本記事のタイトルにおける「アツい」はダブルミーニング。
【ブログを書く前に】
— はまてん@乙亥 (@Hamaten61) 2018年12月30日
左:青国研配布資料(2日分)
右:『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』 pic.twitter.com/RLQm5imIin
ご覧になれば分かるようにまず、資料が厚い。そして内容も厚い、重厚である。それぞれの考えに基づき、どのような授業を作り上げていくべきか考え抜かれている。
「すぐできる!」と謳う質量ともに薄い著作をバンバン売り上げる某出版社(特定する情報は何一つない、思い思いの主語を考えていただきたい)の対極である。もちろん優れた著作もあるにはあるが、忙しい先生方の少しでも学びたいという心の弱みに付け込み、売れればよいという本を出すことのなんと浅薄なこと。資本主義の欠陥である。
そして先生方が熱い。失礼を承知で申し上げると参加者の年齢層はやや高めだが(最近は若手が研究会に入るほどの現場の余裕がないのかもしれない、一人若い先生が居たがやはり私立中高の先生であった)、生徒に負けない「誰もが底抜けに伸びたがる」熱い先生方である。今の私はあらゆる研究会に足を運び、カラカラのスポンジのように吸収しようとする熱い知的貪欲さがあるが、実際に私が授業や校務文章に忙殺されたとき果たして今のような生活が出来るだろうか。甲斐先生は大村に生徒は学校に行くのに迷わないでしょ?教師が研究会に行くかは迷うものではないというようなことを言われたそうだが、そんな初代会長大村の熱さを後続の先生方が大事に守ってきたのだろう。
ブログ更新。冬休みのお出かけその1。→ 君は君の歩幅で歩け。「青国研」の研究会にお邪魔してきました https://t.co/Pu2YXi52MD
— あすこま (@askoma) 2018年12月28日
先日の繰り返しになるがあすこま先生のブログを参照いただいた方が良い。私の記事は網羅的でなく、あくまで備忘録と学びのアウトプット練習、ほんの少しでも学びが参加していない人にも届いたらというお節介心によるものである。しかしながら、二日目の様子は少なからず参考にして頂けるかなと。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
- 作者: 帚木蓬生
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/04/10
- メディア: 単行本
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はじめに参加者は自己紹介がてら近況報告をしていった。その最中で上の二冊が甲斐先生のおすすめ本として回ってきた。
内田樹の著作は甲斐先生の教室でもたびたび教材にされる。「内田樹の文章を読むと必ずむかつく中学生がいるのよね」と甲斐先生が笑顔でおっしゃったことがある。
帚木蓬生さんは私のの読書の幅が狭く存じ上げなかった。そのため、今回初めてお名前を拝見し源氏!?という印象を持っただけである。そういえば明日源氏ファン垂涎のイベントが。
【告知】
— S.naga (@Ukifune5666S) 2018年12月30日
12/31 11:00〜23:00(12時間)
ツイッターにおいて、
『源氏物語』について語り合う
を開催いたします。(勝手)
第一回目のテーマは、#私が推す源氏物語の登場人物
です。明日は皆様、推しについて思う存分語ってください。
同担推し、アンチについても個人攻撃をせずに意見交換を。
タイトルだけで申し上げるのはやや気後れするが、敢えて言えば探究による学びはまさに学習者が「ネガティブ・ケイパビリティ」を持ち、教師がそれを育てていくことが必須である。それがどういったものなのかこの本を読んで学びたい。
かなりミーハー心をくすぐる経歴である。
急遽『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』著者のあすこま先生がいらっしゃることになったため、訳者前書きの読み合わせと気になった部分について自由に語り合った。
先生方の気になった点としては「譲り渡す(hand over)」という語にどのような意味合いが込められているか、思考のプロセスを見る・見せるということについての話題が出ていた。
ゲストによる実践報告
毎回冬の勉強会にはゲストを招いているそう。今回は植田恭子先生。
