2000字くらい書いてたブログ記事が消えた…バックアップもそこじゃねぇってところでされてるし保存してたところから書き直しや…
— はまてん (@Hamaten61) 2018年11月4日
こんな事情で傷心状態だったのだが、今日もまた「ブログ見てます」という言葉を頂いたので、奮起して書く。自分が良いなと思う先生方は詩を研究したり実際に書いたりしている人が多い気がする。
さて今回の記事は、
と
との間、1日目午後のシンポジウム『「文学国語」という考えかた―新学習指導要領下における国語科教育の再編―』を扱う。最近は文学と「感性・情緒」の側面という考え方に疑問を抱いている。日本文学協会の主張する文学の読みによる自己倒壊が常に起こるとすれば「感性・情緒」の側面を押し出してもよいが、やはり滅多のことでは起きないような気がする。
21世紀に生きる読者を育てる 第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校
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上の本を読んで考えたい。
文学と深く向き合っていないからこその考えなのかもしれないが、問いを基に読んであくまで叙述に即した自分なりの読みを表現するような「高等論理国語」として文学を扱っていきたいなと個人的に思うのだ。IBや以下の本影響が強いのだろう。
クリティカル・シンキング教育:探究型の思考力と態度を育む (早稲田大学エウプラクシス叢書)
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歴史的視点から(早稲田大学 教育・総合科学学術院 幸田国広先生)
科目再編の背景と国語科の中で文学を切り分ける考え方は戦後すぐから既に議論されていたことを資料によって示す内容だった。現在指導して下さっている先生が国語教育史の専門なので現在話題になっていることも実は既に議論されているということはあるあるだと知っている。しかしながら過去の文献や主張を丁寧に追っていくことに価値があるのだろう。
修士論文の一部として総合単元学習に今日的な探究の要素を見出し価値づけたいなと最近は考えている。
新科目構成の必然性と意義として「曖昧なものがはっきりする」ことを挙げていた。「国語総合」を「現代の国語」と「言語文化」とに二分化することは中教審答申に挙げられた国語科の課題に応える・義務教育との接続と内容の高度化専門化・選択科目への基盤として必然で意義のあるということなのだろう。
「現代の国語」は「方法知」、「言語文化」は言語を相対化する「内容知」という解説は思い切った解釈だと思いつつ、必履修科目が独立してあるのではなく互助的な働きをするものだということを示す意味で非常にわかりやすいと考える。
文部科学省は今回の科目再編で高校国語科教師の頭を「教材ベース」から「資質・能力ベース」に変えようという意図があるのだろう。
国分一太郎・奥田靖雄・熊谷孝・草部典一の名は初めて知ったので、彼らがどのような考えを持ち、どのような影響を与えたかについても示された文献から考えたい。西尾・時枝論争については断片的な知識しか知らないので初学者にも分かりやすい(双方の主張・対立点と共通認識・国語科教育への影響について分かる)文献等あればぜひ教えていただきたい。
「文学国語」へ「文学国語」から―読み/書きの行為を通して、喜びを味わう経験を重ねる場をつくり出す(広島大学 山元隆春先生)
大村はま国語教育の会記念国語教育の会でもお話を伺ったため、二週連続の山元隆春先生である。
2週連続で広大の先生にお会いしているのでもはや広大の院生と言って差し支えないのでは?(いや、ある)
— はまてん (@Hamaten61) 2018年10月28日
冗談はさておき、実際教員や研究者になる院生が多い(印象がある)広島大学や筑波大学の大学院という環境は正直うらやましい限りである。高校生時代センター試験後に東京学芸大学B類国語から当時家から通える範囲で確実に入れる国立大学であった埼玉大学に志望校変更したことや東京大学大学院を昨年9月に受験したことなど進路選択に後悔はないが視野の狭さは否めない。今のところ自分の選択が良い方向にいっているから良かったものの、視野を広げる必要があるなと。
まず、山元先生は「「文学」とは何か?」についてテリー・イーグルトンの『文学とは何か』の「人間と著述との、一連の関わり方」という言葉を紹介している。実に抽象的で正直よくわからない。文脈に即して理解する必要があるのだろう。
