虎哲の探究

単なる私立校国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

全国漢文教育学会教育講座1日目

 今年から全国漢文教育学会の会員になりました。入会のきっかけを端的に言えば、6/17の大会を経てここで学びたいと感じたことと、会費がお安かったこと。会員の年齢層は比較的高めだが、お声をかけてくださる先生方は概して鷹揚で心惹かれる。

全国漢文教育学会

 

漢詩を読み直す―訓詁、考古、翻訳を手がかりに―(松岡榮志氏)

 松岡榮志氏は東京学芸大学の名誉教授で、六朝文学や漢詩、中国語など幅広く研究があるそうである。昨年度まで筑波大学附属高校に勤務されていた塚田先生とは大学時代の同級生だそうである。

 李白の『静夜思』の朗読から松岡氏の講義は始まった。朗読は訓読ではなく、中国語の発音で行われた。当然ながらこれまでの訓読とは違う趣が感じられ、新鮮であった。漢詩の授業で訓読・中国語双方の音の響きを味わうことの面白さを知った。例えば、杜甫『春望』の「国破れて」は中国語で「クッ パー」と発音し、音からまとまったものがほぐれていくようなイメージが湧いてくる。

 続いて漢詩の言葉のイメージをしっかりと捉えられているかという話に。『静夜思』の場面を絵で描くよう指示され、我々が書き終えてから松岡氏は『静夜思』の語釈についてお話を始められた。有名なものだが、『静夜思』の「床」は床ではなく寝台(中国で鑑定師が床は寝台とは限らず、椅子などの可能性もあると指摘し、中国で話題になったそうである)、「地」は地面ではなく床(中国語で地面は土地らしい)などの違いがある。この他に「山」や「海」という語も中国語と日本語で支持する対象がやや異なることを指摘し、漢詩における漢字を日本語のままに捉えると、元々漢詩が持つイメージと離れてしまうということを教示された。言葉のイメージを捉えているかを知るために絵を描かせることも有効であるとおっしゃっていた。私も書いてみて、漢字の持つイメージの相違が分かった。

 漢詩の翻訳については押韻の問題(阿倍仲麻呂の「天の原」を漢詩に翻訳したものが石碑に書かれている、英語の詩も押韻があり、それを優先し原作の漢詩と順番が入れ替わっているものもあるなど)、漢詩の言葉やイメージをどのように反映するかを中心にお話しされていた。

 考古との関連でいえば、当時のものや言葉を調べることで漢詩のイメージに近づけることをお話しされていた。

 漢文教育については、私立高校非常勤講師時代に生徒に漢字の書き取りを徹底的にやらせた結果後に生徒からあの時の学びが役に立ったと声をかけてもらえたこと、自分の息子に『論語』等の素読・視写をやらせたところ非常に国語力がついた(東大を卒業され、現在は助教授。論文の論理はしっかりしているが、言いまわしがやや古臭いそう。祖父にやってもらうことが重要。)ことなどをお話をなさっていた。

 最後に、学習者にどのように興味を持ってもらうかは教える側がどう興味を持って取り組むかと表裏一体であること、小さな疑問素朴な疑問を大事にすることが重要であるとして講義を締めくくった。教育一般通じる指摘である。

 

実践報告~主体的で深い学びの試み~(加藤和江先生)

 表題の通り「主体的で深い学び」を目指した過去の実践の紹介が主たる内容であった。表題には「対話的」の語が欠落しているが、当該報告は「対話的」な要素を含んでおり学ぶべきところが多かった。

 一つ目に紹介された実践「一 項王の「笑」はどのような笑いか。」は多くの教科書に掲載されている『史記項羽本紀「項王の最後」を扱ったものである。「項王笑曰」の部分の「笑」の解釈は指導書及び研究者の間でも解釈が割れているそうである。それを踏まえた上で、生徒はどのように考えるか本文を根拠に考えさせたいというのが実践の趣旨である。項羽が「笑」って言った内容について①3回の反語表現から複雑な心情が読み取れること②死を覚悟していることは踏まえさせ、「苦笑い」「微笑」「寂しい笑い」「大笑い」(先行研究を参照しこの4つにしたそう)の4グループに分かれ(自身の選択による)、ワークシートを記入して意見交換し、グループの代表者が発表するといった学習の流れである。この学習の成果は終始意欲的に取り組めたこと、項羽の心情理解という点で生徒がおおむね狙いを達成できたこと、課題は根拠の探し出し方や記述の仕方だそうである。解釈の揺れは個展においては当然起こりうることであり、それをいかに教室で扱うかという点で当該実践は示唆的だった。課題に関しては、単元同士の有機的・螺旋的なつながりを持たせることで解決し得るだろう。

 二つ目の実践「二、「雑説」から意見文へ」は先生が20年前に9割以上の生徒が大学に進学しない高校で行った実践である。「雑説」の論旨の明快さを捉え、意見文の執筆に生かすという趣旨の実践と言える。先生は教科書の考える「雑説」の構成を否定し、「世有伯楽~千里称也」を第一段落(主張の提示)、「馬之千里~天下無馬」を第二段落(具体例・反論からなる論証(樺島忠夫『文章構成法』の定義による))「嗚呼其真~不知馬也」を第三段落(主張)で構成される双括型であると分析する。学習の流れは以下の通り。

1次:「雑説」の読み、書き下し文、口語訳の確認(8時間)

2次:「雑説」の主題を確認し、文章の構成を考える。(要旨・構成・比喩・主張をワークシートを活用しつつ確認)(2時間)

3次:意見文の書き方を「雑説」を例に学ぶ。自分の書く意見文の問いと答えを設定し、取材(友人・親・教師等の意見を聞く。その際必ず反対意見が出るように)を行う。

4次:構成を考え、双括型の意見文を実際に書いて(「雑説」の構成を反映した枠組み指定作文)、推敲、清書する。(3次と合わせて6時間)

当該実践の成果は取材活動が活発に行えたこと、双括型の意見文が書けるようになったこと、課題は「雑説」そのものの理解が進んだか確認できないことだそうである。構成指導の方法として、①読みにおいて、結論探し→他の部分との関係や展開の仕方を考えさせるという学習を行うこと②韓愈・柳宗元の文章の比較などが有効であるそうだ。

 現代文・古文・漢文という枠組みが解体される可能性がある新学習指導要領において、こうした学習は価値がある。先生も林四郎氏の「漢文は日本文章の教師」という言葉を紹介し、漢文の持つ論理性について指摘されていた。この辺に関してはレポートで利用したこの本をいま一度読んで検討したい。

 

 質疑においては、「雑説」の扱い方の揺れ(「古典B」が多いそうだが、「国語総合」に置いて扱っているものも見られるという。)、「雑説」の持つ教材価値(論理性の問題、そもそも教科書における「雑説」は4つある説のうちの一つで「馬説」と呼ばれるものであることなど)が話題になった。

 

考えさせられることが多く、初日ながら参加してよかったと思える内容だった。

 また学会で大御所の方とお話しするサプライズ。いつかこの学会で発表の場を持たせてもらえるよう努めねば。そのためにも今日もお勉強である。