虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

2022年度日本国語教育学会全国大会に参加しました!

時差8時間を乗り越えて。2日間のオンライン学会参加が終了。

単元学習での授業を実践したい!と思わされたが、現環境で学期を走りながらの計画はなかなかに厳しい。反面たっぷりリフレッシュ・勉強期間があることに感謝。

 

3時間寝たがはっきり言ってまだ眠いし、今日はイギリスらしからぬ好天(夏は比較的こういう日が多い)なのでブライトンへ遊びに行きたいが、簡単に所感まとめを書く。

 

というのも最近読んだ

65頁における「書く衝動を逃さない」に従ったためである。

 

1日目 授業にふれて学び合う

 

基調提案(藤森裕治先生)

 藤森先生は本当に言葉に血が通ったかっこいい先生だ。学部時代の研究が本になるという天才的な探究者でもある。

読みたい衝動が抑えきれず、日本の古本屋でポチった。

 さて、そんな藤森先生は基調提案において副題の確認と評価・授業観の転換と4CH(チャンネル)モデルを提案された。

 印象的だったのは遊びの中で学んでいく幼児の教育に求められている、教員(幼稚園教員・保育士)が環境を整えていくことが小中高の教員にも求められているということである。教育に関して理解のある人は幼児教育がいかにプロフェッショナルな能力が求められているかよくご存じだろう。

 そのうえで「与えられた学習の結果を測定する評価から学習者が自ら学びを選択し、挑戦し、成長への可能性を自ら見出す評価へ」の転換が求められていると指摘する。端的に過去の評価から未来へ拓く評価へということだ。テストの比重が重い現在の評価に苦しい想いをしているので、勇気づけらた。

 それ以外のところに関しては私が下手に書くより日本語学 2022年 3月号 - 明治書院 (meijishoin.co.jp)を読まれた方がよい。4CH(チャンネル)モデルの円環的な学びは最近「円」を探究している藤森先生らしくてとても良い。導入していきたい。

 

公開単元「問い日記をつくろう!」(小4学校図書・文学教材「世界で一番やかましい音」)筑波大学附属小学校 白坂洋一先生

 全国大会はその場で授業を公開するという性質から、単元全体自体は見えにくいというところがあった。今回および前回は映像で単元全体を知ることができる構成になっていた。この点は1回の授業+説明よりも良い部分である。教育実習中にあった附属小での公開研で指導教官の方がおっしゃっていたのだが、1回の授業と説明だけでは見えてこないところもある。実際指導教官が授業公開するクラスにい続けたことで当日の研究授業で見えてきたこともあった。この点は今後国立大学附属校の教員になる(※確定ではなく願望)身として探究していきたい課題である。

 さて、「世界で一番やかましい音」という教材は存じ上げなかったのだが、公開単元での児童の言葉でその内容を把握できるほどに(もちろん白坂先生からの説明もあった)、児童は問いとクラスメイトとの協働、議論をもとにこの文章を読みこんでいる。単純に問いを立てて読みを深めるところにとどまらず(※この点は小学校を中心に各攻校種で実践が積み上がっているという意味で、否定の意味は当然ない)、「問い日記」で問いの評価とその理由、方法知の言語化、次はどんな問いを立てたいかという自己の想いを書かせる点が本単元の特徴であろう。その他の重要な特徴としては、読みの段階で個人・二人・三人・固定せずあらゆる人に意見を求める?といった学び方が選べる(Choice)こと、サイクルを三回繰り返したことにあるだろう。正直同じ文章を何度も読むのは飽きないか?とも思ったが、問いを立てて読むほどに新たな読みが発見できる教材だったのだろうと推察する。小4ということもあり、彼らがごんぎつねをいかに読むか気になる所だ。

 

 研究協議と展望は頭痛に苦しみながらだったので記憶がほとんどないが、桑原先生のように個人的経験(学力調査後の校長の問いに対する気づき)から学びを語る話が教室に溢れたら豊かだなと思った。

 

2日目 実践にふれて学び合う

 