研究との関連で受賞した先生が受賞した研究内容の詳細を検討したいと思っているが、公開されている情報はなさそうだ。博報賞受賞研究でオープンアクセスの紀要を作成してくれたらと思う。
今回は「ことばは生きている」と「時代を生きる1945」の二つの単元の報告をなさった。
「ことばは生きている」は全7時間の単元で誤用の多い慣用句への気付きを基に「ことば食堂へようこそ!」をモデルとした動画作成・総合評価を行い、言語生活を見直しコミュニケーションのあり方について考えたという内容だった。
「時代は生きている1945」戦後70年の節目の年に中2・3(1~9月)に跨がる全18時間の帯単元で、主として教育用SNS(Schoology)に活用し、「15歳日本のどこかに居住」する「1945年を生きる架空の人物」になりきって書き込みを行うことで、他人ごとにならず戦争を考えることを目指したものである。なりきりについては
子どもの思考が見える21のルーチン: アクティブな学びをつくる
- 作者: ロンリチャート,カーリンモリソン,マークチャーチ,Ron Ritchhart,Karin Morrison,Mark Church,黒上晴夫,小島亜華里
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2015/09/24
- メディア: 単行本
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166頁から173頁にあるらしい。戦争を扱う単元についてはどのように扱えばよいか悩ましいところであるが、なりきりもまた有効な手立ての一つになるかもしれない。
戦争を扱う単元については他の先生による上の本に紹介されたデジタルストーリーテリングの作成を軸に据えた単元の発表も行われた。生の声ではなく、吹き込まれた声を何度も録り直すことで自分と向き合う経験をさせるというのもよいかもしれない。
同じ先生が哲学対話の体験を「愛のサーカス」で問いを立てて読むことで行う単元の発表も興味深かった。関連する以下の本も早く読みたい。
- 作者: マシュー・リップマン,河野哲也,土屋陽介,村瀬智之
- 出版社/メーカー: 玉川大学出版部
- 発売日: 2014/06/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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植田先生の実践を巡って安居先生からは、自分の経験でしかものを語れないということ、そこから教師が言語学習材をあるもので限らないこと、今回重視されていた情報だけでなく言葉そのもの、言うなれば教室の言葉なども言語学習材だというお話、学習をどのような仕掛けで組み立てるか指導者が子どもをどう見るかというお話が合った。
あすこま先生と『イン・ザ・ミドル』を巡って
まずは「譲り渡す(hand over)」についてのお話があった。「手渡す」には相当する語「hand off」があり、それとは異なりなかなか使われる言葉ではないが、アトウェルはこだわって使っていることや、押し付けというイメージではないこと、甲斐先生の指導が「譲り渡す」であることといった話がなされた。
詩の重視については、読む→良さを見つける→書くといったサイクルが短いこと、様々なジャンルのレトリックが学べること、アトウェルの詩を教えるミニレッスン集「Naming the World」の存在の話もあった。
ナンシー・アトウェルやあすこま先生自体のヒストリーの話も興味深かった。
初版の頃はは教えないこと・ファシリテーターに徹することにこだわっていたが、第二版の頃は子育てを契機にそのこだわりが揺れ始め(あすこまさんはこの第二版を翻訳したかったそう)、第三版にいたる現在は自身の教え方に確信を持っているという流れだそうだ。改訂のたびに自著の7・8割書き換える教師としての変容ぶりがすごいと思った。
あすこま先生が学生時代野口米次郎・比較詩学を研究していたこと、中高生時代ノンフィクション・歴史・新書をよく読んでいたこと、その経験から先生の所属する学校の生徒もそうかと思いきや彼らは小説を手放さないことをあすこま先生が意外だと思ったことなどが話題となった。
以降は実に様々な実践報告がなされたが、その中でも特に自分の問題意識に近いものや興味深かったものに絞ってまとめたい。
自分だけのオリジナルの詩集を作ろう
