のある」教材はないか、常にアンテナを張り巡らせている」「一つの単元において教材を複数用意し、その「教材群」を用いて授業することがほとんどである」という言葉もある。幸運なことに良い実践者はこうした要素を持ち合わせていると知っていたのでこの指摘に驚かなかったが、これを当たり前にできるすごさは現場にいない私の予想をはるかに超えるものであろう。渡邉先生による教材選定基準は以下に詳しいそうだ。このブログを書き終えたら是非確認したい。

http://www.mitene.or.jp/~kkanabe/mokuhyouhyoukahonbun.pdf

 「学習課題・発問の選定」は「問いと答えの間が長い問い」(by石井英真先生)や「シンプルな発問」を用いるという。何となく感覚では分かるが、教室でこれらが機能するようになるには相当な思索が求められるのだろう。堀博嗣先生がどこかで書いていたように恐らく試行錯誤による洗練を経た末のシンプルさなのである。

 「学習活動の組織化」は印象的だった。スライドに「ぐーーーーっと考えて、わっ!て話す」とある。こんなに単純にまとめて良いかは分からないが、一つの例として個人の沈思黙考の末の話し合いなのである。教育実習で、活動に参加できる内容を個人で全員に作らせてからと叩き込まれた。高くジャンプするために膝を曲げるような活動の緩急なのだろうか。

 

③どう評価するのか?(評価に関する課題)

 「力がついたかどうかをどうやって判断するの?」「三観点から評価することが大事っていうけど、たとえば思考力の場合で言うと、どういうことが、どんなふうにやれていたら、思考力がついたって言うの?」という問いである。

 評価について渡邉先生は「生徒の頭の中を毎日・丁寧に見とり、指導の改善に生かす(形成的評価)」や「定期考査は、生徒の頭の中を把握するための大チャンス!!」という心構えからも分かるように「形成的にも、総括的にも評価する」ことを行っている。「「生徒の状況の把握」こそが評価の重要な機能」であるとし、「生徒は今、何を理解し、何を理解していないのか?」「どんなことにつまずいているか?」を「ノート ワークシート 生徒との問答 レポート 定期考査 自己評価等を使って生徒の状況を把握する」ことを絶えず行っているのだ。

 形成的評価については授業前から授業までの流れが非常に参考になる。「1 生徒は毎朝ノートを「オレンジ」の買い物かごへ提出しに来ます」「2 渡邉はノートの状況を見て、その日の授業構想を練ります」「3 気になる叙述があれば、呼び止め、説明させます」「授業中は課題が終わった人からやってきます」「一人一人の思考プロセスを確認します」(以上スライドから抜き書き)例えば今回の単元(後述)で渡邉先生は「説得力のある証拠や論拠を用いているか。」「自分の意見に対する反論を予想した上で、主張を伝えているか。」を「ずーーーーーっと見続けていた」そうである。ともすると教師はスタートとゴールだけ見て、ゴールでがっかりしがちである。全て真似出来るかはさておきこのくらい丁寧に見取ることが指導であり、評価なのだと思った。

 総括的評価の代表格は勿論定期テストである。渡邉先生曰く「若狭高校国語科チームは、基本的に、既習教材を素材とした考査問題を作らない。初見の問題で、つけたかった力が育っているか見ようと」するそう。甲斐利恵子先生の定期テスト観と共通する。「つけたかった力を測るのに最適な方法を選ぶ」ため、レポートで評価を行い「考査をしなかったことも」あるそうだ。今回の単元では迷った末に定期テストを行い、レポートで評価すればよかったと反省したそうである。最適な評価方法の見極めはやはり難しいのだろう。

 

私たちすべての教員に問われている問い

 渡邉先生は以下の問いを我々に投げかけた。

・我々は、「どんな力」を培いたいと考え授業を行うの?

・どのような教材・活動でその力を養うの?

・力が培えたかどうかを、どのように評価するの?

