虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

探究を探究する高校教師たち―第16回高大連携フォーラム(中編)

 

hama1046.hatenablog.com

 以降はこの記事の続きである。

 

有言実行。

 

「高校生のための学びの基礎診断」実施に向けて取り組んできたこと~高等学校教育の質保証を目指す観点から~(岡山県立林野高等学校校長 三浦隆志先生)

 

 三浦先生は定員割れを起こしていた林野高校の校長に就任して以来様々に特徴的な取り組みを行い、学校全体を盛り上げる改革を行った。それらの取り組みで目指す高等学校教育の質保証について「高校生のための学びの基礎診断」「探究」を核としたカリキュラム・マネジメントを中心に報告なさった。

 どういう文脈だったかは忘れたが三浦先生の話によると高等学校で「総合的な学習」が実施されるようになって1年後の2004年に

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)

 

 この本が発売され、今日人口に膾炙している「格差社会」という言葉が流行語になったそう。この当時まだ小学生だったこともあり、そのことを知らなかったため印象に残っている。(そのくせ文脈は忘れた)

 林野高校は平成31年度から導入される「高校生のための学びの基礎診断」のため、文部科学省から「高校生の基礎学力の定着に向けた学習改善のための調査研究事業」に指定されている。「高校生のための学びの基礎診断」導入についてはただでさえ忙しい高校生の負担増やしてどうするのか問題や民間の介入などもろ手を挙げて賛成というわけではないが、定期テスト(授業者の物差し)と外部模試(大学入試に即した学力の物差し)以外の学力の物差しがあることでPDCAが回しやすくなり授業改善が進むこと、学習指導要領を見ずに授業を行うわけにはいかなくなる点については評価したい。しかし高等学校の教員はつくづく信用されていないと感じる。林野高校は研究指定校としてPDCAサイクルの確立に向けた先行研究を行っているというわけだ。

 研究は三年計画でPDCAサイクルの構築と資質・能力を育成する学校の仕組みづくりの二本立てで行っていそうだ。PDCAサイクルの構築として初年度に生徒の実態把握(課題「主体的な学びに乏しい」「学び続ける意欲が乏しい」・授業評価の復活・「OPPAシート」の導入)を、次年度に教師の「発問力」の向上(「ICEモデル」の研究・導入、Chromebookの導入)、資質・能力を育成する学校の仕組み作りは初年度に「チーム学校」のスタート(ワークショップでの振り返り、次年度の重点目標作り)を、次年度に「チーム学校」の展開(育てたい生徒像・グランドデザインの策定)を行ったそうだ。三年目の今年度は二本立てを統合した研究テーマ「生徒が主体的に深く学ぶ力を育成するために教師の発問や評価等について研究する。」の下、3年間で育てたい資質・能力を明らかにすること、資質・能力ベースで年間指導計画を作成すること、教師の発問力や評価方法「指導と評価の一体化」等の研究に取り組んでいるそう。

 

「主体的学び」につなげる評価と学習方法―カナダで実践されるICEモデル (主体的学びシリーズ―主体的学び研究所)

「主体的学び」につなげる評価と学習方法―カナダで実践されるICEモデル (主体的学びシリーズ―主体的学び研究所)

 

 一個上の先輩が卒論で扱っていたため上の本が印象に残っている。

 

教育評価の本質を問う 一枚ポートフォリオ評価OPPA

教育評価の本質を問う 一枚ポートフォリオ評価OPPA

 

 OPPAって響きが面白い。(薄い感想)読んでおいて損はないのかなと。

 三浦先生の仰っていた授業を変える三段階は本当にその通りだと思ったので以下に示す。その三段階とは①出会う②試みる③実践を人に見せるである。これについては敢えて詳述しない。

 到達点と今後への課題としてPDCAサイクルが出来つつあることや教職員の意識向上を挙げ、今後への課題に指導改善のためにさらなる指導改善が必要なこと、「探究」のマインドの醸成と実践の蓄積を挙げていた。公立学校にはさほど興味がないが強烈なリーダーシップの下面白いことをやらせてもらえるのはよいなと。

 自分にとって公立学校の偶然的要素が強いはネックである。

  個人的に教科・科目の「探究」から『総合的な探究の時間』、特別活動の「探究」から再び教科へという循環した高等学校の探究の図が好みだった。「①高等学校での「探究」によって問いの力を育む」「②生きていくうえで必要な「問い」をたてることができる」は個人的に大事だと思うことの一つ。

 パネルディスカッションはさほど目新しいことを言っていなかったし、グループでの話し合いもさほど面白いものではなかったので印象に残っていない。グループにいた大学生の進学校で受動的な学びしかしてこなかった分大学での学びの適応に苦労したという話は印象的だった。社会や大学に送り出すだけが仕事ではなく、その先を見据えた学びのあり方が今後問われているのだろう。

三浦先生に教科での「探究」とは何かについて問うたところ、教科においてやってみたくなるような「問い」を残すことがあるという返答を頂いた。

 

教育科学 国語教育 2019年 01月号

教育科学 国語教育 2019年 01月号

 

  この雑誌の特集で古田先生が「よい授業」の要件として挙げていた「授業者もわからない問いを共有する」と通底するところがある。

 狙いも明瞭で学習の流れが洗練されている授業は心地よいだろうが、自ら考える・問う学習者に育てる際にそういった良いと思われる授業が適切かという問いをここで共有したい。

てなわけで、

 次回は分科会での学びをば。