虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

2017年を振り返って

私の2017年は阪神タイガースのスローガン同様「挑む」年であった。

 

1月から3月にかけては、卒論に向けての30枚レポートに力を注いでいた。卒論のテーマを伊勢物語についてから探究についてに変更した為、この時書いた30枚レポートは全く卒論に活きていないがいずれ役立つ日が来るであろう…

 

4月から9月にかけては、東大院試に向け英語や国語教育についてを必死に勉強してきた。結果は最終試験の口頭試問で落ちてしまったが、(研究計画の詰めが甘かった)この試験に向けてやってきたことやこの無謀とも思えた挑戦は今後の教員人生の糧となるに違いない。

 

9月から12月は多くの公開研究会や勉強会に足を運んだり、卒論を執筆したりしていた。様々な見識が得られ、フィールドワークの大切さを切に感じた。校務だけでも忙しい中、研究発表出来る先生方の凄さを思い知らされ、自分もこの先生方のようになる為に、院で過ごす2年間必死になって勉強しようと改めて決意させられた。

 

最後であるが、忘年会にて私生活に潤いが全く無かったことに気付かされたので、来たる来年の課題としたい。

ペダゴジカルな三角関係

 母校で尊敬する先生からお話を伺うことが出来たので、それをここにまとめたい。

 まず、無学にしてその先生が修士課程に在籍されている時に研究なさっていた垣内松三(かいとうまつぞう)氏について存じ上げなかった。垣内氏は国語教育の源流を形作った人であり、国語に文学を取り入れた人でもある。実用的な国語に傾きつつある昨今、文学を教材として扱うことにどのような意義があるのだろうか。文学教育はロシアや西洋諸国、IBでは一般的であるが、だから必要だ!という考えは思考停止であろう。国語教育の源流を形作った人が、また文学を主たる教材として扱う国々がどのように文学を教材として扱う意義をどのように考えていたのか検討していく必要があるだろう。くれぐれも文学を教えることに傾倒しないようにしたい。先生は修士課程で垣内松三氏の研究をする傍ら、先生の師匠たる方から人間と言葉との関わりとは何かというお話をなさっていたそうでそのことが現在の実践の屋台骨になっているのだろうということだった。国語科にとって永遠のテーマであろう。

 

 また、私がアカデミックな視座を得たいと他大学の院を受験した話をさせて頂いた際に、先生はアカデミックな考えももちろん重要だが、これからはますますペダゴジカルな視点が必要になってくると教えてくださった。いわば、教師自身が出来ることと目の前の生徒、社会の動向との三者を意識した実践が必要になる。自身が出来ることと社会の動向との二者のみを勘案した実践は眼前の生徒が必要としていることとのズレが生じてくる。生徒たちがどのような人生を送り、どのような国語の力を必要とするのか考える必要がある。また、自身と生徒との二者のみを勘案した実践は即時的なものになりがちで、その場では良いが長期的な目で見た際に実生活で活きる国語の力を付けていくという側面が欠落する。生徒と社会との二者のみを勘案した実践は前2つと比較すれば幾分かマシであるが、代替可能な味気ないものになることは明白だろう。実践に当たってペダゴジカルな三角関係を意識することは必須だ。

 

 私は大学院に行って、自身の実践の屋台骨となるような考え方や知識・技能を持つことを目指す。そして、アカデミックとペダゴジーとの中庸において、ペダゴジカルな三角関係を意識した実践を行える研究的実践家として奉職したい。先生にお話を伺いそうした想いを強くしたのであった。

 

フィールドワークの予定

母校の学園祭に行き総合学習の成果物等を見たたことでフィールドワークの重要性を再認識した。私の書いた卒業研究はフィールドワークなし、学校司書さんに助けられながら文献をあたり、専門家の方が行った研究の成果を集積しただけのお粗末なものであった…。

 

教育実習後、「実習指導して下さった先生のようなすごい授業がしたい!もっと色んなとこに行って勉強するぞー‼︎」という想いが芽生え、大学生という身分を存分に活かして思い立ったらガンガン現場に行くようにしている。