 今まで渡邉先生が論じてきたことは、我々もまた考えていかなければならない問いである。

 

思考しコミュニケーションする活動が自ずと生じる課題設定や場づくりを

 

  渡邉先生がバイブルというこの本の13頁に書かれている言葉である。渡邉先生は「ドリブルやシュートがうまいからと言って、良いプレーが出来るわけではない。知識を活用したり、創造する力は、そうした一般的な能力があると仮定し、その形式を訓練することによっては育たない。それは、学習者の実力が試される、思考しコミュニケーションする必然性のある中でこそ育てられる。ある分野の内容知識や思考力、さらにはその分野の本質を追及しようとする態度は、一体のものとして育っていく。」と主張する。

 この主張から「現代の国語」「言語文化」をそれぞれ「方法知」「内容知」とする分け方はよくないのでは・・・?と小さい声で。この分け方は二科目を一対のものとすべく納得しやすいものであるが、言葉尻だけを捉えて「現代の国語」においてドリル型学習のような細切れな学習が横行するのではと渡邉先生は危惧なさっているのだろう。こんなブログを読んでいる奇特な実践者は是非とも心にとどめておいてもらいたい。

 「方法知」「内容知」については以下の記事を参照されたい。

hama1046.hatenablog.com

 「そして最もお伝えし、議論したいこと」として「目標と指導と評価を一貫させたいですよね!ただし、目標を個別化・細分化してドリル化するようなやり方ではだめかなぁ。「主体的に学びに向かう態度」を育むことまで、しっかりと見据えた上で、単元を貫く学習活動を作るといいのでは?もちろん、学習過程では、「意見文の型」や「論証の方法」などの「知識・技能」論理的に考える力につながる(空所ママ・単元か活動か?)を組織する。でも、それだけではだめ。そして、そういう課題に耐えられる教材が必要。だから、教材発掘が大事。」と主張して締めくくった。教材発掘については「②どんな教材・活動か」で紹介した渡邉先生の論文を参照したい。

 

 まとめてみて渡邉先生の思考が少しづつ血肉になっていく感覚がある。こうした各地の優れた実践に学んで新たに教壇に立つ者達が旋風を巻き起こすというのも悪くない。ただ力尽きたので単元「伝統・文化とは?」については後日まとめます。年内には必ず・・・。

 

探究を探究する高校教師たち―第16回高大連携フォーラム(後編①)

  今日は横浜国立大学大学院教育学研究科に進学した同期と久々に再開した。彼のところは同期が3人で演習科目の発表が回ってくるのが早く修士論文どころではないそう。こちらは同期が4人で演習発表の周りは早いがきつくはない。大学院にもいろいろあるんだなと思った。現在は方丈記の研究をしているそうなので手元にあった方丈記実践の資料をお土産として渡し、また元気に再開出来るようにと約束し分かれた。

hama1046.hatenablog.com

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  上の記事の続きである。遂に僭越ながら渡邉久暢先生の実践について紹介できる。

 

新学習指導要領の国語に向かって(京都市教育委員会学校指導課副主任指導主事 影山晋之介先生)

 実践発表者渡邉久暢先生の発表の前に新学習指導要領の詳細についてその趣旨を踏まえつつ解説なさった。指導主事の方は文部科学省の方の講習会等に召集されるらしく、現場へ改訂の趣旨をかみ砕いて伝える役割を担っているそう。現場を離れなければいけない指導主事や管理職にネガティブなイメージがあったがこうした方々の下支えがあって改訂の流れが現場に息づくのだと気付かされた。

有難う教職大学院

 2030年の社会を想定やSociety5.0の到来といった新学習指導要領の前提や、ContentsベースからCompetencyベースへという新学習指導要領の基本理念といった話から入り、総則や国語科の新学習指導要領解説をかみ砕いて説明なさった。

 特に「見方・考え方」と学びの過程と資質・能力の関係の説明が今まで受けた説明をうまくまとめたものだと感じた。各教科との見方・考え方を各教科等の習得・活用・探究で働かせる、それによって各教科等の見方・考え方が鍛えられるという循環関係があり、その循環が繰り返されるうちに各教科等で育成すべき資質・能力が高められるというものだった。具体を見ないことには何とも言い難いがこうした三者の関係は念頭に置いておきたい。

 最後に今回の実践発表に関連する影山先生が考える新学習指導要領の指導における課題・留意点に①複数テクストを読む学習活動の指導(教材群の選定)②「主体的・対話的で深い学び」を活性化する教師のファシリテーター的役割(発問の考案)を取り上げ、渡邉先生の実践には見られると繋いだ。

