虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

探究を探究する高校教師たち―第16回高大連携教育フォーラム(後編②)

以下の記事の続きである。

 

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  後編②ってなんだよ。

 分けたことで全体が見にくくならないよう改めて。渡邉先生は今回の発表で「新教科「現代の国語」において高次の国語学力を育むにはどのような単元をデザインすべきか。①どんな力を、②どんな教材・活動で培い、③どう評価するのか?特に、主体的に学習に取り組む態度をどう育むか。」を「議論したい問い」だと示した。今回はこの問いをさらに掘っていくところ及び実践の実態に入る。

 

①どんな力を(目標設定に関しての課題)

 

新学習指導要領対応 高校の国語授業はこう変わる

新学習指導要領対応 高校の国語授業はこう変わる

 

  上の本の「『まず教材ありき』の単元構想から脱却し、資質能力(指導事項)ベースの単元構想が必要である」という大滝先生の指摘を引用し、そうした授業に陥りがちな高等学校国語科の課題を示し、一方で「研究の発展により、教科固有の能力構造の検討・精緻化」は進み(スライドに八田幸恵 2015とあるがどの論文に対するものかを聞き落した。)、「国語科における本質的な学びのあり方についての共通理解も進みつつある」とする。しかし、「教科固有の能力構造の検討・精緻化は進んでいるとはいえ、目に見えづらい、言語化しづらい、高次の能力の内実を吟味し単元の目標として具体化するまでには各教師は至っていないことが多」く、「しかもどこかから借りてきたような目標が横行」しているとし、「今、目の前にいる生徒たちの状況に基づき(もちろん指導要領や社会の情勢もふまえ)、生徒の具体的な姿として描かれた目標を設定して、単元授業を構想していきたい 」という課題を示した。なお、これらの課題には(自分も含めての反省)と示している。以上が渡邉先生の「問いの背景」である。

 「改善のポイント」として、「学習指導要領や指導書等からの引き写し」のような「借り物の目標」ではなく、「教師自身の願いに基づく、主体的な目標の設定」や「「この生徒たちがこのような姿になってほしい」「このようなつまずきを克服して欲しい」といった目標の設定」をと強調なさった。そして「目の前の生徒にどんな力を培いたいのか」という「教師による目標吟味の徹底」を挙げた。

 上記の話から一年以上前に母校国語科の先生から伺った話を思い出した。

 

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 上の記事における「教師自身が出来ること」は以降の教材選定や発問等の関わり方に関わるのだろう。

 

 ②どんな教材・活動で(目標と学習活動を一体化するという課題)

 上の問いは「どうやってそんな力をつけるの?」と換言できる。「知識・技能だけでなく、思考力・判断力・表現力や、主体的に学びに向かう態度を培うことが大事、ってよく言うけど、それってどんな教材で、どんな方法で、つけるの??」という渡邉先生の「問いの背景」は共感するものが多いのではなかろうか。

 「どうやって力をつけるのか、に関する3つのポイントとして、渡邉先生は「生徒のものの見方・考え方を揺さぶる教材の選定」「学習課題・発問の選定」「学習活動の組織化」を挙げた。

 「生徒のものの見方・考え方を揺さぶる教材の選定」について渡邉先生は「書籍はもちろん、新聞、ネットからも、採用。自分が書くことも。」と示している。発表資料における「「力のある」教材はないか、常にアンテナを張り巡らせている」「一つの単元において教材を複数用意し、その「教材群」を用いて授業することがほとんどである」という言葉もある。幸運なことに良い実践者はこうした要素を持ち合わせていると知っていたのでこの指摘に驚かなかったが、これを当たり前にできるすごさは現場にいない私の予想をはるかに超えるものであろう。渡邉先生による教材選定基準は以下に詳しいそうだ。このブログを書き終えたら是非確認したい。

http://www.mitene.or.jp/~kkanabe/mokuhyouhyoukahonbun.pdf

 「学習課題・発問の選定」は「問いと答えの間が長い問い」(by石井英真先生)や「シンプルな発問」を用いるという。何となく感覚では分かるが、教室でこれらが機能するようになるには相当な思索が求められるのだろう。堀博嗣先生がどこかで書いていたように恐らく試行錯誤による洗練を経た末のシンプルさなのである。

 「学習活動の組織化」は印象的だった。スライドに「ぐーーーーっと考えて、わっ!て話す」とある。こんなに単純にまとめて良いかは分からないが、一つの例として個人の沈思黙考の末の話し合いなのである。教育実習で、活動に参加できる内容を個人で全員に作らせてからと叩き込まれた。高くジャンプするために膝を曲げるような活動の緩急なのだろうか。

 

③どう評価するのか?(評価に関する課題)

