発端はこのツイート
プレバト観てるんだけど、TV向けに点数・ランクによる序列化してるとはいえ、完全に『イン・ザ・ミドル』のアトウェルで言う「譲り渡し』ですよね。添削なんだけど、①こうしたら良くなる、を具体的に遠慮なくやって、②そのコツは抽象化もされる。
— T.Yacchae@高校 (@Yacchaee) 2019年1月3日
成長実感と納得をもたらす指導、教員もマネしたい。 pic.twitter.com/V2z2a54SOr
私が読んできたこと聞いてきたことを基に以下のように返す。
実に鋭い指摘だが、アトウェルの「譲り渡す」よりもやや一方向的な気もする。(添削を受ける側の作用が弱く、添削前の時点で既に教師の頭の中に添削迄のシナリオが出来ている)
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月3日
Yacchae先生の指摘する①②に加えて双方のやり取りの中で教師が引き出しから適切なものを「譲り渡す」ことが必要だと思う。 https://t.co/LWOcuYpx9E
アトウェルクラスの教師は添削のシナリオを構成することが容易だと思うが、それでもなお生徒の言葉を聞いて適切に軌道修正して指導することが不可欠だと思うのだ。そう考えると自分は添削に自信がなく、読んだ時にこう思ってしまったから誤解のないようにこう直せと伝えてしまう。
— はまてん (@Hamaten61) 2019年1月3日
そして以下のような返答を得た。
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通りですね!背景としてクラス単位の授業を週2で担当する中で対面カンファレンスの限界を感じ、どうしても成果物の総括的評価の質を上げることに注力していたことがあります。夏井先生の譲り渡しは「短期」の作成物に対するFBの仕方として参考になりました。
— T.Yacchae@高校 (@Yacchaee) 2019年1月3日
翻訳者の一人でRW/WWの実践も意欲的に行っているあすこま先生は以下のように述べている。
「クラス単位の授業を週2で担当する中で対面カンファレンスの限界を感じ、どうしても成果物の総括的評価の質を上げることに注力していたことがあります」って、これ僕も同じ悩みだなあ…。週2回の授業で40人学級複数はきつい…。
— あすこま (@askoma) 2019年1月3日
僕、実はプレバトを見たことないんですけど、それをもとにした本を読む限り、夏井いつきさんは大変優れた指導者なのではないかという気がしますね。彼女も「書き手が表現したかったこと」を尊重して、それと俳句の技術的な部分の折り合いをつけようとしていますよね。プレバト、見たいんです。
— あすこま (@askoma) 2019年1月3日
同じことを、「考える短歌」や「短歌の作り方、教えてください」を読んで、俵万智さんにも感じました。実作者の指導にはある程度共通点があるのかな、とも思いますが。
— あすこま (@askoma) 2019年1月3日
青国研でもあすこま先生はこの本を勧めており、私を含め参加者はメモを取っていた。(すでに読了した人も多かった)
うーん、これは僕も違うと思ってしまうなぁ。技術的に似ているように見えても、プロセスに寄り添うこと、生徒の横に座って同じ目線で語ること、「余計なことだと思ったら言ってね」と生徒に選択権があることなど、根本的な思想が違うと思う。 https://t.co/Vfh1nIediw
— モリッシー (@vivencia82) 2019年1月3日
甲斐先生の教室で感じたのは、一人ひとりに注がれる「眼差し」なんだよね。たとえば、他の人が気づかないような、二人だけの目配せとかあるんだろうなと想像させる教室。大村はまはそんなことを著書で言ってたし、アトウェルの教室にもそれはあるんじないかな。
— モリッシー (@vivencia82) 2019年1月3日
一日しか見てないから、あんまり勝手なこと言うのは良くないのだけど。
— モリッシー (@vivencia82) 2019年1月3日
あすこま先生もモリッシー先生も甲斐先生の指導がナンシー・アトウェルの「譲り渡す」に近いという風に考えている点で共通する。
奥の深い概念ほど言語化が難しい。私も教室で探究していかねばなと思いまとめた次第。