 

「現代の国語」の単元を構想する~新学習指導要領を見据えた「高次の学力」を育む授業展開の可能性~(福井県立若狭高等学校 渡邉久暢先生)

 

 今年3度目の京都に来た目的は渡邉久暢先生の発表を見ることである。

教室における読みのカリキュラム設計

教室における読みのカリキュラム設計

 

 や

http://www.mitene.or.jp/~kkanabe/

で面白い実践を積み重ねられている先生がいると知り、以前からお会いしたいと思っていた。

 渡邉先生は自身や若狭高校国語科チーム全体の実践をさらに良くするため実践を積極的に公開する。「辛口頂戴!」と意見を求める姿が印象的だった。そもそも今回の高大連携教育フォーラムでの発表を渡邉先生が依頼されたのも数年前の京都大学で行われたフォーラムで学生の発表するルーブリックに怒り心頭の目立った集団(若狭高校国語科チーム)がおり、彼らが登壇者に的確な質問をぶつけていた様に影山先生がただならぬものを感じて声をかけ知り合った面白い出会いによるものであった。(発表後影山先生に質問して発覚)嚢中の錐というべきか優れた実践者は自然と見出されるのだなと感動した。ルーブリックについては大阪教育大学池田地区附属学校研究会における八田先生の講演をまとめた以下の記事を参照されたい。

 

hama1046.hatenablog.com

  IBのルーブリックとの混同が一つ「ルーブリック評価」という誤解を現場にもたらしているのかもしれない。今日横浜国立大学院生の同期と話したとき彼はその違いが分かっていた。というか実際に成果物からルーブリックづくりをやっていた。恐るべし。

 発表はスライドを使用し、時折気が合う人(じゃんけんであいこになった人)と活動し合う形式で行われた。スライドを中心に適宜配布資料を参照してまとめていく。

 渡邉先生は本日議論したい問いとして「新教科「現代の国語」において、高次の学力を育むには、どのような単元をデザインすべきか。①どんな力を、②どんな教材・活動で、③どう評価するのか?特に、主体的に学習に取り組む態度をどう育むか」を掲げた。その上で自分たちのやり方を押し付ける目的ではなく、「私の学校の国語科教員チームは、目の前の生徒の様子をよく見てこんな力を培っていくと良いのではないか、という目標を設定し、力をつけるのにふさわしい教材を選び、活動を考え、実践し、彼らの力が付いたかどうかを見るための考査を行おう、と取り組んでいる。今日はより良くするための意見が欲しい。」と発表の趣旨を示した。結論から言えばフロアにいた皆がその実践に圧倒され、建設的な意見があったかという点は微妙なところである。皆が今後こうした単元を考え実践していく中で初めて議論が深まっていくのだろう。もし日本の高等学校の実践者にそのような気概があれば新学習指導要領の理念実現やVUCAな時代を生き抜く生徒を育てる使命という大きな波に乗ることが出来るだろう。

 「なぜ「現代の国語」を検討の対象にするのか」として渡邉先生は「現代の国語」が中教審答申(2016)の「教材の読み取りが指導の中心になることが多く、国語による主体的な表現等が重視された授業が十分に行われていない」「話し合いや論述などの『話すこと・聞くこと』、『書くこと』の領域の学習が十分に行われていない」という指摘から新設された科目であり、それを踏まえたうえで目の前の生徒に合わせた学習目標を措定し、「どのような教材を用いて、どのような学習活動を組織し、どう評価するか」を早急に検討する必要があるからだとしている。

 「高等学校国語科における『目標と指導と評価の一体化』の可能性」として新学習指導要領下において「「知識・技能」だけでなく「思考力・判断力・表現力」や「学びに向かう力・人間性」を培うことの重要性が認識されつつある」ことを指摘し、そこから「国語科で培う思考力って何?(学力構造への意識化)」「どんな教材で、どんな学習活動を?(教材・活動の組織化)」「思考力がついたかは、どうしたらわかるの?(目標・評価への意識化)」といった問いへの探究が進むと話を展開する。

