今後の読書のために②―助川幸逸郎先生の著作をご紹介
下の記事が大好評(大嘘)につき、第二弾。
初の単著はこちら。
文学理論の冒険―“いま・ここ”への脱出 (東海大学文学部叢書)
- 作者: 助川幸逸郎
- 出版社/メーカー: 東海大学出版会
- 発売日: 2008/03/01
- メディア: 単行本
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アマゾンレビューが秀逸で侮れない。「役に立った」をクリックして謝意を表するとともに以下に引用する。なお、太字は稿者による。
アジアの息吹さん(☆5)
もともとは源氏物語を専門にする、気鋭の文学研究者初の単著である。
しかしながら源氏物語を分析しているのは(しかもジャック・ラカンを用いて!)
全八章中、冒頭の一章に過ぎない。
そしてその後第六章までは『デスノート』や『ノルウェイの森』に始まり、
精神分析や腐女子にまで言及、近現代文学にとどまらず、
アニメ・マンガ・映画までその視野に入れた幅広い議論が
読み易い文体と共に展開していく。
しかし本書を読んでまず感じる「軽さ」を、文字通り軽視してはならない。
本書を通じて通奏低音の様に流れるのは、著者の人間に対する深い興味と関心と、
変わり続けること(=成長?)への絶対的な信頼である。
文字やその他メディアからも、背後にいる人間の息遣いを感じることは出来るし
彼らが変わっていこうとする意思を、時を越え愛しむことも出来る。
そしてそのことを自らの体験に重ね合わせ、軽い文体で随筆風に著述する
第七章・第八章は、愁眉である。
神谷和宏さん(☆5)
簡単に言えば、読み物としてもおもしろかったという感じ。
若い筆者らしく、文学理論や(表題になっているのだから当たり前だが)文学と隣接する他の学問の理論(精神医学等)を援用しながら、『蹴りたい背中』『デスノート』等々の新しい題材を切ったり、今度は比較的古い三島文学を最近の事象である「腐女子」と絡めて切ったりと、興味は尽きない。
文体が平易でしかもエッセイ調のところもあるので読み進めるのは楽なんだけど、要素が濃いので、読み返さないと咀嚼できない部分も多い。
また、ともすればこの手の本の中では一見「軽い」のだが、テクストを丁寧に追う姿勢はいかにも大学の演習的だし、柳田国男の理論を軸に読み解くなど、王道を逸していない。
最後尾は演劇論。
『源氏物語』から始まり、民俗学、昨今の文学(マンガ含む)を扱うパースペクティブの広さが秀逸。
扱う作品の幅広さや分析の切り口に対する高評価が伺える。3人中2人が随筆・エッセイと文体を評しているのも面白い。
こんな本を出されているのも頷ける。エッセイストに憧れがあるので是非勉強したい。
専門とされる源氏物語について『新時代への源氏学シリーズ』の編著も担当されている。以下は
を参考にお名前があるものをピックアップした。
こんな本も!
