高等学校国語科教科書の「学習の手引き」について
話し合うこと考えること自体は大事だと思うが、この題材について話し合うこと考えることが学習者にとってどんな意味があるのか、どのような目的で何を達成させるために話し合わせたり考えさせたりしているのかいまいちわからないのが多いんだよな…。これを作った人本気で話し合ったり考えたりしてる?
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
教科書を作っている人達のものすごい努力によって教科書が出来ているのも分かるし、言語活動例を組み込まないと教科書検定に通らないのも、多様な学習者に耐え得るためにガチガチの言語活動は設定しない方が良いのも分かるが、正直無い方がマシレベルな表現・発展課題は載せる必要ないよ。なんだこれ。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
教材を決めること集めるに注力し過ぎて、それをどう扱うかまで手が回っていないのかな。高校の先生は教材を見て教科書決めているのかもしれないし、中学校の自治体と比べて高校は学校レベルでの前年度の踏襲も多いような気がするから課題の設定にそこまで拘っていないのかも。最高の教材を用意するから
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
調理は先生方にお願いしまーすという感じなのかも。確かに効率的な分業のような気がするが。教材集めなら予備校の先生方とかも面白い提案してくれそう。私個人としてはある程度扱い方を想定して教科書作っても良いのではと思う。高校教師の創意工夫を引き出すための土台となるような教科書。(今もか)
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
ストレートマスターを想定した教職大学院のあり方について
大学院って学部生がそのまま進学しない場合があるから意外と外部生の進学が成功するらしい。まぁうちの専攻は今年定員より全然少なかったのに外部生2人落としていたらしいし、私は私で東大生と現役教員を退ける実力が無かったから最終の口頭試問で落ちたし結局のところ実力による部分が大きいけどね。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
うちは来年度入学まで修士論文書く教育学研究科と教職大学院と両方あるけど内部生の進学数は体感的にどっこいなのかもしれない。学生の質は大差ない。内部生なら圧倒的に修士論文書く方の教育学研究科の方が良い気がする。修士論文書く教育学研究科は落ちる奴いるけど、教職大学院はまず落ちないとか。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
試験の難易度の問題はありそう。大学院の方針によりけりだろうけどうちの教職大学院は専門に関する論述とか英語とか確か要らなかったはず。必要なのは研究計画書?と面接。入る前からある程度のレベルを要求されるか入ってから頑張れよなのかという期待値の違いもあるか。かたや大幅縮小、かたや拡大。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
私はこの理由じゃないけど今後国の方針で溢れ返るであろう教職大学院じゃなくて、ちょっとしんどそうだけど長い目で見て希少価値の出てくる修士論文書く方の教育学研究科に行こうっていう打算的な考え方出来る奴好き。ちなみにどちらに進学したとて博士課程には行けるらしい。これは結構な衝撃だった。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
こうなったらちょっと面白いなと思うのは国が「やっべぇ失敗した」って教職大学院を軒並み教育学研究科に戻すような政策に舵を切ったら逆に教職大学院修了生の希少価値が高まるだろうなってこと。まぁ頭でっかちで反抗的な奴よりも従順な管理職候補生の方が使い勝手良いしそれ考えればこうはならない。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
嫌いとかいう生半可な感情じゃないわ怒りだわ。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
教職大学院にいる方々には一切怒ってない。理論研究にも実践にも振り切れていないストレートマスター教員養成としていまいちというより他ない教職大学院を修士論文書く教育学研究科の枠を潰してまで作った奴らに怒っている。そこでの学びを否定するべきでないし気付かず入ってしまった方々に罪はない。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
「まぁ出来ちゃったもんは出来ちゃったんだし、しょうがないじゃん。より良いあり方を模索しようぜ!」って言えるくらいにはなりたいが同期の調べている教員養成の歴史を鑑みても、教職大学院の存在を冷笑する大学教授がいるという話を聞いても根が深い…って感じで怒りはちっとも消えない。悲しいな。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
以前もこんな戯言を。
修士課程修了後の進路について
まだ私の知らないだけで公立にも私立にも予備校にも素晴らしい先生がたくさんいるのは想像に難くないが、私が心を焦がすほどになりたいのは国立大学附属校の教員で、もっというと母校の教員なのだ。当然彼らにも苦悩や不満もあるだろうが、私自身が本当にやりたいことを出来る学校はここより他にない。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
私が非常勤で行くかもしれないところ国立大学附属校教員を一定数輩出しているらしく、「うちで育った先生は国立へ出て行く!」と全体説明会でも軽く愚痴っていた。専任で取られると決まっていないが勉強させてもらうつもりで飛び込むかな。当面の目標は高く私立大学附属校だけど。傑物じゃないから…。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
私立大学附属行った人を2人知っているが(本当に身の周りにはいない)、直接お会いしていないがかなりの傑物で論文や噂を見聞きするにつけ、彼らが公立を選ばなかったという事実…と慄いた。幸田国広先生は大学に出る前確か法政大学附属第二中学・高等学校だったはずで、齋藤祐先生は中央大学附属高。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
【高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職/紗倉 まな】を読みたい本に追加 → https://t.co/urDgkvFYLW #bookmeter
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
高専って言葉でこの本を思い出した。先生から洗脳されたので、出来ることなら高専の助教授もやりたい。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
先生「高専はいいよぉ〜、基本理系教育に重点が置かれているから国語にかけられている期待は一切なし!のびのび実践出来て、扱いは教授とほぼ同格。確か研究費も支給されるよ。いいなぁ、高専の先生になりたいなぁ〜」(洗脳)
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日
公立は異動先を勝手に決められるっていうのが自分の少ない人生経験から生じる感覚と決定的にマッチしない。どこに行くか分からないドキドキ要らない。勤める学校くらい自分で選ばせろと思ってしまう。そんな感性の持ち主を公立管理職が採るはずもなかろうと自分でも思うのでなりたい想いも非常に希薄。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月21日