 「力がついたかどうかをどうやって判断するの?」「三観点から評価することが大事っていうけど、たとえば思考力の場合で言うと、どういうことが、どんなふうにやれていたら、思考力がついたって言うの?」という問いである。

 評価について渡邉先生は「生徒の頭の中を毎日・丁寧に見とり、指導の改善に生かす(形成的評価)」や「定期考査は、生徒の頭の中を把握するための大チャンス!!」という心構えからも分かるように「形成的にも、総括的にも評価する」ことを行っている。「「生徒の状況の把握」こそが評価の重要な機能」であるとし、「生徒は今、何を理解し、何を理解していないのか?」「どんなことにつまずいているか?」を「ノート ワークシート 生徒との問答 レポート 定期考査 自己評価等を使って生徒の状況を把握する」ことを絶えず行っているのだ。

 形成的評価については授業前から授業までの流れが非常に参考になる。「1 生徒は毎朝ノートを「オレンジ」の買い物かごへ提出しに来ます」「2 渡邉はノートの状況を見て、その日の授業構想を練ります」「3 気になる叙述があれば、呼び止め、説明させます」「授業中は課題が終わった人からやってきます」「一人一人の思考プロセスを確認します」(以上スライドから抜き書き)例えば今回の単元(後述)で渡邉先生は「説得力のある証拠や論拠を用いているか。」「自分の意見に対する反論を予想した上で、主張を伝えているか。」を「ずーーーーーっと見続けていた」そうである。ともすると教師はスタートとゴールだけ見て、ゴールでがっかりしがちである。全て真似出来るかはさておきこのくらい丁寧に見取ることが指導であり、評価なのだと思った。

 総括的評価の代表格は勿論定期テストである。渡邉先生曰く「若狭高校国語科チームは、基本的に、既習教材を素材とした考査問題を作らない。初見の問題で、つけたかった力が育っているか見ようと」するそう。甲斐利恵子先生の定期テスト観と共通する。「つけたかった力を測るのに最適な方法を選ぶ」ため、レポートで評価を行い「考査をしなかったことも」あるそうだ。今回の単元では迷った末に定期テストを行い、レポートで評価すればよかったと反省したそうである。最適な評価方法の見極めはやはり難しいのだろう。

 

私たちすべての教員に問われている問い

 渡邉先生は以下の問いを我々に投げかけた。

・我々は、「どんな力」を培いたいと考え授業を行うの?

・どのような教材・活動でその力を養うの?

・力が培えたかどうかを、どのように評価するの?

 今まで渡邉先生が論じてきたことは、我々もまた考えていかなければならない問いである。

 

思考しコミュニケーションする活動が自ずと生じる課題設定や場づくりを

 

  渡邉先生がバイブルというこの本の13頁に書かれている言葉である。渡邉先生は「ドリブルやシュートがうまいからと言って、良いプレーが出来るわけではない。知識を活用したり、創造する力は、そうした一般的な能力があると仮定し、その形式を訓練することによっては育たない。それは、学習者の実力が試される、思考しコミュニケーションする必然性のある中でこそ育てられる。ある分野の内容知識や思考力、さらにはその分野の本質を追及しようとする態度は、一体のものとして育っていく。」と主張する。

 この主張から「現代の国語」「言語文化」をそれぞれ「方法知」「内容知」とする分け方はよくないのでは・・・?と小さい声で。この分け方は二科目を一対のものとすべく納得しやすいものであるが、言葉尻だけを捉えて「現代の国語」においてドリル型学習のような細切れな学習が横行するのではと渡邉先生は危惧なさっているのだろう。こんなブログを読んでいる奇特な実践者は是非とも心にとどめておいてもらいたい。

 「方法知」「内容知」については以下の記事を参照されたい。

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 「そして最もお伝えし、議論したいこと」として「目標と指導と評価を一貫させたいですよね!ただし、目標を個別化・細分化してドリル化するようなやり方ではだめかなぁ。「主体的に学びに向かう態度」を育むことまで、しっかりと見据えた上で、単元を貫く学習活動を作るといいのでは?もちろん、学習過程では、「意見文の型」や「論証の方法」などの「知識・技能」論理的に考える力につながる(空所ママ・単元か活動か?)を組織する。でも、それだけではだめ。そして、そういう課題に耐えられる教材が必要。だから、教材発掘が大事。」と主張して締めくくった。教材発掘については「②どんな教材・活動か」で紹介した渡邉先生の論文を参照したい。

 

 まとめてみて渡邉先生の思考が少しづつ血肉になっていく感覚がある。こうした各地の優れた実践に学んで新たに教壇に立つ者達が旋風を巻き起こすというのも悪くない。ただ力尽きたので単元「伝統・文化とは?」については後日まとめます。年内には必ず・・・。