虎哲の探究

単なる私立校国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

日本国語教育学会全国大会2日目の振り返り②

 

大学部会シンポジウム「国語科における論理的思考」

研究でも扱うところであるが、論理的思考の定義は難しい。そんな思いからヒントを得るために、この部会に参加した。

 

「論じる」を学習・指導のキーワードに(渡辺哲司氏)

 渡辺氏は本職は保健・体育科の教科暑調査官で、趣味として文章表現を探究している者だと自己紹介された。そんな言葉を額面通りに受け取った私は渡辺氏の発表内容に魅了された。それもそのはず、『ライティングの高大接続―高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ―』(玉川大学出版部)の著者であった。生協の書籍購買部で読みたいなと思いつつ、金銭面で断念した覚えがある。読まねば。

 

ライティングの高大接続?高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ

ライティングの高大接続?高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ

 

 

www.s-locarno.com

また、ロカルノ先生のこの書評も極めて参考になる。私も読み次第書評をまとめたい。

渡辺哲司のホームページ

輝かしい経歴の持ち主、また母校の元教員疑惑もある。(ヒストリー「C中学・高校で体力テストと双子の研究」)

 渡辺氏は大学での経験から、大学生がレポートを書けないこと、卒業論文のテーマ決めに苦戦することに問題意識を持っている。ここが探究の出発点だったと推察される。

 さて、渡辺氏は「日本の大学新入生はレポートを書けない」という問題が「要するに「高校までの訓練が足りない」こと」によると指摘し、反復訓練の必要性を説いた。ただ、「論理的に考え、表現する」力をつけるための反復は国語科だけで十分に達成されるものではなく、他教科の協力も必要であるとし、「それは可能、かつ、元来どの教科にとっても有益だ」と前述の文献にも示されたデータを参照して主張された。

 これを踏まえ、他教科の協力を得るうえで、国語科には「「論理的に考え、表現する」力を培うために学校で行われるすべての実践を、言葉のプロとしてサポート/リードする」役割があると主張する。やや私には荷が重すぎる気がするが、こうした役割を担うだけの実力をつけねばならないのだと背筋の伸びる思いがする。渡辺氏は先の主張に、「ここでいう「言葉」とは、言葉によって考え、表現するための技術全般」であると加え、「そこに含まれる事柄は大小多岐にわたる」が、「論じる」という語に収斂され得ると主張する。

 渡辺氏は「論じる」を「問いを立て、それに根拠をもって答える」ことと定義する。とりわけ、「問いを立て」る経験の不足が先述の問題を引き起こしていると指摘し、「論じる力」の育成に反復訓練が欠かせないと強調する。また、「論じる」を学習・指導のキーワードとすべき理由を

①シンプルな常用語であること

②内容豊かな語であり、一まとまりの概念を示し得る抽象性を備えていること

と述べている。「実際「論じる」は抽象的であるがゆえに、そこからいくつもの具体的な事柄を導き出せる」という点で一貫した教育を実現し得ると結んだ。

探究もシンプルに表せば、「論じる」ことに収斂される。探究を単なる思索ではなく、思索を他者と共有することとするならば、内容だけでなく形式を備えたものとすべきという主張に無理が生じないなどと自身の研究について考えた。

 

「論理」「思考」の意識化・自覚化―「実の場」の学習デザインを通して―(佐藤多佳子氏)

 佐藤多佳子氏は小学校の教員を経て、上越教育大学院で教鞭をとられている。

 佐藤氏は難波博孝氏の、「論理とは「理由」と「主張」のつながりである」「論理的思考力は理由と主張のつながりが適切であるか判断する能力である」という定義を引用して紹介し、さらに同氏の、文脈によってその解釈が変わるという考えを示し、国語科で扱う論理的思考は「送り手と受け手、何かしら主張をする自己とそれを聞く他者のコミュニケーションの過程とみなされるべき」と主張する。

 また、「コンテクストに照らしてことばや事象の関係や意味的なつながりを考えることを重視」するうえで、「実の場の課題解決的の過程」の学習デザインが必要であると続ける。「ことばを駆使して課題解決を図る国語科では、論理とレトリックの混同や這い回る課題解決を避けるためにも「論理」「思考」の意識化・自覚化が重要である」とし、そのうえで実の場に加え、自分の考えを説明する・他者の考えと自分の考えを比較する・評価する・自分の考えを修正するという「他者との相互作用的活動」の必要性を説く。実の場や他者との相互作用的活動によって「論理」「思考」の意識化・自覚化が図られ、次の学習・他の場面に転移可能な資質・能力と成り得るとし、その考えに基づく自身の実践でその有効性を示した。

