国語教育史学会第62回例会での学び
第62回例会 2019.03.23に行ってきた。青春18きっぷでの関西周遊前に行けてよかったと思っている。以下、発表の概要と所感。
旧制中学校における現代文教材の価値意識―夏目漱石『草枕』を中心に―
(配布資料より)「『草枕』の採録数の変遷を調査し、その変化がなぜ生じたのかを検証する。教育界や文壇の思潮を受けて構築された『草枕』の教材価値を問うことが本研究の目的である。」
中等国語教材史からみた夏目漱石(<特集>音声言語の教育をどうするか)によれば、「戦前期の国語教科書に最も多く採録された漱石作品は『草枕』」で、次点の『吾輩は猫である』の2倍以上だそうだ。また、主に低学年向けの教材として『草枕』第2章が「峠の茶屋」、高学年向けの教材として第1章が「山路」(その他複数の教材名)として採録されることが多かったという。
「現代の思想が現れたものが現代文」であるという旨の『国語教育』の創刊者保科孝一の言葉を引用し「山路」がそれに合致したこと、自然主義の衰退と漱石の作風の変化によって「「深刻な思索」を描いた作家という評価軸が定まった」文壇における漱石像が採択を助けた、「教育界にとって望ましくない自然主義文学観」を転倒させる存在としての『草枕』など発表者による複数の視座から『草枕』の教材価値に迫る発表は無知な私に新鮮な驚きを与えるものであった。
質疑において採録の増えた1937年は日中戦争へ向かう時期であり、戦争への危機感という要因もあったのではという指摘もあった。小森陽一先生の最終講義を思い出し、こうした隠れた意図も教科書に込められていたのかと思いを巡らせた。膨大な量の注からご苦労が伺え、研究の重みを痛感した。
【草枕 (岩波文庫)/夏目 漱石】小森陽一先生の最終講義「戦争の時代と夏目漱石」でもたびたび引用されていたため読んでみたいと思っていたがなかなか読み切る機会に恵まれなかった。今回旅のお供として読… → https://t.co/r6QcErPfcp #bookmeter
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 26, 2019
「国語Ⅰ」設置時における「総合」概念―『中等教育資料』における大平浩哉の論に基づいて―
「国語Ⅰ」が元々「総合国語(仮称)」とされていたことは初めて知った。今もその影響が根強く残る「現代国語」と古典系科目の分断を解消することが狙われたようだ。 発表者は「「国語Ⅰ」の「総合」概念は、具体的にどのように構想され」たか、「何をどのように「総合」することが」条件だったかについて当時の教科書調査官大平による論考を対象とした分析を行った。
その結果「⑴表現と理解の二領域を含む科目であること。⑵理解の領域の中に現代文と古典を含んでいること。」、「混在とも混合とも異なるものであり、ある一つの立場や観点があって、その下に組織的・有機的に組み合わさっていくもの」が大平の構想した「国語Ⅰ」における「総合」概念であること、この概念は抽象度が高く、具体的観点が示されなかったことが幸田先生の言うところの「歪な「総合」国語」につながった可能性があると指摘した。
1960年代「現代国語」教科書カリキュラムの需要の実態に関する一考察―指導計画の模索と教科書カリキュラムの課題―(文部科学省 大滝一登先生)
先の発表に触れ、『中等教育資料』を基にした研究に価値があることを補足された。政治的な面で非常に難しい立場にありながら、出版や研究会など発信していく立場に立つというのはなかなかできないことだろう。現場の教員からは風当たりが強いように感じられるが、その姿勢に関しては非難されるべきでない。
当該発表は「現代国語」が実施された20年はどのような時代だったか、当時の教師たちによる指導観やカリキュラム観が色濃く表れている文献を調査し、適宜引用・考察する形式であった。現場の教師は何をもって「系統」と考えたか、これらをどのように受け止めたかかについて迫ろうという意図があったように思われる。石塚知二・栗林三千雄・隈部啓といった当時の高校教師の言葉に触れられたのは貴重な経験だった。記録は残しておくべきである。
会にまつわるツイート集。
幸田先生かっけー!
