虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

再び母校で学ぶ

 昨日は母校の文化祭に行ってきた。

 残念ながら母校から非常勤講師の話はなかったが、お世話になった先生方からお話を聞くことが出来た。

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  昨年に引き続きこの先生のお話を聞く機会を得た。先生は今年度中1の文法・中2の読解・高3の現代文を担当なさっている。

 文法についての指導はかなり悩ましいと個人的に思っている。学習者の立場で考えてみれば、なぜ学ぶのかよくわからない状態で文法の学習を押し付けられるようなものだと考えているからだ。一方で教え込めばいいから簡単、指導できると考えている先生もおられるようだ。 

 この先生は文法の学習の際に、文法はすでに頭の中にある、言葉の表現効果(助詞の違いが受け手に及ぼす影響など)を考えるうえで、頭の中にあるものをネーミングすることが必要であり、そのために文法を学ぶ必要があるよねという話をなさるそうである。文法を発見学習的に学ぶことで押し付けられるものという印象を払拭し、言葉に気づく生徒になっていけばよいなということを教えてくださった。どうしても文法はもとから体系が存在していたと考えてしまうが(もしくはそんなことも考えないか)、文法が人々によって発見されてきたということを追体験させるような文法学習の在り方を提案していきたいと思った。

 

  そんなことを考えつつ、国語学の講義でご紹介いただいたこの本の存在を思い出した。最近めっきり小説を読まなくなってしまった。

 国語科の専門性に話が及び、先生の考えの一部をお話しいただいた。国語科は言語学のような論理的側面と文学のようないわゆる美学的側面との間に存在する、学者作家を育てるものではないためどちらかに偏らないことが重要、完全に言語から離れて生活することはないのでそういう実態に合わせた学習指導を展開するということだったように思う。

 探究の指導について伺うと、母校は長きにわたる指導や生徒の作品の蓄積によって熟成された言わば老舗の味のようなところがあり、体系化を試みているものの難しいところではあるとおっしゃっていた。簡単に他の学校へ譲り渡せるものではないというところが老舗なのだろう。大学院で研究をしている立場からすると、探究には普遍的なものはあるような気がするが、行っている学校によって指導形態や重視することが若干異なっており、収斂・体系化することが難しい。

 最後に母校の教員になるためには「国立大学附属校の教員とは何か」ということを考える必要があると教えてくださった。母校の例でいえば上の大学に教科教育の専門家がいるわけではない(大学の学部に教科教育コースがない)ので、より幅広い視野で教育を考え研究する教員ということになろう。過去二年国語科の研究授業は秋田喜代美先生が指導をなさっており、国語という枠にとらわれ過ぎない言葉の本質を追及していたように思う。

 

 図書館に場所を移し、そこにいるであろう別の先生にもお話を伺いに行った。

そこではビブリオバトルが行われており、最後の発表を滑り込みで聞くことが出来た。

 

六百六十円の事情 (メディアワークス文庫)

六百六十円の事情 (メディアワークス文庫)

 

 

そこで紹介されていた上の本は全く存じ上げなかったが、発表者曰く独立しているように見える話が徐々につながっていくところに魅力があるそうである。読んだ本は多くないが湊かなえさんの作品が好きな私にはうってつけなのかもしれない。

 

 

往復書簡 (幻冬舎文庫)

往復書簡 (幻冬舎文庫)

 

 

 

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

 

 

 

 

この辺りは非常に面白かったように記憶している。読後は爽快という感じではないのだが…。

 

少女 (双葉文庫)

少女 (双葉文庫)

 

 積読である。これを読んで映画のばっさーを楽しみたい。

そしてビブリオバトルの集計中、校長で東大教授の勝野正章先生のお話を聞くことが出来るという母校ならではのとんでもないサプライズが待っていた。。

 高校時代授業に出ず留年するほど図書館に入り浸っていた時期があったこと、その際様々なジャンルを多読したことが今につながっていること、寝る前にはナルニア国物語くまのプーさんをよんでいることなどであった。

 

問いからはじめる教育学 (有斐閣ストゥディア)

問いからはじめる教育学 (有斐閣ストゥディア)

 

 上に示した自著の紹介も「東大は女子学生に対して月3万の家賃補助をしているが、これは平等といえるのか」という問いを我々に投げかけ、東大には女子学生が2割強しかおらず入学する女子学生を増やそうという動きがあること、未だに残っている女子の進学に対する障壁について触れ、先の問いは本人の実力とは関係ない障害を取り払った末の「結果の平等」であるとする具体例で問いから教育学を考える面白さを伝えてくださった。

 ビブリオバトル終了後目的だった先生にお話を伺うことが出来た。この先生は図書館の担当をしており、学校司書の方と協力して、よりよい図書館づくりに励まれている。

「道標」2018年秋号 - 教育出版

先生は学校図書館についての原稿をお寄せになっている。現在先生は高1の現代文を担当なさっており、妹もお世話になっている。高1は母校の核ともいえる卒業論文指導につなげる大事な学年であり、そうしたこともあり先生は卒業論文との接続を国語科でということにも関心を持たれている。論文の書き方や考えを知ってもらいたいと小説を対象とした論文の教材化を考えているが学習者にとって良い教材たりえるかがなかなか難しいそうだ。妹から話を聞きながら先生がどのような単元・授業を作り上げるかを追っていきたい。学校司書の方とともに様々な学校の図書館を見に行くとよいという話をしてくださった。資金の厳しい中でどのような図書館を作り上げるかなどは私が今後ぶつかる課題かもしれない。新書のコーナーを作る探究に求められるスキルな関する書籍を集めたコーナーなどは参考になった。教育環境を考えることや教育の社会的な位置づけを考えることは必要だという言葉を頂いたことで貴重な気づきを得たと思う。

 

 次は公開研究会で母校に訪れることになるだろう。それまでに頂いた言葉を少しでも自分のものとできるよう研鑽したい。