 佐藤氏の発表は内容もさることながら、まさに理論と実践の双方から検討されているので、研究の参考になった。スライドに引用されていた井上尚美(2007)『思考力育成への方略―メタ認知・言語論理―〈増補新版〉』(明治図書)は読みたい・読まねば思う本である。(卒業論文指導の際、指導の先生から「読めば」と言われた本だったことを今思い出した)

 

思考力育成への方略―メタ認知・自己学習・言語論理 (21世紀型授業づくり)

思考力育成への方略―メタ認知・自己学習・言語論理 (21世紀型授業づくり)

 

 

国語科における「論理」の意味とその問題(松本修

 まず、松本氏が一貫して「論理と述べ方・順序とには原理的な違いがある」こと、「論理」がどのような意味で用いられるのかはっきりしないことを教科書や学習指導要領などの具体から明確に述べていたのが印象的だった。

 松本氏は小学校低学年の教科書にある文章の分析を例に「説明文の読みにおいて、教育内容が、順序などではなく順序などではなく情報の構造的な関係・説明にあること」を確認し、「国語教育で言われる「因果関係」が論理学などで言われる因果関係よりはずっと幅広い」ことを指摘する。そこで先述の井上氏の書籍において示された

①情報の中身がホントかウソか(真偽性)

②考えの筋道が正しいか正しくないか(妥当性)

③情報はどの程度確かであるか、また、現実と照らし合わせて適当であるか(適合性)

といった言語論理教育で判断できるようになるべき三点を挙げ、因果関係については「本当に原因と結果と言えるのかということよりも、真偽性・妥当性・適合性を満たせば論理的であるととらえるべきであるということを優先する」と述べる。そのうえで、「国語教育における論理をコミュニケーションの問題と捉えず形式的な論理と混同するという誤り」を正し、「真偽性・妥当性・適合性をコミュニケーションの問題として確かめることそのものが意味内容を伴う論理の学習」と考える必要性を主張した。

 興味深かったのは大学3年時に行った教育実習でも扱った「トゥールミン・モデル」がもともと非形式論理から生じたものであり、それを形式面から非難するのはナンセンスだということだ。松本氏によれば、どこにどのような情報が入るのかというよりも、あえて分けることで論理を見やすくするという意味で学習する意味があるのである。当該授業が中学校第二学年読むこと「ウ 文章の構成や展開,表現の仕方について根拠を明確にして自分の考えをまとめること。」であり、この力を身に付けさせるうえでトゥールミン・モデルによる論理の可視化と妥当性の検証が有効に働くのだと松本氏の指摘で気づかされた。(なお、実習後もその意義を薄らぼんやりとしかわかっていなかった)

 

質疑応答において、文学批評こそ論理的思考の育成に資するのではないかという議論があった。説明的文章は真偽性・適合性の検証において、国語の範囲を逸脱しやすいという欠点があり、文学はテクストの言葉をそのまま根拠とすることができるからだそうである。このことは後述の酒井雅子氏も主張している。世界では国語に相当する科目として文学をしえている国が多いのはそのためかもしれない。なお、IB「文学」は文芸批評の力を伸ばす科目であり、国語科における文芸批評及び探究を学ぶ際に有効なのではないかと最近考えている。

 

 

単元学習実践研究発表会第五会場

 

言語文化に親しみ,協働的コミュニケーション能力を育む卒業単元の創造―「君に届け この言葉」の授業実践を通して―(藤嵜啓子先生)

 

 当該実践は前任校の中学三年生に対して行った「言語文化を生かした,協働的コミュニケーション能力」の育成を目指した三年間のカリキュラムの締めくくりに当たる卒業単元である。特筆すべきは、総合学習で「落語」「地域の民話」「能」「狂言」などの言語文化を扱い、国語科との連携を密に行うといったカリキュラム・マネジメントを行っており、こうした学習の蓄積が卒業単元に結実し、高校からの学習の起点と成り得る点であろう。以下に単元の概要を示す。(発表資料参照)