 

以下、今後の予定。

10/14 広島大学附属中・高 教育研究大会

10/24 埼玉大学教育学部附属小 教育研究協議会

10/28 玉川学園 第6回探究型学習研究会

10/29 カサイラボ 大人の古典教室(初回から3回連続の参加)

11/10 全関東地区中学校国語教育研究協議会神奈川大会(長い。公式サイトが見つからない)

11/11 筑波大学附属中学校研究協議会

11/12 大村はま記念国語教育の会 研究大会

11/17 東京学芸大学附属小金井中学校教育研究協議会

11/18 筑波大学附属駒場中学・高等学校教育研究会

11/26 クリティークラボ 寄り道教室(初参加)

 

書き連ねていてとても楽しみになる。

行く予定を立てたことで満足していては、目指している教師像から程遠いということは百も承知。目的意識を持ってこれらのフィールドで学んでいきたい。

帰って来られる場所

 

母校の学園祭に行ってきた。

母校は愛しているが、大学での日々に追われて足が遠のいてた。久々に母校の門をくぐったことでそこで過ごして6年間を思い出し感傷的な気持ちになった。良い学校だなぁ…。

 

しかし、ただ感傷に浸りたくて母校を訪れたわけではない。目的は3つ。その目的は大まかに言えば達成できたかなと思う。

 

総合学習の取組を見る

母校の特徴は総合学習を軸としてカリキュラムが編成されているところである。無論それだけではないが。フィールドワークをよく行っているなというのが全体の印象。現地に行ってから考えるのではなく、基本的になんらかの問題意識を持って、フィールドに行ったのだろうということが生徒の成果物から推察される。こうしたことの積み重ねが興味関心の拡大につながるのだなぁとしみじみ。集大成である卒業研究のブースはやはり感慨深いものがあった。以前と変わった点は、そこに優れた卒業研究をした生徒の、卒業研究制作過程が見えるポートフォリオを置いていた点にある。卒業研究は成果も大事だが、過程での葛藤や奮闘にこそ得難い価値があると思う。その想いが反映されている素晴らしい試みだと思った。外部の人だけでなく、これから卒業研究に挑む後輩達にこそ見てもらいたいものだ。

 

②同級生に会う

同級生はその大半が来年就職を迎えるため、今年会わないと殆どの人ともう会うことが出来なくなる。無論全員と会うことは出来なかったが会うことができた、または話すことができた同級生とは中高生の頃のようにはしゃぐことができた。懐かしさに胸が熱くなった。ぼちぼち同窓会を企画してほしいものだ。

 

③先生に現状を伝え、お話を伺う

 母校の先生方の多くは修士課程(人によっては博士課程)を修了なさっている。自分も修士課程に進学し、国語と探究について研究することを伝えた。先生方のお言葉から、教員を目指していることを喜んで頂けているのが伝わってきた。身の引き締まる思いである。また、尊敬する国語科の先生からお話を伺うことが出来た。後日その内容をここにまとめたい。

 

次に母校を訪れるのは2月の公開研究会だろうか。

先生からも「来るんだよね?」とお声かけ頂いた。無論勉強させていただく予定だ。

昨日は修士課程でのさらなる飛躍に向け、膝を曲げた1日だった。ルーツである母校での日々を忘れずに、大学での研究に勤しみたい。

 

そうだ、ブログを書こう。

 

 

 

 

思い立ったが吉日である。

 

奇しくも今日は世界教師デーらしい。(1994年国連により制定)恥ずかしながら今日初めて知った。教師を目指す身として何やらは運命めいたものを感じざるを得ない。

 

このブログは、主に教育についての持論や読んだ本の感想、それ以外には日々の記録を書く場として使っていきたい。

わずかでも読まれる可能性があればこそ、書くことを習慣化することが出来るだろう。

 

サクッと自己紹介

虎哲(こてつ・こてっつぁん)

中等教育段階の国語科教員志望

いずれは母校の先生に…

中高野球、大学空手をやっていた熱血漢

「国語科と探究との相互作用をいかに実現するか」をライフワークにしたい。