虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

大阪教育大学池田地区附属学校研究発表会とはこせんさん主催国語教育談義飲み会

 

こんなことばっかやってる。今回も夜行バスのお世話になり、関西へ。学びの多い日となりました。

はこせんさんの記事と合わせて読んでいただけると有難い。

 

メディアにひそむ意図を読みとる(大阪教育大学附属池田中学校小林信之先生)

 教育出版の「伝え合う言葉中学国語3」にある「情報を編集するしかけーメディアにひそむ意図―」という文章を中心に構成された単元である。メディアを扱うことは重要だと分かっているが難しいという小林先生の言葉は至極もっともだと思った。表現可能な時代だからこそ受け手を考えた発信をする力を育てたいという授業者の意図は言うまでもなく価値がある。

 新井先生のように受け手意識の欠いた情報発信は、受け手の混乱や主義主張の対立を生みかねない。情報の溢れる時代だからこそ慎重な情報の精査の必要性、言葉の持つ不完全さを自覚する学習が求められている。

 当該授業の言語活動は前時に作成したニュース(教科書にある皆既日食のニュースの静止画8枚から4枚を選んで絵コンテとニュース原稿を作成、1分程度)を視聴し合い、相互評価するというもの。面白かったのは編集方針が同じグループと違うグループの2回視聴、相互評価の活動が行われたこと、相互評価はワークシートを基に行われるがそこにニュースの出来についてだけでなく「同じことを伝えようとしているのに自分たちとは異なる表現なのは、何がどう違うからだろうか」「違うことを伝えようとしているのに同じ素材を使うことができるのは、なぜだろうか」という問いを与えていたことである。後者の問いについて見ていたグループの子が「日食を楽しみにしている人がいるという前提を共有してからニュースに入ろうとしている点で同じなんだ」と発言し、グループ内の学びが深まっていた。

 ニュースを作ることで発信者の立場になり、受け手を考えた発信をするという授業者のねらいは達成されたと考える。また、相互評価の段階でニュース作成時に考えていなかった点が主張者側から評価されるという場面が散見され、「情報は送り手の意図を超えて、受け手によって新たな解釈がなされることもある」ということへの気づきの種が蒔かれていたように思う。皆が発信者と成り得る時代、意図せぬ炎上を避けるためにも情報という概念理解も授業に組み込みたい。

 

二時間目はディベートという語に惹かれ高校の英語の授業を参観したが、英語でディベートが出来るようにする練習段階だったため早々と退散した。国語英語社会などでディベートは行われるだろうがそれらの共通点や教科に根差したねらいの違いはどこから来るのか考えさせられた。授業で使われていたボキャブラリーリストを見るに議論するための英語の語彙を増やすことに目的があるように思えた。

 

教育評価入門―資質・能力をはかる評価とは(大阪教育大学 八田幸恵先生) 

 

 

教育をよみとく -- 教育学的探究のすすめ

教育をよみとく -- 教育学的探究のすすめ

 

 

 

教室における読みのカリキュラム設計

教室における読みのカリキュラム設計

 

 を読み、話を聞いてみたいなと思っていた。元々母校茨木高校に勤めたいと思っていたが、京都大学教育学部に進学したことで(文学部に行けば…と仰っていた)研究者になっていたというマクラが面白かった。教育評価と指導要録の変遷は細かいので割愛し、パフォーマンス評価とルーブリックについてスライドと聞き書きを基に書く。

 パフォーマンス評価とは「もともと持っている見方・考え方を試行錯誤しながら組み換えていくプロセスをつつ、教科固有の見方・考え方を(高次の学力)をどの程度内面化しているかを評価する方法」で、その意味で「学校知を超えた生活知性への高まりを評価する方法」である。そのため、パフォーマンス評価は「既習の内容の総合」であり、「1時間のテストでは解けない問題解決過程をコントロールすること自体を指導する必要がある」のだそう。この際形成的評価と総括的評価の区別が曖昧になるため、定期テストのような総括的評価出来るものを保持することの重要性も強調していた。

  ルーブリックはチェックリストではなく「質的な基準」であり、学習者が「レベルアップするために何が必要かを具体的に記述したもの」であるという。この端的な説明で今までルーブリックに対して抱いていたモヤモヤが解消した。成果物を基に指導者がルーブリックを作成することで明瞭な指導が可能になるのだろう。

 

はこせんさん主催国語教育談義飲み会

 

 噂の美女国語科教諭はこせんさんと院生の私、来年度から教壇に立つ学部4年生2人で様々な方向で国語科教育について語った。

 現場で日々試行錯誤する人、生徒の前ではないが日々あーだこーだ考えている人、近い将来に教壇に立つ人で膝を突き合わせて語ることが出来たのは自分にとって有意義な経験だったように思う。

関西でもドタバタの院生。