虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

担任についての思い出

Twitterで見かける小学校教員」に「負けたらTwitter引退!」とアンケートでやり合っている人々がいた。「負けたらTwitter引退!」とか馬鹿みたいでいつまでも童心を忘れていないのすごくいいと思う。多分担当クラスでも児童に「負けたら転校!」とか言っているんだと思う。本当に私は小中高と担任に恵まれていたんだなぁ。

小中高と担任は2年間ずつ持ち上がりだったので、今よりも担任の影響は強かっただろうと思う。話を聞く限りだが今は基本的にどこの学校も担任も1年ずつなのだろう。たまに2年間担任同じだったという話をするとびっくりされる。

小学校3、4年生の時の担任は元気なおばちゃん先生(多分50代)で、最近母から定年の少し前に元気なうちに第二の人生を楽しみたい!と早期退職されたそうだと聞いて、そういう生き方も素敵だなぁ、あの人らしいなぁと自分のことのように嬉しく、懐かしく思ったのだった。

物心ついていなかったので覚えていないが小学校1、2年のおばあちゃん先生は品があった。

小学校5、6年のおばちゃん先生は厳しかったがよく児童を見ている先生だった。先生の推薦書のおかげで東附に入れたのだと母は言うし、多分そう。笑
中1は私のあずかり知らぬところで色々とトラブルがあって、中2では担任が変わった。中3、高1の先生は結構いい加減そうなおっちゃん先生だった。全く覚えていないが、母曰く中3の面談で成績不振の私に遠回しに転校を勧めてきたらしい。笑
あんまり怒らない人だったがなんかのタイミングで私が誰かに冗談っぽく「身障じゃん」と言ったことに対して叱ってくれたのを有難く覚えている。おかげでそういう言葉を使わないよう心がけているし、大切な友人にも先生と同じようにそういう言葉を使ってくれるなと言う時がある。

高2、3の担任は冷たそうでいて熱い先生だった。選択授業が増え、クラスにしばられることは少なかったが、ことあるごとに言われた頭に言葉が残っていて、それは自分の選択を後押しするものだった。

こういう経験から私は担任必要論者である。ただ担任によってあらゆる面で害を受けていたというケースも想定されるので、個人的経験を絶対とした必要論は危険で、少しずつ見直しがあるのかもなと思う。とある小学校で部分的に教科担任制を採用していると聞いて進んでいるなぁと感心した次第。図工や音楽くらいしかクラスを離れられない小学校の先生は大変だよなぁと思っていたし、そういう状況を辛いと感じる児童も中にはいるはず。責任の所在が不明になる、もしくは学校全体で1人に集中するというデメリットを超えられるならば担任制も不要になる日が来るのかもしれない。ちょっと想像できないけれど。

 最後に「Twitterで見かける小学校教員」に変な人ばかりじゃないということをこの本を紹介して終わりたい。