虎哲の探究

一介の公立中高国語科教員の戯言。未熟者による日々研鑽の記録。

ツイートでふりかえる3/26-31の旅

3/26 東京→京都

mutsugiku.jp

定休日にぶち当たる男(1回目)

浜松良いとこ。むつぎくの他に浜松へ行く口実が欲しい。

 旅読書1冊目

草枕 (1972年) (岩波文庫)

草枕 (1972年) (岩波文庫)

 

拙書評

 

  ここでの発表で戦前の国語教科書によく載っていたと知ったのも読みたくなった要因の一つ。個人的にはなかなか没入できなかったが、まさしく旅で読む本。

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  無事京都に到着し、ピョンキチさん・ちいちゃんさんとともにはこせん会。お二人とは約3か月ぶり(※1)はこせんせーとは10日ぶりの再会。(※2)

※1 前回のはこせん会

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※2 はこせんせーとは読書会でお会いしていた。

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 こちらのお店でお二人の新年度からのご活躍を応援する意味も兼ねてはこせんせーが全額おごってくださるという男気。そして私もその恩恵にあずかるという。

 帰り道いつでも泊っていいというお話を頂いたので早速いいですか?とばかりにご厄介に。ここではこせんせーの心の広さによる恩恵に与れたのはこの旅でもかなり大きかった。

 

3/27 はこせんせー宅→高松

 はこせんせーの卒論を拝読した。人となりを知るうえで論文ないしその人の書いたものを読ませてもらうのは非常に良いと考えているので有難かった。私は門外漢(と言ってはいけない気がするが)なので、この研究が研究史上でどのように位置づけられ得るかは分からないが、玉鬘と異界性の問題について先行論をふまえ明瞭に論じていたのが印章深かった。

定休日にぶち当たる男(2・3回目)

はこせんせーに太りにくい食べ方を聞く。(以下)

スペシャルサンクス:はこせんせー

 

 旅読書2冊目

新しい古典・言語文化の授業: コーパスを活用した実践と研究

新しい古典・言語文化の授業: コーパスを活用した実践と研究

 

 本学でワークショップをして下さった際に河内先生が学生に無料配布して下さった。その恩に報いるべくこの本の普及に陰ながら微力ながら協力を。

拙書評

 

旅読書3冊目

  法政大学第二高等学校早稲田大学大学院と二度母校に勤められている幸田先生は憧れのキャリア。学会でのコメントも国語教育史上の積み重ねを踏まえたもので非常に勉強になる。(今指導して下さる先生も同様(ドヤ顔))

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

 

 

四国人生初上陸(高松)

※ネットの情報を鵜呑みにしてはいけない。

快活(1泊目)

 

3/28 高松→鳴門教育大学

ドカベンとかで。鳴門教育大学に来たのは

 

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 のためである。スペシャルゲスト(研究でいらっしゃる日に強引に合わせた)は学習院中等科甲斐伊織先生、学習院女子中・高等科山本健大先生で、院国研メンバーの指導教官である高山実佐先生も来てくださった。二日間電車に揺られた甲斐があったと思う本当に素敵な時間だった。近いうちに学びの一端を記事にしたい。

迷ったら行く人。↓

 

3/29 徳島観光 児島(岡山県)→広島

awaodori-kaikan.jp

ステージ上で阿波踊りしたら準優勝的な扱いで鉢巻がもらえました

 次来たら買おう。眉山、いのたにというラーメン屋にも行った。まさに

www.youtube.com

という感じ。眉山のロープウェイで聞いて沁みた。都会生まれはある意味故郷がない。

 観光後は院国研メンバーで同学年のゆきじ君に岡山まで送っていただいた。

彼は私にないものを持っている直接ではないが切磋琢磨して共に良い論文を作っていけたらと思う。

読書メモ

広島着

広島に行った際は是非。(他にお勧めできるところを知らない)

tabelog.com

快活(2泊目)

3/30 広島近代文学研究会 広島→三ノ宮(兵庫県

広島近代文学研究会について。余力があれば記事にしたい。

この旅で一番嬉しかったこと。

いつか難波先生の報徳学園勤務時代のお話が聞きたいなと思う。

現職の先生の発表の「探究」と「探求」に関して。内容が興味深かった分細部の言葉にこだわりが感じられなかったのは非常に残念。私がこだわり過ぎなのかもしれないが。

快活(3泊目)

 

3/31 三ノ宮→東京

定休日にぶち当たる男(4回目)

拙書評

旅読書4冊目

今日には読み終わるかな。

 

