まだまだ暑い日が続くが夏が終わったなと感じる。
そう、大学図書館の 夏休みの長期貸出期間が終わったのだ。一時返却のために読了した上の本の付箋を剥がしていた際に興味深い記述を見つけた。
こちらで読了。青春18きっぷを使って無茶旅するのも退院したらできないだろう。
私は学部4年の頃に面白そうだ!と履修した講義でその存在と概論を知り、批判的教育学の文脈の発表を一度全国大学で聞いた程度。
The Politics of Education: Culture, Power and Liberation by Paulo Freire(1985-01-30)
- 作者: Paulo Freire
- 出版社/メーカー: Bergin & Garvey Publishers
- 発売日: 1843
- メディア: 文庫
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の14頁をもとに書かれた 先の本の記述に共感を覚えたので紹介したい。
フレイレにとって、「識字(リテラシー)」とは単に文字を覚えて読み書きができる、あるいは市民として不可欠な教養的知識を覚える以上のものを意味する。ことばの学習には、その背後に覆い隠された文化的な意味のヴェールを剥ぎ、その過程に関与する双方の人々の意識を高める機能が含まれているのである。彼にとって、識字とは文字を識ることだけでなく、自己と世界との関係を識ることでもある。(279頁)
「 自己と世界との関係を識ること」もまた国語科の目標だと捉えることは大げさだろうか。