 八田幸恵先生が『教育科学国語教育』の2017年8月号に寄せていた「読みの学力モデル試案」を紹介なさった。昨年から定期的に購入していたため(≠定期購読。生協で購入する方が安いため)手元にある。こういうこともあるので雑誌を買い集めているのは便利である。

長くなりそうなので今日はこの辺で勘弁しといてやる。(何様)

探究を探究する高校教師たち―第16回高大連携フォーラム(中編)

 

hama1046.hatenablog.com

 以降はこの記事の続きである。

 

有言実行。

 

「高校生のための学びの基礎診断」実施に向けて取り組んできたこと~高等学校教育の質保証を目指す観点から~(岡山県立林野高等学校校長 三浦隆志先生)

 

 三浦先生は定員割れを起こしていた林野高校の校長に就任して以来様々に特徴的な取り組みを行い、学校全体を盛り上げる改革を行った。それらの取り組みで目指す高等学校教育の質保証について「高校生のための学びの基礎診断」「探究」を核としたカリキュラム・マネジメントを中心に報告なさった。

 どういう文脈だったかは忘れたが三浦先生の話によると高等学校で「総合的な学習」が実施されるようになって1年後の2004年に

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)

 

 この本が発売され、今日人口に膾炙している「格差社会」という言葉が流行語になったそう。この当時まだ小学生だったこともあり、そのことを知らなかったため印象に残っている。(そのくせ文脈は忘れた)

 林野高校は平成31年度から導入される「高校生のための学びの基礎診断」のため、文部科学省から「高校生の基礎学力の定着に向けた学習改善のための調査研究事業」に指定されている。「高校生のための学びの基礎診断」導入についてはただでさえ忙しい高校生の負担増やしてどうするのか問題や民間の介入などもろ手を挙げて賛成というわけではないが、定期テスト(授業者の物差し)と外部模試(大学入試に即した学力の物差し)以外の学力の物差しがあることでPDCAが回しやすくなり授業改善が進むこと、学習指導要領を見ずに授業を行うわけにはいかなくなる点については評価したい。しかし高等学校の教員はつくづく信用されていないと感じる。林野高校は研究指定校としてPDCAサイクルの確立に向けた先行研究を行っているというわけだ。

 研究は三年計画でPDCAサイクルの構築と資質・能力を育成する学校の仕組みづくりの二本立てで行っていそうだ。PDCAサイクルの構築として初年度に生徒の実態把握(課題「主体的な学びに乏しい」「学び続ける意欲が乏しい」・授業評価の復活・「OPPAシート」の導入)を、次年度に教師の「発問力」の向上(「ICEモデル」の研究・導入、Chromebookの導入)、資質・能力を育成する学校の仕組み作りは初年度に「チーム学校」のスタート(ワークショップでの振り返り、次年度の重点目標作り)を、次年度に「チーム学校」の展開(育てたい生徒像・グランドデザインの策定)を行ったそうだ。三年目の今年度は二本立てを統合した研究テーマ「生徒が主体的に深く学ぶ力を育成するために教師の発問や評価等について研究する。」の下、3年間で育てたい資質・能力を明らかにすること、資質・能力ベースで年間指導計画を作成すること、教師の発問力や評価方法「指導と評価の一体化」等の研究に取り組んでいるそう。

 

「主体的学び」につなげる評価と学習方法―カナダで実践されるICEモデル (主体的学びシリーズ―主体的学び研究所)

「主体的学び」につなげる評価と学習方法―カナダで実践されるICEモデル (主体的学びシリーズ―主体的学び研究所)

 

 一個上の先輩が卒論で扱っていたため上の本が印象に残っている。

 

教育評価の本質を問う 一枚ポートフォリオ評価OPPA

教育評価の本質を問う 一枚ポートフォリオ評価OPPA

 

 OPPAって響きが面白い。(薄い感想)読んでおいて損はないのかなと。

 三浦先生の仰っていた授業を変える三段階は本当にその通りだと思ったので以下に示す。その三段階とは①出会う②試みる③実践を人に見せるである。これについては敢えて詳述しない。

