虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

目標を振り返って

 大学院に入学して3か月が経過した。大学院の講義は人数の関係もあってか、大学の時よりもきめ細やかで、当然のことながら質も高いように思われる。そんな講義は一日に一つあるかないかで、もっぱら本を読んだり、考えを巡らしたりする日々を過ごしている。また、院生という立場を生かし、学会には積極的に参加するようにしている。数年後学会に貢献できるような実践者となるビジョンは未だ見えていない。先は長い。努力、努力の日々である。

 ここでひとまず正月に立てた目標を振り返り、今後に向けての方向性を見いだしたい。

 

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①年間50冊本を読む。

読了こそ少ないが、並行して読んでいるものが多く常に何かしら読んでいる状況である。そんな中でも八田幸恵氏の『教室における読みのカリキュラム設計』はやはり読んでおいてよかったと思える著作だった。

 

教室における読みのカリキュラム設計

教室における読みのカリキュラム設計

 

 

特に2章における渡邉久暢氏との「こころ」を教材とした共同実践研究は「探究」と国語科との関連ってまさにこういったところにあるんだよなぁと目指すべき方向の正しさを再確認するとともに感嘆しながら読んでいた。研究者と授業者が同じ方向を向いて研究する真の教科教育学研究を見た気がする。こんな実践がしてみたいものだ。

 

修士論文の骨組みを作る

現在は卒業論文から継続して「探究」に求められる資質・能力について、文献や実践を調査している。この夏はそれと並行して教科書分析を行う予定である。様々な話を見聞きするにつけ、中学校はともかく、高等学校は教材の力が強く、言語活動を通して資質・能力を育成するという感覚に乏しいように思われる。無論言語活動と資質・能力の育成が直線的に結びつくわけではないが、VUCAの時代といわれる昨今、やはり「今まで通りの国語科」ではそれに対応出来る生徒の育成にとって役に立たないどころか足手まといである。月並な言い方ではあるが、国語科の全てを変えるのではなく、良い部分を発展させ、見直すべきところは見直す必要があるのだ。一年半後に提出するのは、一介の大学院生が書いた修士論文である。しかしながら私なりに「探究」的な国語科のあり方を模索し、提案性のあるものにしていきたい。

 

③京都に行く

6/29に行われた第20回京都市立堀川高等学校教育研究大会に参加し、ついに人生初の上洛を果たした。公開授業や教科の研究主題は期待していたものと異なっていたのが少し残念ではあったが、「自立する18歳を育成」するという目標に学校一丸で取り組む気風が伝わってきて、夜行バスに揺られて来た甲斐があったと思った。こういった職場に巡り会えるよう、また必要とされる教師になるよう尽力したい。一泊して翌日念願の京都観光をした。ここに関してはあまりプランを立てず、行き当たりばったりであった。が、市内や宇治、金閣寺を巡ることが出来たためひとまず、満足である。桜や紅葉の季節にも違った趣を見せるそうなので、また折を見てゆっくりと観光したい。