虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

全国漢文教育学会教育講座2日目①

 

hama1046.hatenablog.com

 先日に引き続き。

 

私の『論語』の教え方(影山輝國氏)

 影山氏は論語及びその注釈について研究している方である。非常に博識な方で、どの話も聞いていて心躍るような内容だった。

 そもそもなぜ日本人の古典として『論語』を学ぶのかの一つの答えとして、史実によれば応神天皇十六年(四世紀頃か)、百済から王仁がもたらした日本人が初めて見た本であったからということがあげられるという。この頃の本は竹簡であり、その竹簡が並んでいる形から「冊」の字が出来たとされる。この頃の本が貴重であったことは、この竹簡を台にのせている様子から出来た「典」からもうかがえるという。また、教科書編纂に携わっていたことから、高校の教科書における漢文の三本柱として、『論語』『史記漢詩を挙げ、これらはどの教科書にも必ず載っているという。このことから『論語』はその思想及び中国の文化がいかに日本に伝わったのかを見る教材としても価値があると指摘する。

 音韻史から「論語」や「孔子」は何と呼ばれていたかを資料をもとに紐解かれた。呉音読みならば「論語」は「ロンゴ」で「孔子」は「クジ」である。『源氏物語』胡蝶「恋の山には孔子(クジ)の倒れ」という言葉がある。漢音読みならば「論語」は「リンギョ」で「孔子」は「コウシ」である。桓武天皇の漢音奨励(延暦十一(七九二)年閏十一月の勅)によって、それまで普及していた呉音が漢音に切り替えられていく。(当時は隋や唐などの北部で使用された漢音が主流であり、当時学んでいた南部の呉音は通じなかったと遣唐使が伝えたからだとされる)ふりがなのふってある最も古い資料建武四(一三三七)年鈔本から江戸前期刊本『傍訓論語』は全て漢音のふりがなで書かれている。嘉永三(一八五〇)年刊本はふりがなが呉音であるが、「孔子」のふりがなは漢音の「コウシ」である。この話と合わせてなさっていた数字の読み方における呉音・漢音の話に移った。以下にそれぞれの読み方を示す。

(呉)イチ・二・サン・シ・ゴ・ロク・シチ・ハチ・ク・ジュウ

(漢)イツ・ジ・サン・シ・ゴ・リク・シツ・ハツ・キュウ・シュウ

今私が使っている数の読み方は呉音が多いのだと気付かされた。また、「よん」・「なな」というは「よっつ」「ななつ」という和語から砲兵隊によって作られたという話を初めて聞いた。(砲兵隊において聞き間違いは許されないため、紛らわしい読み方は変える必要があったそう)

 続いて『論語』の基礎知識についてのお話に移った。周知のとおり『論語』は孔子の没後、弟子や孫弟子たちが集まって編纂した言行録である。『論語』というタイトルは弟子たちが孔子の「語」を「論」じあって編纂したからだという。真偽はともかくタイトルについて全く考えたことがなかったので新鮮だった。また、漢代に『論語』は魯論(現在の二〇篇と同じ)・斉論(魯論「問王」「知道」篇が多い)・古論(孔子の旧宅の壁から現れた。古代の文字で書かれている。「堯曰」篇が「堯曰」「子張」の二篇に分かれる)篇数・内容も異なる三種類あったこと、後漢の末鄭玄が魯論をもとにして古論・斉論を考え合わせ現在の『論語』の原型を作ったことなどは今日初めて知った知識である。日と曰(口と舌の象形)は成り立ちの違いから字形の縦横の比率が異なるという教え方をすれば良いという豆知識も面白いと思った。現在の『論語』は約五〇〇章(約なのは学説によって章の分け方が異なり未だ確定していないため)が二〇篇にまとめられている。

 論語の主要な注釈書とその成り立ちの話も興味深かった。魏の何晏ら四名によって作られた所謂古注『論語集解』(シッカイと読む。入声音-フ・-ク・-ツ・-キ・-チ+p・t・k・sが促音化するため。国語学の講義が懐かしい)、宋の朱熹によって作られたいわゆる新注『論語集注』(同上の理由でシッチュウ)伊藤仁斎の『論語古義』荻生徂徠の『論語徴』が扱われた。『論語集注』は当時道教に対抗する思想として理・気二元論で論語を注釈したもので、それに対し『論語古義』は当時理・気二元論の考え方がないだろうとして孔子没後一〇〇年ごろに作られた『孟子』の言葉で解釈を試みた。『孟子』よりもさらに『論語』の書かれた時代に近い五経の言葉(用例を集めるという意味の「徴」)で解釈を試みたのが『論語徴』である。注釈書も既存のものに対する批判という発展の仕方があるということに気付かされた。同一章の注釈を扱って比較してみると面白いのかなと考えた。

 今回のお話で最も面白かったのは字の付け方や役割についてである。字の付け方に関しては「名字相応」「名字相配」という考え方があり、名と字は何らかの対応関係があるとされる。孔子は名が丘字が仲尼であるが、「尼」という字は孔子の母が「尼丘」という所に祈って生まれたことに由来する。名と字合わせて「尼丘」となるわけである。「仲」の字は次男につくことが多いものである。(長男は「伯」、次男以降は「叔」、末っ子は「季」を用いるそう。)子貢は姓を端沐(二字姓)名を賜という。名と字の対応は「貢」「賜」と対になるというものである。もし、私に字があれば「伯地」だっただろう。原則相手の名を呼び捨てにするのは失礼で同輩や後輩は字で呼ぶそうである。逆に名で呼ぶ場合は

①目上が目下を呼ぶとき

②自称するとき

③君主や師の前で他の臣下や弟子を話題にするとき(君主は基本名のみしか知らない。敬意は対する相手に対してのみでよいもしくは優先される)

④相手を罵るとき

⑤人に紹介するとき

だそうである。(実際は用例を基に検討したが省略)授業で扱えるかは別にして、こうした呼び方という視点で『論語』を見るのも面白い。

 『論語』の教え方に多くのヒントをもらった。力尽きたので交流会での議論は明日に回す。