 到達点と今後への課題としてPDCAサイクルが出来つつあることや教職員の意識向上を挙げ、今後への課題に指導改善のためにさらなる指導改善が必要なこと、「探究」のマインドの醸成と実践の蓄積を挙げていた。公立学校にはさほど興味がないが強烈なリーダーシップの下面白いことをやらせてもらえるのはよいなと。

 自分にとって公立学校の偶然的要素が強いはネックである。

  個人的に教科・科目の「探究」から『総合的な探究の時間』、特別活動の「探究」から再び教科へという循環した高等学校の探究の図が好みだった。「①高等学校での「探究」によって問いの力を育む」「②生きていくうえで必要な「問い」をたてることができる」は個人的に大事だと思うことの一つ。

 パネルディスカッションはさほど目新しいことを言っていなかったし、グループでの話し合いもさほど面白いものではなかったので印象に残っていない。グループにいた大学生の進学校で受動的な学びしかしてこなかった分大学での学びの適応に苦労したという話は印象的だった。社会や大学に送り出すだけが仕事ではなく、その先を見据えた学びのあり方が今後問われているのだろう。

三浦先生に教科での「探究」とは何かについて問うたところ、教科においてやってみたくなるような「問い」を残すことがあるという返答を頂いた。

 

教育科学 国語教育 2019年 01月号

教育科学 国語教育 2019年 01月号

 

  この雑誌の特集で古田先生が「よい授業」の要件として挙げていた「授業者もわからない問いを共有する」と通底するところがある。

 狙いも明瞭で学習の流れが洗練されている授業は心地よいだろうが、自ら考える・問う学習者に育てる際にそういった良いと思われる授業が適切かという問いをここで共有したい。

てなわけで、

 次回は分科会での学びをば。

【記録】修士論文構想発表レジュメ

 昨日の構想発表のレジュメをそのまま記録として載せておく。ただし、敬称略を敬称有りに変える。

 

中等教育国語科における「探究」についての研究

  

序、何故「探究」か?

 

・今日的な要請

 

 平成30年度版高等学校学習指導要領により「総合的な探究の時間」「古典探究」「日本史探究」など探究を冠した科目が新設された。このことは今後の中等教育において探究が一層重視されることの一つの証左と言える。

 「深い学びの視点」について「中学校学習指導要領解説 総則編」(78頁)では以下のように示されている。

 

 習得・活用・探究という学びの過程の中で,各教科等の特質に応じた「見方・考

え方」を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解したり,情報を精査

して考えを形成したり,思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学

び」が実現できているかという視点。

 

 探究を学びの過程に位置付けているのは現行の学習指導要領と同様である。また,横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校編(2008)『習得・活用・探究の授業をつくる―PISA型「読解力」を核としたカリキュラム・マネジメント―』において既に以下のような指摘がなされている。(※1)

 

 新しい学習指導要領では各教科においては習得と活用が中心となり,総合的な学

習の時間で探究的な学習を行うことが求められているように思われるが,国語科に

おいては探究的な学習は大事である。その際に課題の設定について工夫したい。生

徒一人一人が自分の課題という意識を持ち,それぞれの課題に応じた解決方法をと

ることができるものを工夫したい。

 

 探究を総合的な学習の時間だけでなく,国語科でも行っていく必要があるという指摘は探究の価値が強調され,今後中等教育の現場において影響力を持っていく中で重要な示唆を与えるものである。しかし,現状の中等教育国語科において習得・活用に比べ,探究は理論・実践の整理が行われているとは言い難い。

教育課程部会国語ワーキンググループ(2016)は現行の高等学校国語科における課題として以下の4つを挙げている。(※2)

 

課題1:教科書教材等への依存度が高く、主体的な言語活動が軽視され、依然と

   して講義調の伝達型授業が行われる傾向

課題2:話し合いや論述など「話すこと・聞くこと」「書くこと」における学習が

低調

課題3:高校生の思考力・判断力・表現力の一部に課題

課題4:メディアリテラシーや課題探究に関する言語活動等があまり行われてい

ない

 

課題1・2が平成21年度の調査,課題3・4が平成24年の調査によって導き出されたものであるため,現状を正確に反映しているとは言い難いが,一方でこうした傾向が全くないとも言えない。中等教育国語科における「探究」の研究は上記のような平成30年度版高等学校国語科学習指導要領の課題意識に応える国語科学習指導の一助と成り得る。

