http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/279-s-0801.pdf
8/1にこちらに行ってきた。名古屋大学教育学部附属からのとんぼ返り、そしてその足で関西へというドタバタ日程だったが行ってよかった。
(私の知る限りの)諸氏によるまとめ
石田喜美先生(だと思われる)によるまとめ
学部時代の同期で、今は横浜国立大学大学院院生の友人に伴われて挨拶し、石田先生による読書学会発表についての感想を伝えられたのはよかった。
https://twitter.com/vivencia82/status/1157254054839406592
阿部公彦先生によるまとめ
昨日シンポ行きましたが、「教育新聞」さんのひどくポイントのずれた見出しでびっくり。100点満点で45点くらいかな。→高校新指導要領の国語 「古典軽視」と危機感、日本学術会議 https://t.co/e2hU6y6pT9 @kyoiku_shimbunさんから
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) 2019年8月2日
矢面に立った文科省の大滝視学官。仕事とはいえ、お疲れさまでした。ただ、その説明を聞いて指導要領の「実用」「論理」「文学」といった用語がまったく練られていないことが明白に。あまりに浅い。大学院生の「文科省は言葉への認識が甘い」との発言、印象的です。いったいどんな「有識者」が決めた?
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) 2019年8月2日
→そもそも、用語が練られていないのか、危惧される行政の介入し過ぎにならないようある程度解釈の余地のある言葉遣いになっているかという問題があるだろう。基本的に私は後者の立場である。とはいえ前者であるならば、指摘を指摘で終わらせないために研究者は教育にコミットせざるを得ないだろう。シンポジウム後に日文協大会及び読書会で学んだからこそ抱いている思いである。研究者側と実践者が共通認識できる言葉の構築が進むといいなと。
大学院生の発言は言葉は単なる記号ではなく社会の認識を生むということを指摘した点でもっともだと思ったが、大上段から切り込んだ割に「○○と仰いましたよね」という発言で大滝先生の発言を斜聞きしていることが発覚し、「言葉に対する認識が甘い」というご自身の最初の発言のブーメランを食らう形になっていたのがシュールであった。
安藤宏さんの容赦ないツッコミに、大滝さんは「専門家は「論理」や「文学」を厳密に使うが、一般の方々に伝わるようにこういう言い方に」という主旨の弁明。え?指導要領って法的拘束力があるんでしょ?質問した院生は「文科省のいい加減な言葉遣いで誤った理解が広まる」との危惧を表明。立派でした。
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) 2019年8月2日
五味淵典嗣先生によるまとめ
1日のシンポの五味渕さんによるまとめ。この日は麗しい瞬間も。紅野謙介さん「大滝さんとお話しするのをとっても楽しみにしておりました」。大滝視学官「私も紅野先生とお話しするのをとっても楽しみにしていました」。紅野さん「なら相思相愛ですね」♡♡♡ お二人の相思相愛が末永く続きますよう! https://t.co/AdkmOL37HK
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) 2019年8月3日
嬉しいことにこれだけ詳細なレポートがそろっているためまとめることがない。
このシンポジウムも書籍化されるそうである。書籍の形式は分からないが、単なる文字起こしではなく、シンポジウムの内容を踏まえて一層考えを深めたシンポジストの考えが載せられるのだろう。その途中経過を生で見聞き出来たのはよかった。
シンポジウムの書籍化と言えば
例のシンポジウムが書籍化されることになりました。シンポの最中ずっと黙っていた分、本書で吐き出しております。お読みいただければ幸いです。 https://t.co/bgRGhkghX1
— Motoi Katsumata (@motoi_katsumata) 2019年8月12日
総括論考、80枚書きました。 https://t.co/JfUZ6GkoRc
— Motoi Katsumata (@motoi_katsumata) 2019年8月13日
もしかしたら、私の言葉が載るとか載らないとか。
明治書院『日本語学』みたいに二冊送られてこないかなー。
まとめることがないとはいえ上記には書かれていない個人的に共有したい裏話を。
渡部泰明先生の恐るべき成長
おこがましいが、1月シンポジウムからの半年間で渡部先生に恐るべき成長を感じたのだ。1月のシンポジウムでは話や人柄の魅力に惹かれつつも、「この人全然国語科教育から古典がなくなってしまうかもしれないことに正対してないじゃん!」と古典研究者の重鎮である渡部先生に対して抱いていた大きな期待が裏切られ、がっかりしていたのだ。今回は国語教育史を踏まえ、益田勝実の言葉を援用し、なおかつ益田勝実の言わんとしていることを古典から引用するということをやってのけた。
感動のあまり休憩時間にお声かけし少し言葉を交わすと
を読んで勉強したとのお言葉が。やはり私の睨んだ通りだ、と嬉しくなった。前回の全国大学の渓水社ブースで買うほど好きな本だったのでこの発見はシェアしたいなと。
お時間のある方は以下の記事の全国大学編をチェックだ!
今欲しい本、ナンバーワン。
提言の締めが「(必修科目として)総合国語を提案する」だったので、真の意味で総合国語を実現するための「現代の国語」「言語文化」への分化なのではと意見を書いてパネリスト陣に紙を届けると、パネリスト同士が意見質問を交流する時間で渡部先生直々に読んで頂き、大滝さんが私に反論するとしたらここだろうおっしゃる通りとしつつも
私はその先を見据えているのです!
ときっぱり。
ミキ昴生ではないが、「えっ?」「もうかわいいここまで来たら」となった。笑
いくつになっても成長し続ける教師でいたいなとしみじみ。
フロアの発言をめぐるあれこれ(ダイジェスト版)
「…エリートの議論!…」(3分後)「短めにお願いします」
というのは冗談で、科目細分化の是非についてや大学入試が本当に変わるのかということについて
今回も
司会に止められるまで
熱弁を振るっていた。(※登壇者ではなく、フロアの方です。)
細分化されていない科目として保健体育を例に出し、細分化すると資質・能力が育てられないということを述べられていたように思うが、話していた時間のわりにイマイチ理解が追い付かなかった。お年寄りや学会の重鎮に多い話しながら考えていくタイプなのだろう。
上の記事で触れている「現代の国語」「言語文化」二分化に対する渡邉久暢先生の危惧は彼の発言の真意に近いのかもしれない。
是非一歩二歩の会参加者でかついずれ私と会う機会がありそうな人が彼に保健体育の例で何を言わんとしていたか聞いて頂けると有難い。
会場で偶然母校の先生とお会いして少しお話する時間があったが、しれっと「私彼のTwitterフォローしてるのよねー」と衝撃カミングアウト。「え!先生のアカウントフォローしたい」と思いつつも平静を装った。彼とは直接は話さなくてもいいとのことだったので対面しているところは見られなかったが。
東附に行ってもTwitterやりたいものだ(?)