虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

哀れなどくほ氏に魂の救済を―「普通の教員」はどこにいるのか

※稿者はD.Grey-manを読んだことがありません。あしからず。

発端はどくほ氏のこのツイート。

僕は「少年の日の思い出」を読んで普通の教師は「泥棒ダメ」って教えるんだ。でもそれなら「泥棒ダメ」って言えばいいだろ?これが小説であるからには、教訓なんか抜き出さずに、それを存分に楽しむ授業をする。と言って授業を始めました。

byどくほ@国語教師(@pri_japanese)

ツイ消し対策に引用もしておく。

朝起きたらコクゴさん(@kokugo_t)が私の言いたいことを言ってくれていたのでRT。あすこま先生のことばも上からではなく、良き先達としてという感じで素敵。 ただコクゴさん、鍵アカウントでないのなら引用リツイートで教えてあげた方が親切ではないかと思いますが。

 あえてリツイートしましょうよ、哀れでフォロワーに恵まれない彼に自戒の機会を与えてあげてください。 私は鍵アカウントなので、私がやったとてただの内輪での晒しという下卑た真似になってしまうのです。藁人形論法というと以下の本を思い出す。

なぜ彼が「哀れ」か、それは現状で彼が「「普通の教師」を舐めてて自分はできるって思い込んでる感じの勘違い」を自覚できる立場にいないからである。引用リツイートで彼のツイートの批判しているのは今のところ見受けられない。

スクショを晒し上げるだけなら誰でもできる、自分にとっては相手に通知のいかないので安全安心な場所から自分をフォローする人にだけ見せしめで叩くことができる、まさにお手軽なTwitter文化である。一方で引用リツイートは引用した人が鍵アカでない限り相手に通知が行く。宣戦布告ととられることもある。鍵をかける前はあえて宣戦布告をする不遜なアカウントであった。今は生徒にアカウントバレするのを恐れる一鍵アカである。しかしこのブログは公開されている。

どくほ氏と相互フォローの心ある読者の方はぜひこの記事をシェアして彼に届けてほしい。私の声が彼に届き、彼がこの記事の消去を望むならこれ以上の幸運はない。