昔大学時代の同期(高校国語教師)が「この前一時間の授業で『羅生門』1行しか進まなかった」という笑い話をしてくれたけど、それは笑ってはいけないと思うんですよね。どんな授業だったのかは詳しく聞いていませんけど、それは高校国語の授業として相応しいのかなという疑問は持つべきだと思います。
— はこせんは読書マンになりたい (@Haco_bb) 2018年8月8日
発端はこのツイート。
雑談等で1行しか進まなかったのと、今までの学習の積み重ねで1行を深く考えていった結果そこまでしか進まなかったのでは意味が違いますよね。
— はまてん (@Hamaten61) 2018年8月8日
進度・効率を優先して、何を生徒が学んだかを見ていないのは如何なものかと思う。行数は進めたけど、特に学んでませんよりは1行を深く学ぶことも時には必要。
勿論、はこせんさんは当該ツイートの『進度・効率を優先して、何を生徒が学んだかを見ていない』教師ではないだろう。しかし、その1行の学びがどのようなものであったかを度外視して『高校国語の授業として相応しいのかなという疑問は持つべきだ』と断ずるのはあまりに早計と言わざるを得ない。件の『大学時代の同期』が授業の進度のみを是として、仮に生徒が「この一行についてよく考えたい」と言ったことを契機として行われた授業を笑い話としているならば、問題の根は深い。
僕も教わったことのある、すでにご退職された本校の伝説的な漢文の先生は、急遽の代行などで出席の呼名で一時間使う方でした。生徒の氏名に使われている漢字を講ずるのですね。あれなど、あの先生にとっては余技なのだと思いますが、圧倒的な教養のなせる技だよね。
— あすこま (@askoma) 2018年8月8日
あすこま先生の言う『伝説的な漢文の先生』も進度という物差しのみで測るなら、教師失格かもしれない。しかし、『急遽の代行』によって多くの生徒の漢字に対する関心が少しでも高まったことを考えれば、一概に授業を断じることは滑稽である。
さらに言えば、「一語を解釈するのに何時間もかける」という経験も、一方的に無益なものとは言えませんね。
— 思考塾 (@shikojuku_think) 2018年8月8日
むしろ、私は、個人的には、学生さんにそういう経験をしてほしいと思います。 https://t.co/1SHbANGlfc
教材を読み進めるスピードについては何が授業の目標なのかによって変化するので、全体を読んで大枠を掴む授業だったらめちゃくそすっ飛ばしてどんどんいろんな文章を読むこともあるし、別方向から読み直した方がいい場合は観点を変えて読むこともある。
— 国語科教員 (@coda_1984) 2018年8月8日
授業における「多読/精読」問題ですが、これはケースバイケースだと思います。対象学年や授業の目的によっては同じテクストを速読することも精読することもあります。読書における「多読/精読」問題と同様に目的とバランスの問題であって、どちらが良い/悪いと決することはできないと思います。
— pedantic.kaworu (@pedkwr) 2018年8月8日
こうした先生方の考え方は基本的に私の指導観と合致する。
例えば、『教室における読みのカリキュラム設計』で紹介されている渡邉実践は、切り取られたテクストのみを解釈するという文学に対し不自然なアプローチが行われがちな『こころ』で、全文を読み、学習者自身が「論じる」学習をしているという点で学ぶべきところが多い。
— はまてん (@Hamaten61) 2018年8月6日
教科書における『こころ』の扱われ方に関する問題は小森陽一氏の以下の本に端的に示されている。
大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)
- 作者: 小森陽一
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/10/10
- メディア: 新書
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9年前の本であるが現状としてここに示された問題は解決されたと言い難いことを大学院の授業の発表において明らかにした。『こころ』に関しては思い入れのある教材なのでいずれブログで私見を論じたい。
教室の読みにおける進度の問題としてテストとの関係も挙げられる。
同じ学年を他の教員と分けている場合は授業進度を合わせる必要もあるので、だいたい○○時間でとなって、それにそって授業数が決まって、その中で何をするかを決めることが多いんじゃないですかね。
— 国語科教員 (@coda_1984) 2018年8月8日
この現状が授業の「効率化」を促しているのではないか。ある高校生が授業内容を基にテスト勉強したら全く違う問題が出てきて今までの授業は何だったのかと思ったという話を聞いた。
これほんとに批判じゃなく素朴な疑問なんですけど、ほかのクラスと授業進度を合わせる必要ありますか?
— はこせんは読書マンになりたい (@Haco_bb) 2018年8月8日
あと、なんで自分が授業したクラスのテストをほかの教員が作成するんですか?担当するクラスのテストは担当する教員が作成すれば良くないですか?
授業は違うのにテストは同じというのは、生徒の混乱や「授業を受けても無駄だ」という無力感につながりかねない。学校外では違う教科書、違う授業、違うテストで行われているのである。ある程度の同意が図れれば、テストや評価までそろえる必要があろうかとも思うのである。
何はともあれ
今日は午前中にも関わらず国語教育クラスタの皆さんが色々と持論を展開されていて非常に楽しい。
— はこせんは読書マンになりたい (@Haco_bb) 2018年8月8日
一堂に会しているわけではないが、考えを交し合える。ここにSNSの良さがあるように感じるこの頃である。