虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

教育学研究科学生の戯言

 我が大学はいわゆる教育学研究科の修士課程がなくなり、教職大学院に一本化される。こういう大学は多いようだ。

 教職大学院は実践的研究者を作る役割ではなく、現場のリーダーを育てる役割を持っている。したがって、現在教育行政が難儀している管理職不足に対しては効果があるが、正直なところこの一本化の流れは学校教育全体の弱体化を招くのではないかと危惧している。

 事実教職大学院への長期研修で研究を行っていた先生は研究を活かして授業をするのが楽しみだとおっしゃっていたが、翌年度自治体の指導主事に異動されていた。研究がそのまま現場に還元されないと言った実態が教職大学院にはあるのではないか。

 いわゆるストレートマスターで教職大学院に進学した者は授業および実習で齷齪しているようだ。課題研究に充てる時間もあるようだが、教育学研究科修士課程に比べるとごく少ない時間だろう。教育学研究科修士課程の学生は時間的なゆとりがあり、自身の研究について考え行動する時間が多い。教職大学院の学生は自分の研究への興味関心によって動くというよりも、上から与えられた知識を享受し、教育行政にとって都合の良い教師および管理職になるよう扱われているように見える。このことに気がついている教職大学院の学生はいるのだろうか。データは見ていないため分からないが、教職大学院は内部進学者がさほど多くない(内部進学者があまり進路として選ばない?)ため、他大学の学生の受け皿になっている実態があるようだ。早く管理職になりたいといっている友人が教職大学院に進んでいたのは賢明な判断だと思ったが、仮に教育学研究科との違いを論文の有無という点のみで考えている人がいるならば教育を担う存在としてあまりに浅薄だと言わざるを得ない。

 教育学研究科修士課程(およびその他研究科)が教育現場にとってどのような影響を与えているかについては検討が必要だが、自治体のミドルリーダーを養成するという目的以外の大学附属校(主として研究開発を担う国立大学附属)の教員は教育学研究科(およびその他研究科)の出身が多いようだ。もっとも教職大学院の成果がまだそういったところに表れていない可能性は否定できないが。私は自身の希望する進路と照らし合わせて教育学研究科を選択した。教職大学院を選択した者にも言い分があるだろう。いずれにせよ双方の顕在・潜在のメリット・デメリットを洗い直すことなしに論じることのできない問題だと考える。

 ともかくすぐに役立ちそうなものに一本化し、一見どのように役立っているか見えづらいものを削減して行く流れ(文系大学院の削減、研究に対する冷遇しかり)に一種の虚しさや危機感を抱くのである。私見を個人の見聞によって個人の感情に任せて述べているだけなので、考えるきっかけを提供するものとして話半分で読んでいただきたい。精緻にエビデンスを揃えて論じ直したいところである。