発端はこのツイート。
要約という行為は他人が文章に載せた魂を削り取る忌まわしい行為である。
— 堀 裕 嗣 (@kotonoha1966) 2019年9月22日
引用という行為は他人の文章を自分の都合のために切り刻む穢らわしい行為である。
これを理解しない人間が多すぎる。
しかし、文章を綴るうえでこの二つを避けることはできない。この穢れを自覚せぬ者の文章は読むに値しない。
言葉の強さについては思うところがあるものの、私はこの考え方に賛同する。
ご指摘いただきましたが,確かに「全否定」は導けませんでした。そこについては撤回し,ツイートを削除します。申し訳ありません。途中から言葉の使い方に苛立ちの対象がシフトしていました。 pic.twitter.com/pqk0bhvxbF
— なまもの (@nama_books) 2019年9月23日
なまもの氏のツイートを契機に色々と考えた。
「正しく」引用・要約することが疑いようもなくできることとお考えなのだろうな…。キツい言葉に真意を捉え損なっている。
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年9月23日
引用・要約には危うさが付きまとうことと、知の蓄積の全否定とがどうして繋がるのかが分からない。引用・要約するなとは言ってない。
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年9月23日
要約も引用も解釈を含んでいる。著者の書いたことは著者の専有物だというつもりは勿論ないが、要約でどこかの文を削ったり言葉を変えたりすることや引用で本来あった文脈を取り除くことによる曲解の可能性は否定できない。言葉選びが適切かはさておき、そのことを自覚する必要があるのでは。
— 虎哲 (@TigerSophia61) 2019年9月23日
極端ですが文脈を取り除くとこういうことが起こります。笑
幼児「はじめてね、じぶんで、おはなし、つくったの。ももたろうとね、おひめさまがね」
— クロゾフ (@ani_kinchan) 2019年9月23日
??「穢れを自覚せぬ者の文章は読むに値しない。」
幼児「え、でも、はじめてで」
??「この穢れを自覚せぬ者の文章は読むに値しない。」
幼児「˚‧º·(˚ ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )‧º·˚」
エアリプにお返事するようで恐縮ですが,ご指摘ありがとうございました。強い言葉にまどわされたのは事実で,かつ,全否定は確かに導けません。当該ツリーの末尾に撤回を示します。
— なまもの (@nama_books) 2019年9月23日
引用リツイートの危険性は様々なところで見ているので、エアリプ(のつもりもなかったが)で思ったことをつぶやいた。他人の考えに対して変に逆上するタイプではなくて本当に良かった。
私の思うところを私よりも分かりやすくまとめるあすこま先生。
要約の話題の元ネタはこれか。僕は割と堀先生の言うことわかるけどな。要約した時に切り捨てられる部分(情報ではない部分)に書き手らしさや書き手の苦心があるっていうのは実際によくあること。要約や引用自体を否定しているのではなくて、要約・引用する際の読み手の心構えを問題にしているのかと。
— あすこま (@askoma) 2019年9月23日
まあ、学術論文なんかはサマリー読んでもらって引用されてなんぼだからジャンルにもよると思うけど、「本当は要約できないものを要約している」という感覚は、僕は要約する側が持ってて良いと思うなあ...。
— あすこま (@askoma) 2019年9月23日
適切な要約・引用は、される側にとっては祝福だと感じる。それは言葉を尽くして言おうとしたことが伝わった証だから。的外れなやつは膝から崩れ落ちますけど。
— すまう(Hitomi Nakajima) (@sumaus) 2019年9月23日
でも「穢れ」は認めません。先人の知恵を使うことに,“正しく要約する・引用する”以上の障壁があってたまりますか。
— なまもの (@nama_books) 2019年9月23日
穢れをはじめとした堀先生の言葉に対し、受け手にどれほど抵抗感があるかというところも一つ興味深いところ。なまもの氏やクロゾフさんはこれらの言葉を重く受け取って批判しているが、あすこま先生や私はそこにあまりこだわらず(もちろん些事だとは思っていないが)堀先生のいわんとしていることだけを受け取っている。
少し気になったので手元にあったこの本の引用の項を見てみた。
そこでは
における石黒氏の引用の定義が紹介されていた。
引用というのは,誰かがすでに話したり書いたりしたことばを,二次的利用であることを明示しつつ,形態・ 内容ともできるかぎり忠実に再現したもの(294頁)
定義における「できるかぎり忠実に」という言葉からも分かる通り、オリジナルの文と引用した文とは形態は同じであれ別物なのである。そのまま引っ張るはずの引用ですらこうなのだから、要約は一層繊細な問題をはらんでいるということはいうまでもない。
引用・要約の難しさ・恐ろしさを自覚することは書き手として必要なことではないか。(当記事においても数々の引用を行ったことを自戒しながら)