 

・本研究における「探究」とは何か

 

 本研究の対象を学習指導要領における探究と区別し,「探究」と表記する。探究のプロセス(※3)を通したスパイラルな学びを想定するという点では共通する。主な違いは教科横断性の有無である。

 成田(2016)は安彦(2014)が提唱した「習得」「活用Ⅰ」「活用Ⅱ」「探究」を整理して示した。その中の「活用Ⅱ」が現段階における本研究の「探究」の定義と近い。相違が明確になるよう「活用Ⅰ」と「探究」と合わせて以下に引用する。(※4)傍線は稿者。

 

【活用Ⅰ】

・教科学習で習得した知識・技能のうち、活用させた方がよいものを、教師が選ん

で活用させる。

・教師主導でよい。

・その知識・技能な活用の文脈は、子どもにはすぐわかるような開けた既存の文脈

で活用させる。

・子ども全員に、共通に経験させ、達成させる。

【活用Ⅱ】

教科学習で習得した知識・技能を活用する。

・教師と子どもとが、半々に関わるもの(半誘導的なもの)

・その活用の基礎にある文脈自体も子どもにはまったく新しいもの個々の子どもに

よって、達成度は異なってよいもの

【探究】

・どんな知識・技能を活用するか、本人にしか分からない。

・子ども自身が決めて活用するもの。

・子どもも、新しい文脈でその知識・技能を活用する。

・個々の子どもによって、何を活用しているかは別々でよい。

 

先行研究について

 

酒井雅子(2017)『クリティカル・シンキング教育―探究型の思考力と態度を育む―』

 本書は哲学領域のクリティカル・シンキング研究者であるリチャード・ポール(Richard William Paul)の多元論理の探究理論に着目し,その理論に基づく探究教育の構造と教科学習(ランゲージ・アーツ)を検討している。それによって主に文学作品での探究やベースとなる「哲学的」討論の有用性とそれを日本に導入する際の課題を明示した。(※5)

八田幸恵(2015)『教室における読みのカリキュラム設計』

 本書は二部構成になっている。第Ⅰ部はアメリカにおける読みの教育目標論の展開を特に「読みの理解」の指導過程における「発問」・「問い」のあり方から検討し,第Ⅱ部は福井県公立高校教諭渡邉久暢先生との共同研究(高校国語科現代文「こころ」を教材とした高次の「読みの理解」を保障するカリキュラム設計)の成果を報告している。(※6)

  探究を明示した国語教育実践としては,灘中学・高等学校の井上志音先生(※7)による国際バカロレアTOK(Theory Of Knowledge「知の理論」)の趣旨を踏まえた国語科探究学習の実践を始めとして,主として従来から探究に取り組んできた国立大学附属校などで様々に試みられている。以降はそれらの収集・分析に注力したい。

 

研究方法

 

主として理論・実践・教科書の三つの視点から中等教育国語科における「探究」を検討する。

理論:探究学習(※8)自体についてとそれらと国語科との接続について

実践:過去の国語科実践を「探究」の観点で意味づけることと現在行われている実践の

体系化

教科書:過去・現在の国語科教科書の「探究」的要素の検討(主に問いや探究のプロセスに関わるもの)(※9)

 

現段階における研究仮説

 

・教科横断ではない国語科に根差した「探究」課題の検討

例えば,現行の「高等学校学習指導要領解説 国語編」76頁では,古典Bの言語活動

例「エ 古典を読んで関心を持った事柄などについて課題を設定し,様々な資料を調

べ,その成果を発表したり,文章にまとめたりすること」を「エ 課題を探究し,成果

を文章にまとめたりする言語活動」としている。対象を例示していないが言葉の変遷や

当時の人々の生活など生徒の関心に応じた課題が考えられる。

・教科横断や生涯にわたる探究のための探究のプロセスの経験,探究の方法の習得・活用を意識した「探究」

 例えば,広島大学附属高等学校では「国語総合現代文編」のうち一単位分35時間で

「説明的文章」を扱いながら「高校3年時にまとめる課題研究論文を書く力の基礎を身

に付けさせる」ことをねらいとした「課題研究基礎」が実施されていた。(※10)

