これからの時代に求められる国語力について:文部科学省を先程まで読んでいた。
最近読む本や聞く話などで頻繁に取り上げられるためこれを機に読んでみようと思い立ち、印刷して読んでみた。15年前の資料とは思えぬほど現在の国語教育にも示唆を与える内容が多く載っていたため通読したことがないという方は是非一読して頂きたい。
以下、感想・疑問ツイート
ようやっと『これからの時代に求められる国語力について』(2004)を印刷した。部分的に目に触れる機会はあったが、全文をコピーすることはしていなかった。分科会委員で私がお名前存じ上げているのは、阿辻哲次・阿刀田高・甲斐睦朗・北原保雄・工藤直子・齋藤孝・田村哲夫(敬称略)だな。面白そう。
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年4月14日
5頁:「国語教育の大きな目標は,このような情緒力を確実に育成し,それによって確かな教養や大局観を培うことにある。」→前の段落に例示される「情緒力」は「自然に身に付くものではなく,主に国語教育を通して体得されるもの」なのか。そして答申だからかもしれないがやはり根拠となる情報は少ない。
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年4月14日
10頁に「望ましい国語力の具体的な目安」として、「課題解決のために必要な情報を収集し、情報を処理するための読み方ができる。」や「単なる感想文ではなく,思考,分析,判断を伴う小論文を書くことができる。」を挙げていることも興味深かった。
12頁:「人間の思考は言葉を用いる以上,その人間の所有する語彙の範囲を超えられるものではない。情緒力と論理的思考力を根底で支えるのが語彙力である。」→この指摘に関しては体感としてある為に同意する。しかしながら、この指摘を裏付ける精緻な研究が存在するのかを私は全く知らない。知りたい。
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年4月14日
16頁:「教科内容を情緒力の育成を中心とした「文学」(あるいは「読書」)と論理的思考力などの国語の運用能力の育成を中心とした「言語」という2分野に整理していくことも考えられる。」→「言語文化」「現代の国語」の新設はこうした考え方に大きく反映している?
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年4月14日
演劇を取り入れることも言及有り。
20頁:「情報化の進展は,自分でものを考えずに断片的な情報を受け取るだけの受け身な姿勢を人々にもたらしやすい。自分でものを考える必要があるからこそ,読書が一層必要になるのであり,「自ら本に手を伸ばす子供を育てる」ことが切実に求められているのである。」→情報を自ら作り出す探究の重視?
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年4月14日
23頁:中学生や高校生の「読者離れ」の背景には,彼らに一般向けの本を読むことができる力が十分に身に付いていないこともあるのではないか。読書という活動の特質から,自主性・自発性の尊重が重要ではあるが,学校教育で適切に指導することは必要である。」→いわゆる語彙力・読解力育成に課題あり?
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年4月14日
堀裕嗣先生の『国語科授業づくり10の原理100の言語技術』を読み終えたため、次は
を読む。「探究的な言語活動を通して国語学力を身につけさせる学習指導は、以前からの遠藤実践の特質である。」という本書の序における浜本純逸先生の言葉にもあるように探究的な国語科学習指導の検討に遠藤瑛子実践は欠くことが出来ないのだ。
去年度に以下の本を読み、遠藤実践の大まかな概要については既にわずかばかりの知識がある。
先の答申にも「日常の言語生活の中では,この「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語活動が様々な状況に応じて,複雑に組み合わされて用いられている」(7頁)ために「「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語活動を有機的に組み合わせて指導していくという観点が大切である。」(15頁)という指摘があるが、遠藤実践はそのことを念頭において総合単元学習を組織しているように思われる。
遠藤実践から探究と国語科学習指導の親和性を見いだしていきたい。