なかなかの大作に。お忙しい皆様にはできない青春18きっぷ使い切り+快活使いまくりの人情旅。この夏青春18きっぷで徳島に行ってみてはいかがでしょうか?(という謎の締めくくり)

『国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル』読書会学びのおすそ分け

  去る3月16日念願の第一回読書会が開催された。私の日取りが悪かったのか、参加できないが是非行きたかった!というご連絡は直接間接問わずたくさん頂いていた。

 そんな方々のために今回の記事では参加された方の素敵な感想と並べて際立つ私のしょうもないツイートでお茶を濁さずこれぞというものはピックアップして伝えできれば幸いである。

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  自己紹介を一回りした後、古田先生から話題提供して頂いた。そこで軽い模擬授業のようなものもやって下さり、著者古田尚行の背景の一端に迫れる非常に有意義な時間であった。

 まず、事前に参加者から頂いた意見・質問を基にお答えを頂いた。

「主に、このリスト作成にあたって意識されたことや、リストをどのように活用されることが望まれているのか、また読書会に参加される方が、文献リストに向かった時にどのような感想をお持ちになったのかなどを深めたいと思います。」(葛西先生)

→教師の手の内を明かすこと・共有されることが望ましいと考えている。大学生用に難しいところはカットしている。(古田先生は「手加減してます」とおっしゃった。)

 感想の記事で言及したバフチンフーコーアレントの思想がいわば古田先生の手の内であり、授業構想の柱なのだろう。

「先日のシンポジウムで、古田先生から生徒に教えたいことが先にあって、テキストを選ぶという趣旨の発言があったが、生徒に教えたいこととは、例えばどのようなことか。」(rofu先生)

→「生徒に教えたいこと」すなわち国語の力ではない。目の前の生徒あるいは我々が「何について考えなければならないのか」がこれに当たる。

 このことについては『国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル』19-20頁・319頁のキーワード索引(古田先生の関心領域について)及び以下の雑誌の特集記事でも言及されている。古田先生の場合は「自己」「他者」「対話」に関わる問題が「生徒に教えたいこと」なのである。

 

教育科学 国語教育 2019年 04月号

教育科学 国語教育 2019年 04月号

 

 

 また古田先生は「本の目的・目標」として「実際の授業で起きている言葉を言語化して、具体的なイメージを持ってもらう。→国語教育に対する批判はステレオタイプのものが多い(ように思う)」を挙げた。近頃国語への偏見の根強さは広く見られる(アンテナが立っているから?)ように思う。こうした部分での歩み寄りがない限り国語教育に忍び寄る外的な圧力に押しつぶされる可能性も否定できない。

 

言述論(discours) for 説話集論

言述論(discours) for 説話集論

 

 古田先生の指導教官である竹村先生のご著書の566-570頁「附論ー古典教室へ」を引用し、生徒に響く教材を!ということをお話があった後、軽い模擬授業をしてくださった。『徒然草』235段を読ませ、「ここからどのような現実・教訓を得るか」という発問を投げかける。その問いに対し、私は「心に自分の核を持て!ということでしょうか」と申し上げた。その答えに対し、こうした解釈コードはどのように作られているかというさらなる問いを与え「こういうことを授業で意識しています」と示してくださった。「心に主あらましかば、胸の内にそこばくのことは入来らざらまし。」の反実仮想に注目する、『徒然草』に表れる兼好法師の思想を探ることにも言及されていた。古典に教訓を求めてしまう思考はどのように形成されたか、「教科書」や教師というメディアが深く関係していそうだ。確かに探究したくなる問いである。また関連して古田先生は伊勢物語は男性の論理で女性に厳しいことを指摘し、(積極的に結びつけるのでなく)現代のジェンダー問題を示唆することについての話題もあった。23段を読ませ、「男性と女性どちらが書いた」という問いを投げかけることがこれらの問題を発見させることにつながるのではという話もあった。時間的な隔たりがある古典だからこそ、そこで扱われる問題を批評できるのだ。現代に通ずる問題を考えるために古典の言葉に触れるという方向は「言語文化」で懸念される安易な「つながり」重視にはならないだろう。

 

 以下全てではないが読書会で特に印象深かったトピックや参加者の言葉を挙げていく。

 

問いについて(270頁の「おわりに」の言葉から)

 「永続的に問うことのできる主体をどのように育成していけばよいか」という古田先生の課題・関心は、探究を探究し国語科に取り入れていきたいと考えている私にとっても切実なものである。古田先生の重視する授業で必然的に読み返すような「グサッといく問い」を用意することは非常に重要な要素であろう。