こちらでの連載をまとめたのが
助川幸逸郎先生の著作読者メーターで少しだけ試し読みできた。
— 虎哲 (@TigerSophia61) August 30, 2019
めっちゃ面白そう。豊富な引用と問いから始まる探究的な文。
「問いから始まる探究的な文」は特に『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』で思った。
マルチな人に憧れる。
— 虎哲 (@TigerSophia61) August 30, 2019
などと呟いていたらフォローして頂き
お早い。笑
— 虎哲 (@TigerSophia61) August 30, 2019
『本田翼はなぜいつも旬なのか』をいつか書きたい。笑
村上春樹は、私にとって長らく、
「好きとはいえないが、新刊が出たらかならず読んでしまう不思議な作家」
でした。
という書き出しは多くの人の共感を得て、「結末までつれていかれる」ことうけあいであろう。ちなみに私は恥ずかしながら『風の歌を聞け』と大学院の演習で読んだ教科書に載っている(た)短編全てしか読んでいない。彼の短編では一番異色と言われる「沈黙」が一番好き。
上の三作品は読書メーターで数ページ立ち読み出来ます。おすすめ。
長らく読みたい本リストに名を連ねている
- 作者: 鈴木泰恵,助川幸逸郎,黒木朋興,高木信
- 出版社/メーカー: ひつじ書房
- 発売日: 2009/11/27
- メディア: 単行本
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の編者を担当していた。
テクスト論を中心とする、70〜80年代に受容された欧米文学理論はもはや過去のものにすぎないのか? そして文学教育は、「実用性」を欠いた無用の長物なのか? このような問題意識の下、内外の文学研究と国語教育の歴史を振り返り、〈いま〉という時代に必要な新しい文学教育の理論を提言する。文学教育の場が、「教師が一方的に意見を押しつける場」とも「生徒が言いたい放題意見を言う場」とも違う、「他者との関係を学ぶ場」となることを目指す。
という本の内容紹介がとても良い…。(太字は稿者、国語教育史学会会員の端くれとして特に惹かれる部分)
以下についてはシンポジウムや対談等協働によって生み出されたと思われる著作。日本読書学会大会で『読書教育の未来』の刊行について伺ったときも思ったが、ひつじ書房さんもアツい本を出す出版社だよなぁ。
可能性としてのリテラシー教育 21世紀の〈国語〉の授業にむけて
- 作者: 助川 幸逸郎,相沢 毅彦
- 出版社/メーカー: ひつじ書房
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: 単行本
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助川先生はとんでもなく人たらしなのではないか?という仮説。
最新作
の出版を記念したイベントが池袋ジュンク堂で開催される。
電話で申し込んだ。早速本を大学図書館に入れて頂こう。(恒常的金欠大学院生)
— 虎哲 (@TigerSophia61) September 2, 2019
honto店舗情報 - 【19:00開演】『平成の文学とはなんだったのか』(はるかぜ書房)刊行記念重里徹也×助川幸逸郎トークイベント 平成文学の三十年を一望し縦横無尽に語り尽くす対談集 https://t.co/05D44XI4l3
ご興味がある方一緒に参りましょう!
なので、本書はとてもわかりやすい入門書となるであろう。
ではなぜ評価が低めかというと、筆者の「書き方」ではなくてむしろ本書で紹介されている「文学理論」それ自体についての評価による。
本書の多くで用いられているのはポストモダン的な文学理論で、作品の内容を「性的欲求」「性的シンボル(ペニスなど)」「去勢」などといった「すべては性的なもので説明できる」といった精神分析チックな枠組に押しこんで解釈する方法をとっている。
こうした解釈が「作品の内容をより豊かにするか」と言われると甚だ疑問であり、ラカンなどの世界観を信奉する人が、自らの世界観に合致するように作品を強引につなぎ合わせ、自らの世界観の整合性を再確認し安心する以上の有意義さははっきり言って見出せなかった。
上記以外の方法にしても、あらかじめ枠組を用意しておいて、その枠組みに作品を押しこんで解釈するというタイプの方法が多く、「そのような解釈をとることでどういう意味があるのか(読みが豊かになるのか)」という問いに答えられないように思えた。
なので、本書で面白いと思えたのは、最初から「多くの作品は以下のどれかに分類できます」と正面切って宣言して、その類型化を行うような部分であった。
例えばフライの批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)から引いている、主人公の強さを基準にした「神話/ロマンス/高次模倣様式/低次模倣様式/アイロニー」の類型化は興味深かった。
これらはあくまでも多くの作品が備える「特徴」を集めてきたもので、さまざまな作品に当てはめることでその妥当性を検証してみることもできる。
また王朝物語必携による話型に分けた分析も同様に興味深いと思った。
個人的には、後者のようなものをもっと中心にした入門書であってほしかった。