 単元は全9時間扱い(国語8時間、総合1時間)である。第1次(2時間)では教科書における言葉について扱っている学習材を読み、言葉について考え、第2次(3時間)では「心に響く言葉」を読書活動・インターネット・歌詞・映画の台詞などの多様な方法で「言葉のノート」に集め、そこから紹介する言葉を1~3つに絞り、「君に届け この言葉」の作品作りを行う。なお、「君に届け この言葉」はA2の用紙1枚を本(リーフレット)の形にしたものである。「君に届け この言葉」という共通の題名の横に、どのような相手に読んでほしいか、あとがきには「言葉」について思い思いのことを書くことが特徴といえる。第3次(国語2時間、総合1時間)は心に響く言葉をグループ・代表者による発表形式で紹介する。発表によって他者の言葉に触れる協働的コミュニケーションが生じる。作成された作品は公民館・学校図書館で展示される。このことによる自分の作品が読まれるという意識が、作品の質を高めているともいえる。

 作品に選んだ言葉やあとがきからも、当該実践を通した学習者の「言葉」に対する考えの深まりがうかがえる。

 

思いや考えを届ける―創立70周年昭和中学校のCMづくり―(植田恭子先生)

hama1046.hatenablog.com

このブログでも紹介した植田先生である。昨年度まで勤務なさっていた昭和中学校は大阪市教育委員会「学校教育ICT活用事業」の先進的モデル校であり、当該実践はそうした環境を十分に生かした実践である。単元の概要を以下に示す。

 第3学年を対象とした全7時間扱いの単元で、学校図書館での授業。

1時間目(課題設定)・・・教科書教材「メディア・リテラシー」(菅谷明子)を読み情報社会に必要な力を考える。今までの学習を基に情報活用能力を定義する。単元の見通しを持つ。

2時間目(情報の収集)・・・様々な広告に触れ、広告の言葉を学び、資料を活用しつつ昭和中のキャッチコピーを考える。

3時間目(情報の編集)・・・「絵くんとことばくん」(天野祐吉)の読み聞かせを聞き、作成したキャッチコピーが心に届くものかを再考する。各自で作成したキャッチコピー、届けたい思いや考えをグループで伝えあい、それを基にグループでキャッチコピーを作成する。「関西の言葉遊び 生きてますか」コラムニスト天野祐吉さんに聞く(2008年1月26日付朝日新聞朝刊)を読み、天野さんのいう音、俳諧的しなやかさを意識させる。

4時間目(情報の編集)・・・キャッチコピーを核にしたCMづくりにすること、どのような思いや考えを届けたいのかについて確認する。どのような動画を作成するのか各自で考え、そのアイディアを基にグループで絵コンテを作成する。

5時間目(情報の発信)・・・グループでCMを作成する。

6時間目(振り返る)・・・作成したCMを相互評価する。

7時間目(振り返る)・・・「言葉」のもつ価値について考え、情報社会を生きていくうえで大切なことは何かを話し合う。改めて「情報活用能力」について定義する。

 

 当該実践の優れている点として、この実践の前にも動画を作成する単元を複数回行うことで積み重ねを綿密に行ってきた点、CM作成という言語活動が相手意識を持った発信(送り手体験)に資するものであり、相互評価も行いやすいという特質を持っている点、創作を通して単に文章を読んで考えるより深く「ことば」「情報」について考えられる点などが挙げられる。情報活用能力も非常に重視されており、田近洵一氏の「自立と共生の行為としての自己学習行動」(1998)を基にルーブリックを作成していた。

 植田先生は授業者として自分の力で問いを設定する生徒を育てたいという思いを語っており、そうしたスタンスに非常に共感した。また、当該実践以外にも探究を重視した実践を多数行っており、現在それらを形にしている最中だそうである。お目にかかれることを心待ちにしたい。

 

 余談であるが指定討論者と司会を務められた酒井雅子先生にご挨拶がてらご著書の『クリティカルシンキング教育:探究型の思考力と態度を育む』を読んでいることと私の研究が探究と国語科との関連であることをお伝えし、お話を伺った。すると、

何たる奇遇、名刺も頂き充実の学会終わりでありました。