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 23, 2019
歴史的な流れを踏まえて今を見据えるといったあり方は憧れるなぁ。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 23, 2019
浜本純逸先生から後ろを向いて背中で押し進めるという言葉を軸にした総括があった。国語教育史に学び国語科教育の実践を積み上げてくというスタイルは1つの憧れである。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 23, 2019
幸田先生に「また来てくださいね」とお声かけ頂いたので、「NHK国語表現見てます!ファンです!」とお伝えしたら、「私も(貴方を)知ってますよ、有名人!」と仰られ、詳しく伺ったら何やら私のツイートの類いをまとめ幸田先生にお送りする方がいるらしい。恐れ多いわ_(:3」z)_笑
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 23, 2019
今日1のサプライズ。
Twitter芸人だからといって良い教師・院生では無いので会ってがっかりされないように勉強をする…。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 23, 2019
ということで読んだ。
以下、関西周遊中に拝読した際の雑多な感想ツイート。
【高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開/幸田 国広】を読んでいる本に追加 → https://t.co/Ab8xF0CxXW #bookmeter
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 27, 2019
「序章 研究の目的・意義・方法」「第1章 新制高等学校発足期の「国語科」像」読了。戦後初期の高等学校国語科成立の流れと「位相の異なる教科内容の混在」による「国語科」の困難を指摘。高等学校国語科における「経験」概念や増淵単元学習。示された教育課程における研究など更に探究したい問いも。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 29, 2019
「第2章 戦後転換期の「国語科」像-「文学編」「言語編」分冊教科書の研究-」まで読了。分冊教科書の存在はつい最近知ったがその内容を単に失敗と捉えていた。本章の精緻な検討から「言語編」に新たな「国語科」像を描き出す萌芽があったものの使命を終えたことを知った。「一元化」の夢は教科構造観
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 30, 2019
無しに実現し得ないものだったのだ。次期学習指導要領は必履修科目にメスを入れて「現代の国語」「言語文化」を新設することで、分冊教科書では成し得なかった高等学校国語科必履修科目における「二元の一元化」を実現しようとしているのかもしれない。どのような教科書・実践が出てくるか期待される。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 30, 2019
「第3章 高度経済成長期の「国語科」像-益田勝実国語教育論を視座に-」まで読了。今問題として取り沙汰されていることは既に議論されていたんだなと改めて。益田の言う「内言」の蓄積について個人的に頷けるところが多い。新学習指導要領の波を乗り越えるために1960-78年辺りの議論を抑えていたい。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 31, 2019
222頁に引用された時枝の「古典を読むことによって、自己を批判するといふ態度をとらなけれらならない。」「古典の中に、現代につながるものだけを求める態度では駄目である。」等の考えは最近学びの場でよく耳にする。「言語文化」の強調する「つながり」だけでは到達し得ない古典教育の意義だろう。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 31, 2019
【読みたい】八木雄一郎「国語科における『古典』概念の形成と成立-中学校教授要目の変遷とその要因から-」(『月間国語教育研究』No.458、2010年6月52-59頁)
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 31, 2019
『高等学校国語科の教科構造-戦後半世紀の展開-』226頁にて紹介されている。
【高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開/幸田 国広】新制高校発足から平成元年版指導要領までの約半世紀を複数の資料から立体的に論じた高等学校国語教育史の大著である。過去の科目編成や教科書を論… → https://t.co/qYA8qerarz #bookmeter
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 31, 2019
おまけ
日本国語教育学会高校部会で発表していた先生、昨日は国語教育史学会でお会いし、今日は教員採用説明会でお会いした。昨日は驚かなかったが今日はめっちゃ驚いた。
— 虎哲 (@TigerSophia61) March 24, 2019
都立高校の先生もいいなと揺れる日々。