虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

引用・要約をどう捉える?―堀裕嗣先生のツイート及びその反応を手掛かりに

発端はこのツイート。

言葉の強さについては思うところがあるものの、私はこの考え方に賛同する。

なまもの氏のツイートを契機に色々と考えた。

極端ですが文脈を取り除くとこういうことが起こります。笑

引用リツイートの危険性は様々なところで見ているので、エアリプ(のつもりもなかったが)で思ったことをつぶやいた。他人の考えに対して変に逆上するタイプではなくて本当に良かった。

私の思うところを私よりも分かりやすくまとめるあすこま先生。

 穢れをはじめとした堀先生の言葉に対し、受け手にどれほど抵抗感があるかというところも一つ興味深いところ。なまもの氏やクロゾフさんはこれらの言葉を重く受け取って批判しているが、あすこま先生や私はそこにあまりこだわらず(もちろん些事だとは思っていないが)堀先生のいわんとしていることだけを受け取っている。

 

論文・レポートの基本

論文・レポートの基本

 

 少し気になったので手元にあったこの本の引用の項を見てみた。

 そこでは

日本語 文章・文体・表現事典

日本語 文章・文体・表現事典

 

 における石黒氏の引用の定義が紹介されていた。

引用というのは,誰かがすでに話したり書いたりしたことばを,二次的利用であることを明示しつつ,形態・ 内容ともできるかぎり忠実に再現したもの(294頁)

 定義における「できるかぎり忠実に」という言葉からも分かる通り、オリジナルの文と引用した文とは形態は同じであれ別物なのである。そのまま引っ張るはずの引用ですらこうなのだから、要約は一層繊細な問題をはらんでいるということはいうまでもない。

 引用・要約の難しさ・恐ろしさを自覚することは書き手として必要なことではないか。(当記事においても数々の引用を行ったことを自戒しながら)