 午前中(1時から3時)は高等学校話すこと・聞くこと分科会の発表を伺った。まず、東京学芸大学附属金指先生の司会の仕方が素敵だと思った。

 金指先生のスタンスは、発表から学んだ新鮮な驚きやアイデアをコメントする、肯定的に価値づけあたたかな協議の場を作り出すものであった。金指先生のように中堅・ベテランというポジションになっても謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けたい。個人的な感覚だが、国語教育史のように歴史を重視する研究を行う方は過去に学ぶことの重要性を知っているため謙虚であると思う。

史料紹介 高等学校における本居宣長作品の教科書掲載史 : 2005|書誌詳細|国立国会図書館サーチ (ndl.go.jp)

 国立大学付属学校教員の先輩の姿に学び、いつかこのような司会がしたいと思った。

 1人目の方は茨城県で読むこととして行った発表を、今回話すこと・聞くことととして依頼された、今年度から高校から中学へ異動させられたという苦しいお立場での発表であった。この話を聞き、学会における発表者人選の強引さは少々問題ではないかと思った。ただし三角ロジックの汎用性、発話に対する欠落・弱点を簡略化した型で見抜くことの有効性は指摘なさっていたと思う。

 母校東大附属でお世話になった大井先生の指導教官石塚先生が指導助言で提示なさった4.2 トゥールミンの三角ロジック – 向後研究室教材サイト (wordpress.com)Inspire High[インスパイア・ハイ]Expand Your Horizons.はぜひ活用したい。

 日本人は察せい文化で論証が弱いという嘆きや生徒にお前は言葉を使えているのかを鋭く問うのが国語の授業であるという教育観は刺さった。2学期「現代の国語」実践ではこの点を注意していきたい。

 また、「同じ場を共有している時に1人の人が長く喋ってはいけないんだよ。」「いっぱい垂れ流しているから偉いんだ。ではなくて、本当に納得させられているか。感心させられているか。」というお言葉をとある方に聞かせてやりたい。以下の本にたっぷり収録されてる。彼はパネリストではなく質問者であり、質問でパネリストの発言を引き出すという立場を忘れ、朗々と自説を語り、会の進行を妨げるという国語科教員として、いやそもそも一市民としてあるまじき暴挙を行っているということをここで糾弾したい。

 

 2人目は学習院女子中・高等科の深澤先生であった。彼は何を隠そう学習院女子中・高等科の席を争った戦友であり、開店休業している院国研のメンバーであり、ともに阪神を応援する虎党でもある。

cf)最後の活動

hama1046.hatenablog.com

 

 深澤先生の発表の神髄はその前提に立つ5つの問題意識である。共有したいのでママ示す。

①身につける力と適切な活動

「何を学ぶか」ではなく「どのように学ぶか」が問われる
☞何の活動が何の力を身につけることに繋がるのか、吟味しつつ実際にやってみないとわからない
②目に見えないものへの評価

「話すこと・聞くこと」は成果物として残せず、また活動の過程を可視化するのも困難
☞評価規準の設定がとにかく難しい
③学習者の興味・意欲の欠如

表現の分野に苦手意識を持つ学習者や取り組む意味を見出せない学習者への指導が困難
☞主体的に取り組ませるにはどうすれば良いのか
④指導する教員自身の経験不足

指導する教員全員が学習者のモデルとなれるような、上手な話し方ができるわけではない
☞いかにして良いものを見せるか
⑤「話すこと」に偏る指導内容

「話すこと」に偏りがちになる
☞ 「聞くこと」の指導が疎かになり、学習者も自分が「話すこと」で頭がいっぱいになる

 「学習者の中には、①もっと「聞くこと」を楽しみたい者がいる②「聞くこと」を通して自らの「話すこと」へと生かそうという者がいる」という実態を昨年度の実践から看取し、「聞くこと」を重視した指導を実践を展開したという流れが素晴らしかった。

持ち上がりで見ることができるという勤務校の特性を十分に生かしている。

 スピーチの実践では話す側としては1分という制約を設け、話し方でなく、内容で評価することを生徒に周知したうえで、聞く側には評価用紙を書かせて聞く必然性を与える、ベストスピーカーを選出するというゲーム性をもたせて意欲を持たせるという工夫がなされていた。女子高の先生らしい細やかな配慮としてはマイクを持たせて、声量の要素の障壁を取り除いた点であろう。私は思い付きはしても面倒だとそこまで準備しないだろうとも思った。

