虎哲の探究

単なる私立校国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

書くことの教育に対する現在の私見

 高等学校学習指導要領のダイナミックな改訂に伴い、国語科のあり方についての議論が盛んになされている。中でも研究者による問題提起は価値があると思う。自身の立場に胡坐をかかず、現場の教員とともに国語科教育教育について考えていこうとする態度はやはりこれからの国語科教育に携わる者の胸を打つ。

五味渕先生が執筆された『高等学校国語科が大きく変えられようとしています』は必読である。

note.mu

 さて、表題の件に移るがここ最近は専ら「書くこと」について考えている。というのも、書く行為には内的な思考を外化させるだけでなく、思考を促す働きがあると考えているからだ。また、書くことの指導における形式と内容とのバランスをとることの難しさに頭を悩ませているからだ。

 平成28年2月19日教育課程部会国語ワーキンググループ資料6のp.11『現行の高等学校国語科に課題と対応(案)』の課題2には、『話合いや論述など「話すこと・聞くこと」「書くこと」における学習が低調』とあり、この課題への対応策として授業時数や活動の増加だけでなく、これまで以上に「話すこと・聞くこと」「書くこと」の指導の体系性が求められることになるだろう。

 日本国語教育学会全国大会の大学部会シンポジウムでは現状の教育(ここで国語科教育としないのは渡辺氏が国語科だけの責任でないと強調していたため)に「論じる」訓練が不足しているということと、パラグラフ・ライティングについて考えさせられた。

 

hama1046.hatenablog.com

  日本国語教育学会全国大会の大学部会シンポジウムでの見聞の詳細は上の記事を笑覧ください。

 

ライティングの高大接続?高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ

ライティングの高大接続?高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ

 

  データも交えてシンポジウムの内容をより詳細に書いているの上の本。

 あすこま先生の指摘と合わせて検討したいところ。現状パラグラフ・ライティングをゴールではなく、多様な書き方のうちの一つとして指導する必要はあるかなと。

 

増補版 作家の時間: 「書く」ことが好きになる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

増補版 作家の時間: 「書く」ことが好きになる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

  そんなあすこま先生も執筆されているのが上の本である。書き方をどんなに体系的に指導したところで、その活動が好きにならなければ意味のないものになってしまう。(この辺は古典の持つ問題と似ている)それにしても「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものである。この本では、小学校の先生の熱心さとライティング・ワークショップの体系性と魅力(第12章まで)や中・高での実践の可能性(第13章・第14章)が見て取れる。書く経験は書く力の向上だけでなく、それを通して本および著者や作家へのリスペクトにつながり、最終的には生涯読書へとつながっていくのではないかと考えている。ワークショップ授業は実践したいことの一つである。

 

 9/4・5に国立国語研究所で行われた言語資源活用ワークショップ2018に行ってきた際も、書くことについて考えさせられるポスターセッションがあった。言語資源活用ワークショップ2018でブログを書けなかったのは私の知識の不足によるものであって、内容がつまらなかったわけでは当然ない。しかしながらやはり最も興味を持つのは教育への応用研究である。私が最も興味を持ったのは『現職教員による児童・生徒作文の評価基準の分析』という発表だった。当発表内容の詳細は言語資源活用ワークショップ論文集に掲載予定のためそちらに譲る。小中の作文およびその評価が形式よりも内容を重視する傾向が強いのではないかという問題意識に共感した。また、教師による作文の総合評価と形式面の評価とには相関関係が見られ、この結果は教師の評価の妥当性と形式面の評価項目を形成的評価や作文指導に生かせることを明らかにするものだった。内容が良ければ、文章そのものの巧拙を問わないというのは情操教育の側面はいさ知らず国語科教育としてはやはり問題があるといえる。

 

情報生産者になる (ちくま新書)

情報生産者になる (ちくま新書)

 

  上の本は現在読んでいる途中だが、著者の上野千鶴子氏もこうした面への批判している。

 

何はともあれ…

「より体系的な書くことの指導のためにどのような指導方法や内容があるのか」という問いもまた「とっくに立てられている」のである。また新たな探究が始まったのかもしれない。