虎哲先生の探究

単なる大学院生の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

大村はま記念国語教育の会平成30年度記念大会振り返り(研究発表編)

 

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 当該大会は1か月前のことになる。翌週に全国大学国語教育学会大会があった。

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 10月30日から11月15日にかけて、甲斐利恵子先生の国語教室で学ばせていただいた。加えて11月10日に筑波大学附属中学校、同月16日に東京学芸大学附属小金井中学校の教育研究協議会にも参加した。実りの秋である。

 もともと足で稼ぎ色々なことを見聞きするのが好きなタイプなのだが(高校2年の時に気が付いていれば卒業論文も…)学んだことの言語化を意識しなければそれが抜け落ちてしまいかねない。ということで早速内容に移る。

 

大村はま諏訪高女時代における綴り方コメントの考察~コメントに表れた言語観・指導観について~(広島大学大学院教育学研究科博士課程後期 片岡実先生)

  片岡先生は被虐待児の教育に関心があり、大村の「優劣のかなた」にある学習を志向した単元学習の要素を学校現場に取り入れることで、被虐待児だけでなく多くの子どもたちの言葉の力を伸ばし、人としての優劣を意識しない人間関係を結ぼうとする心を培うことが出来るとして研究をなさっている。

 今回の発表で片岡先生は大村による諏訪高女時代の綴り方コメント(「大村はま国語教室別巻」123頁から153頁)全てを分析し、そこに表れた言語観・指導観を探り出すことを試みた。

 この発表によって初めて大村による作文へのコメントを見たが、体言止めの多さが目立ち非常に芸術的であった。綴り方自体についてはあまりよくわかっていないためそもそも綴り方自体がそういう指導なのかなとも思うが、片岡先生の言うように技能目標を中心に展開されておらず、言葉の価値や生き方の価値に触れさせることが主であるように思われる。目先の間違いを正すのではなく、書くことの意欲を引き出すことが長期的に良い書き手の育成につながるのかなと思い、このブログを書きながら妙に納得した。

 

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

 

 この本を読んだからかもしれない。

 分析の手法に関しては、作文とコメントは一体で評価すべきというもっともな指摘が聴衆側からなされたが、こうしたコメントの仕方を切り取って指導観・言語観を見ようとする研究自体には価値がある。

 

大村はま国語教室における「聞くこと・話すこと」の学習指導の検討―『新版標準中学国語』(西尾実監修 昭和四十七年発行 教育出版)を取り上げて―(広島大学大学院教育学研究科博士後期課程 ノートルダム清心女子大学 伊木洋先生)

 個人的に参考文献・資料として自身の修士論文を挙げていることが興味深い。題目は「中学校における『聞くこと・話すこと』の教育の研究」であり、鳴門教育大学大学院修士課程を修了して20年近く同テーマを探究し続けているということになる。

www.ndsu.ac.jp

  経歴を見るに主として中国・四国地方において国語科実践の深化に努めておられることが推察される。研究テーマの一貫性にも研究者としての芯の強さを感じられる。教育学研究科修士課程→現場→研究者という流れにも憧れを抱く。

 「話すこと・聞くこと」は協働の基盤と成り得るため探究をテーマに据える私は興味深く拝聴した。

 「一 大村はま国語教室における「聞くこと・話すこと」の学習指導の概括」は私のような大村はまビギナーにとって、非常にありがたいものだった。

 

大村はま国語教室の探究 (国語教育研究叢書)

大村はま国語教室の探究 (国語教育研究叢書)

 

  野地潤家先生がこの本の48頁で「大村はま先生が中学校国語科教育の実践面で開拓され創造され完成させられた指導法にかかわること」の主要八項目を提示し、その第一に「話し合い・討議の学習指導」を挙げたことを示し、大村の「聞くこと・話すこと」指導の価値を示している。研究者をして「完成させられた」と言わしめる指導法を見ずして自ら新たな学習方法を考えようというのは「巨人の肩に乗る」ことを避ける愚かな行為かもしれない。先行研究を踏まえることの重要性が分かる。以降「聞くこと・話すこと」の実践を列挙し、それらの簡単な紹介をなさっている。

つくばリポジトリ

 「二 大村はまが編集に携わった教科書における「聞くこと・話すこと」の学習指導」の冒頭において大村の「教科書だけに頼らずに、自ら教科書を作ってゆくことが、単元学習を成功させる一つの、しかしかなり大きな一つの力である」(『大村はま国語教室 第一巻』127頁)の言葉を引いているのが印象的であった。

 大村が編集に関わった教科書は筑摩書房昭和31年度版及び36年度版『国語』、教育出版昭和47年発行『新版標準中学国語』

 教科書における話し合いは実にスムーズで参考にならないという旨のことを今回の発表で中心となる資料(以下中心資料、大村はま「聞くこと・話すことの指導はこのようにー『新版標準中学国語』の教材研究ー」)で書いてあることも示し、実際の話し合いを通して学ぶことの重要性を示している。甲斐雄一郎先生による三年間の指導内容の復元によって、三年間継続して話し合いの学習が行われたことが明らかになったと示している。

つくばリポジトリ

 甲斐先生の国語教室で学び、なるほどと感心されたことに単元はそれ自体のみで成り立っているのではなく、複数の単元とのつながりによって成り立っていることがある。三年間の指導内容の復元は個の単元としてではなく有機的な単元を見るうえで不可欠な研究である。

 また、大村は話し合いの話題として「国語の学習生活」を挙げていることを伊木先生は中心資料から示された。これに対し「子どもがのってくる話題ではないのでは」という聴衆の指摘もあったが、伊木先生は相手の主張を受け止めつつ、自身の教師経験から子どもがのる話題は脱線の可能性を孕んでおり、指導に適さない場合もあることを示唆した。双方の主張ももっともであり、この段階でどちらかより真かは判断しかねる。

 「討議を経験させることと、討議を教えることとを区別する」ことは基礎的なことながら案外見失いがちである。討議に限らず、質問やコメントなども方法を教えずに数をこなすだけではそれらの力の伸びは期待できない。

質問力ということに焦点を当てて単元作りをしてみたいと思っている。

 

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この記事において甲斐先生が過去に「質問力」を扱った単元を紹介しているのでこちらも参照されたい。

 今回の伊木先生の発表によって中心資料の価値が再確認された。私も質問する力という観点で当該資料の検討をしてみたい。そろそろ教科書研究センター附属図書館にお世話にならないとと思う今日この頃。