新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む (岩波セミナーブックス)
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などの本を読んで自分なりの考えを形成したい。しかしそもそも自分が文学と深く関わらなければ仕入れた考えも貧相なものとして口から出ていくことになるかもしれない。文学に関わらず「○○とは?」という問いについて教師は考え続ける必要があるのだろう。
次いで「文学国語」という科目について指導事項と言語活動例について示し、科目の概要について確認した。この部分は実にさらっと流していたが「B読むこと」の言語活動例オの「アンソロジー」という言葉に触れ、集める・選ぶために読むことが出来る活動だと意味づけていたことが印象的だった。教師が与えた作品だけでなく、選択の仕方や観点を示し、生徒と作品との出会いを確保することも大事なのかなと。
「文学国語」の働きとして山元先生は以下の5つを挙げていた。
(1)文化的対話の入り口を提供する
(2)言葉の文化の働きを「使う」
(3)想像力を駆使する練習
(4)優れた学び手/小さな専門家を育てる
(5)教科「国語」の問い直し―教師を育てコーチを育てる
上記についてレジュメを基に気になったところを挙げていく。
(1)文化的対話の入り口を提供する
Applebeeの「教育というものは子どもたちに、自分たちの生活と生きている世界についての文化的な対話の入り口を提供するものだという考え方はカリキュラムの問題について考えるための良い出発点となる」という言葉、それに対する山元先生のカリキュラムには「対話領域」が必要という考え方はなるほどと思わされた。
(2)言葉の文化の働きを「使う」
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この本の中の宮本道人「対震災実用文学論―東日本大震災において文学はどう使われたか―」で紹介されたコールドスポット性・自他問答性・トランスサイエンス性・シミュラークル性・震災前文学性についての話が興味深かった。是非本書の記述に当たりたい。また同文章の中で取り上げられている
は甲斐利恵子先生の「国語教室通信」でも紹介されている。授業者の教材に対するアンテナの高さの重要性を日々実感させられる。
(3)想像力を駆使する練習
山元先生の紹介したアメリカの高校国語教師ケリー・ギャラガーの著書のタイトル「Readicide」(日本語で言えば読殺)や副題「How Shcools Are Killing Reading And What You Can Do About It」にはドキリとさせられる。ギャラガーはケネス・パークの「想像力を駆使する練習」という言葉についての言説を引用し、本を読めば読むほど子どもたちが複雑な現実世界を想像力を駆使して理解する力が付くと主張しているそうだ。この側面を国語科教育でどれほどカバーできるか考えなければならない。
(4)優れた学び手/小さな専門家を育てる
理解方略を習得させ、「幅広いテーマや興味・関心やジャンルの本や文章を探究することに駆り立てられる」というところに興味を持った。やはりIB文学から学ぶところは多い。
(5)教科「国語」の問い直し―教師を育て、コーチを育てる
ハマることをどう促すかということで、
が紹介されている。同著にも引用されているルイーズ・ローゼンブラットの考え方はより深く知りたい。
邦訳は出ていないそうだが、上の本にローゼンブラットの交流理論が紹介されているそうである。名著が名著を呼ぶ。抜け出せぬ読書の沼である。(なんていうほど読んでいない)
上の本はなぜCD-ROMがついているのですか?
非常に充実した内容で山元先生のもとで博士課程が過ごせたらさぞ良い学びになるのだろうと思った。
読書を調べる、教える 国語教育の新しい地平へ(早稲田大学 和田敦彦先生)
面白い切り口である。和田先生の研究対象は「読書」である。
読書の意義を語ることも勿論大事だ。しかし検閲など本との出会いが阻まれた時代について知ることによって翻って、今読書出来ることを考えることもあるだろう。
や『イン・ザ・ミドル ナンシーアトウェルの教室』にてアトウェルのカンファランスによってヘレナが見事な書評を書いた
などを読むことも「読書とは?」を考える契機になり得るのだろう。(読んでいないので断言できない)
実に充実したシンポジウムで多くの宿題をもらった気分である。