 

 

※1 横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校編(2008)『習得・活用・探究の授業をつくる―PISA型「読解力」を核としたカリキュラム・マネジメント―』三省堂38頁。

 

 

なお,引用文の「新しい学習指導要領」は現行の学習指導要領のことを指す。同著12頁から21頁において高木展郎は「習得・活用・探究」の示された経緯・機能と内容について書かれている。

※2 教育課程部会国語ワーキンググループ(2016)「資料6:高等学校国語科の科目編成について課題は8つ挙げられているが,本研究に関わるもののみを今回は扱った。

※3 文部科学省(2008)『中学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編』(16頁)

※4 成田秀夫(2016)「高校での探究的な学習の展開」溝上慎一・成田秀夫編『アクティブラーニングとしてのPBLと探究的な学習』東信堂(51頁)

 

アクティブラーニングとしてのPBLと探究的な学習 (アクティブラーニング・シリーズ)

アクティブラーニングとしてのPBLと探究的な学習 (アクティブラーニング・シリーズ)

 

 

整理元は安彦忠彦(2014)『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり(教育の羅針盤)』図書文化社

 

「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり (教育の羅針盤)

「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり (教育の羅針盤)

 

 

である。

※5 酒井雅子(2017)『クリティカル・シンキング教育―探究型の思考力と態度を育む―』早稲田大学出版部

 

 

258頁の図7-1「『哲学的』対話討論からみた探究教育の構造」が参考になる。

※6 八田幸恵(2015)『教室における読みのカリキュラム設計』日本標準

 

教室における読みのカリキュラム設計

教室における読みのカリキュラム設計

 

 

 文学を対象とした「探究」は87頁・120頁の単元の概要及び第4章・第5章に示された単元の具体が参考になる。

※7 井上先生のの実践は日本私学教育研究所紀要53号,同研究所調査資料第254号に掲載されている。インターネット上での公開はまだ行われていない。(2018年12月14日確認)

※8 国士舘大学教授桑田てるみの研究を参照されたい。桑田てるみ(2016)『思考を深める探究学習 アクティブ・ラーニングの視点で活用する学校図書館

 

思考を深める探究学習: アクティブ・ラーニングの視点で活用する学校図書館

思考を深める探究学習: アクティブ・ラーニングの視点で活用する学校図書館

 

 

を始めとして,桑田の研究成果を本研究に組み込む予定である。

※9 稿者の研究課題『高等学校国語科教科用図書における「探究」に関する基礎的研究』が教科書研究センターによる平成30年度『大学院生の教科書研究論文助成』の対象となった。当該研究の成果を修士論文の一部として組み込む予定である。2020年7月に教科書研究センターが刊行する論文集に掲載予定である。

※10西原利典(2018)「「意見文を書く」(高1)―学校設定科目「課題研究基礎」の一環として」広島大学附属中・高等学校『国語科研究紀要』第49号

【雑記】冬の京都市内独り歩き

 

 

hama1046.hatenablog.com

 この続きを早く書けや!と思ってくださっている方すみません。15日以降必ずや。

心の余裕がない人が散見されるので余計なお世話と思いながらも京都市内の旅の癒しをおすそ分け。

 

 

京都大学

 

 バスの本数がなく、歩いてロカルノ先生おススメの京都国際マンガミュージアムへ。

肌寒いくらいが歩くのにちょうどよい。

 

あにはからんやさんとのすれ違い

天然ボケ炸裂。

 

京都国際マンガミュージアム

小学校の読本「言語文化」の授業づくりに役立ちそう。久々に『でんじゃらすじーさん』読みました。

 

絶体絶命でんぢゃらすじーさん 第1巻 (てんとう虫コミックス)

絶体絶命でんぢゃらすじーさん 第1巻 (てんとう虫コミックス)

 

 小学校時代は漫画家になると息巻いたが、中高時代を経て中等教育国語科教員を目指すようになった。人生は分からないものだ。

マンガミュージアムを楽しみ過ぎて…。

予定変更し、

 

伏見稲荷

登り切った時の感動は一入。