 評価用紙には良いスピーチを見いだす工夫がなされていた一方で、そこで採用された5件法に対し、5と4とを分ける理由は何かという旨の質問があった。この質問によって授業者である深澤先生が3基準となるスピーチを見せ、これより良いものを4、ベストスピーカー候補を5とするように指示していたことが明らかになった。これを聞き、3件法(心に残らない・心に残った・見どころあり)とし、見どころありとした場合はその理由を必ず端的に書かせるといいのかなとも思った。

 指導・助言ではテーマが自分の好きな言葉と少し、「自分」へと閉じてしまっている点がもったいないので言語文化を調べ、それをスピーチとしてもよいのではないか、また定期試験をしなければいけないという状況に対し、スピーチで扱われたものを出題するといったあり方で知識面を問い、必然性をもたせることもありなのではいう指摘がなされた。

 ワードウルフは1時間で学期初めに行い、非プレイヤーの生徒が聞き役に回り、観戦したゲームにおける効果的な発言を評価するというものであった。(この点は私の質問で引き出された、どや顔)


www.youtube.com

 

重要なのはプレイヤーではなく、聞き役であるという指摘は

 

ディベート編でも取り上げられていた。早稲田で町田先生のご指導を受けていたことが直接・間接問わず深澤先生の指導に生きているのが見られ、嬉しくなった。今回を踏まえ、今後どのような実践を展開させるか楽しみだ。負けていられない。

 

 単元学習実践報告では、元神戸大学附属中等学校、現兵庫県立高校平松先生の古典×SDGsの総合単元学習と東京学芸大学附属小金井中学校数井先生の卒業単元の報告を拝聴した。

 平松先生の発表は教材選定の妙、生徒がどのようなテーマを選び、どのようなものと関連させたかが神髄であったが、淡々とした発表の中ではその素晴らしさがなかなか見えにくいものだった。実際の授業や報告の文章を読んだ方が味わえそうだと生意気にも思った。以前拝見した

www.meijitosho.co.jp

や読んだことはないが教材選定の妙が見えそうな以下の本を読みなおしたい。

 たしか浜本先生編集の総合単元学習の実践集にもご論考を寄せていたと思われる。それでお名前を一方的に存じていて、発表を聞きたいと思ったのだ。修論に組み込めなかったが、遠藤瑛子実践は国語科における探究を考える示唆を与えるのではないかと考えている。

 

 

彼女の系譜をひくのが平松先生だと考えていたのだ。

 

 

 質問で確認した総合単元学習の定義(一般的なものに加え、神戸大附属中時代から受け継がれた独自の見る・見せる?が加わっていること)や古典への想い(高校卒業後顧みられなくなってしまう)には熱いものがあり、直接話したらどんどんみ国語教師としての魅力があふれてくる人なのだろうと推察した。

 数井先生の実践は生徒が3年間の学びを振り返り、スピーチをする、それを機にクラス対話を開いていくという卒業単元であった。なべしょーさんの「この単元で付けたい力はありますか?」という問いに対し、即座に(もう付けてきたので)ありませんとさらりと言ってのけたのは痛快であった。数井先生はある生徒とのクラス対話を対話ではなく、議論になってしまったと振り返っており、ここに強いこだわりを感じた。

下記にそんな数井先生との衝撃の出会いを記している。

hama1046.hatenablog.com

 

 2日間の学会参加を経て、改めて今年度で日本に帰ると決めてよかったと思う。楽しいことも多く、成長をもう少し見ていたいと思う生徒もいるが、現在は7種類の授業準備、日々の業務に追われ、単元学習なんて考えている心の余裕はなかった。この3年間唯一単元もどきをやったのは1年目の在宅勤務時であった。あの時のような余裕のある日々は二度とないだろう。忙しい中でもある程度少ない授業の種類で、腰を据えて探究的な国語科単元学習をできる環境に移りたい。