公立中学校のベテランの先生による卒業単元。とにかく先生が詩の魅力を生徒に知ってほしいという先生の思いが伝わった。入試等で抜けが出ている時期の全9時間の単元。地域の図書館と連携して集めた300冊の詩集からお気に入りの詩を選ぶ(最低3編)、写す、製本する、読み合うという流れ。
中高時代の国語の授業で何かを作るということがなかったので、学習記録の存在を知った時もそうだったが衝撃を受けた。認知心理学でもものづくりの重要性が指摘されているらしい。こうした実践の存在を知れたのもよかった。「文学国語」の言語活動に示されるアンソロジーづくりの示唆が得られた。
外大仏文→東大院?の私の母校の先生は分厚い国語の教科書を一回音読させ読破、定期テスト100問って感じの人だからなぁ。そんな感じの授業なのに生徒には好かれていた。国語科で唯一好きでない先生だった。ただ本当に博覧強記で、俳諧研究に没頭していたんだろうということは認める。公開授業楽しみ。
— はまてん@乙亥 (@Hamaten61) 2018年12月30日
何に出会えるかという点で、彼は実に多くの文章に出会わせてくれたのだと思う。教材を選ぶ行為は裏返せば、扱わない教材を選ぶ行為なのだ。しかしそれらは手元にある教科書だけにとどまらない。採択しなかった多くの教科書にも。大胆に何を教えたいかで教材をカットすることを恐れてはいけないだろう。
— はまてん@乙亥 (@Hamaten61) 2018年12月30日
選択の功罪については最近考えているところである。思い切って選ばせるということも私の授業に取り入れたい。(ものすごく大変なことは承知で)その実践を発表した先生が予想を超える意外な詩を選ぶ生徒がちらほらおり、生徒の知らない一面に触れたという言葉が印象的であった。選んだ教材しか与えていないと見えないものである。
単元が単元を生む
今私が単元学習について最も注目しているのは、一つの単元を構成することではなく単元と単元が有機的に結びつき、相互に関係し合い大きな学びを学習者が作り上げる在り方である。
第9章新単元学習読了。新単元学習および総合単元学習は単元学習の良さを継承しつつ、学習法を学ばせることや題材領域や認識対象を広げる、年間指導計画の確立を目指すことを志向するものだそうだ。国語科の中で出来る探究はこういったところへと収斂されそうだ。遠藤瑛子先生の実践も紹介されていた。
— はまてん@乙亥 (@Hamaten61) 2018年12月23日
単元は学習者の実態から構想されるものではあるが、それと合わせて巨視的に付けさせたい力を系統的に身につけさせるような体系性も必要だ。山本悦子先生による「単元学習による国語学習カリキュラムの構想」は是非読んでみたい。
— はまてん@乙亥 (@Hamaten61) 2018年12月23日
こうしたことの具体が分かる論文として僭越ながら以下のものを勧めたい。
昨日を要約するとピザ食って酒飲んでちょっと過去の資料をゴソゴソしてただけの情けない日だったのだけど、下の論文を読んで一気に目が覚めた。構成要素を明確にして、単元の有機的な繋がりを示す。私もこんな実践論文が書きたい。https://t.co/GTcYycsOXj
— はまてん@乙亥 (@Hamaten61) 2018年12月21日
こうした視点での発表が二つあった。
東京学芸大学附属小金井中学校数井千春先生と桜修館中等教育学校荒井佳子先生によるものである。
数井先生は前単元「考えを伝える:具体と抽象の往復」から生徒が「悩んだり迷ったりする複雑な自分の心をみつめて言葉にでき」るようになるため、「揺らぐ思いを語ることに焦点」を当てた「いにしえの心を語る―私たちの考える「人間らしさ」とは―」という単元を構想し実践した。単元の詳細は次年度に出るであろう研究紀要に譲るが、単元の終わりに個人で構想した自主学習を1か月間させるという計画に度肝を抜かれたということを記しておきたい。
荒井先生は「問い」を軸に単元を有機的につなげ、「羅生門」でそれらの学びがどのように生かされたを論じようとする論文の草稿を発表なさった。完成稿をぜひ拝読したい。高等学校国語科は教材ベースの授業が多く、学びの繋がりに乏しいという感覚を持っていたため、荒井先生の単元のつなぎ方はぜひ参照にしたいと思った。
実に学びの多い二日間で、既存の思考の枠組みをグラグラと揺さぶられ、勉強不足を痛感し、かといって希望を失わず、甲斐先生の言うような研究会後に体が軽くなるような感覚があった。(が私は聞いているだけなのにどっと疲れた)
来年は例会にも参加し、院修了後もずっと通い続けるタフさを持った実践者になりたいと決意を新たにしたのだった。