  ただ今読んでいる本では教師が用意したものだけでは生徒の力にならないということを指摘しており、考えざるを得ない問いを与えることと合わせて生徒から問いを引き出せるような授業はどのようなものか考えていきたいと思っている。

探求の共同体 ─考えるための教室─

探求の共同体 ─考えるための教室─

 

 

 

空間づくりについて(本書165頁から)

 165頁のような「空間」をいかにつくるか、定時制高校でで勤務されているはこせんせーだからこその着眼点だと思った。授業に書くことを取り入れ、喋らない子の言葉を拾うことが古田先生から提案された。rofu先生は「哲学対話」を取り入れていくことがこうした空間づくりに貢献するのではというお言葉があった。生徒同士での対話が難しい場合には教師が真ん中に立ち、生徒と生徒とをつなぐ役割を果たし、他の生徒の声を聴くということを目的とした「哲学対話」ならば実践できるかもしれないと後日お会いした際にはこせんせーは語っていた。生徒や学校を選ぼうとしている私は持っていない素敵な実践観だと思う。

 

評価について(横濱先生の実践を起点とした問い)

 自身のご実践から教師が評価した方がよい場合と生徒が評価した方がよい場合とがあるということを横濱先生は気付き、それをどのように使い分けているかについて古田先生に問われた。古田先生はその問いに対し(どのように受け止められたか忘れてしまったが)生徒が「誰を評価するのか」に着目することもよいのではという指摘をなさった。

 評価に関連して葛西先生は良いという評価はすべきだと思うが、評価のために頑張るというような状況はどうなのか、評価は見える方がよいのか見えない方がよいのかという問題を提起された。

 rofu先生の同僚の方による部分的評価がうまくいくという話は興味深かった。全人的な評価を胡散臭く感じるということはとてもよく分かり、私も抽象的な人柄よりも「ここが良い」と部分的に評価された方が刺さると思った。

 rofu先生が定期テストのあり方について問うた際、古田先生は覚えてできるものは30点まで別の文章を出すと予め告知するという言葉もあり、テストに意見できる立場になれば実践したいなと。

 

ポリフォニーについて(本書85頁から)

 本書では教室における多声についてだったが、読書会ではテキストを読む際にポリフォニーを意識するという話を聞くことが出来た。すなわち同頁1行目「テキストもそうですが、」をかなり丁寧に聞けたということである。

 「テキストを読む際にポリフォニーを意識する」とは強く言いたいところはあろうがテキストのメッセージが一つでは有り得ないということ、また踏まえていたであろう書き手の意識しない声も聴こうと努めるということであった。

 

「古田先生自身はこういう授業をやっていないのでは?」(rofu先生)

 

 

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 授業を三コマ見せて頂いた限りではあるが、なるほどこのように先生は授業するのだなと納得していたのでかなり衝撃的な指摘だった。古田先生の書きぶり・言葉から本を読んでいる最中もしくは読後にrofu先生がこのように思ったそう。その思いを著者の古田先生にぶつけてみるというrofu先生。実際に古田先生は「ここはおさえてほしい」「ここまでやってもよい」というところで事例編を書いたそう。

 「ここまでやってもよい」について古田先生は人文学の危機を和らげるためにもすごい!と思わせる研究成果を授業に活かそうという思いがあると語ってくださった。

 文学は「人が何をしてきたか」を探究するものだという話も興味深かった。歴史について社会科だけではなくて、国語科も積極的に与していく必要があるのではないかと考えている身としてかなり刺さる指摘だった。

 

 古田先生は最後に「授業者にとっても実りのある授業を見つけたい」という言葉で会を締めくくってくださった。

 京都でお会いする際はここを新たに書き加えたい、ここは書き替えたいというような話が古田先生から聞けるのではないかと期待している。また今年度は私も教壇に立つことになったので改めて読み返した際に本の叙述或いはその読みを通した私自身について新たな発見があるのではと思う。来る第二回読書会の日までには再読しておきたい。読書会のメンバーと京都の地で加わる新たな方と本を通して葛西先生が評して下さったような「ポリフォニックな場」を再び味わえればと思う次第。今年度中に実現できれば良いが果たして。

 

国語教育史学会第62回例会での学び

 第62回例会 2019.03.23に行ってきた。青春18きっぷでの関西周遊前に行けてよかったと思っている。以下、発表の概要と所感。

 旧制中学校における現代文教材の価値意識―夏目漱石草枕』を中心に―

 (配布資料より)「『草枕』の採録数の変遷を調査し、その変化がなぜ生じたのかを検証する。教育界や文壇の思潮を受けて構築された『草枕』の教材価値を問うことが本研究の目的である。」

中等国語教材史からみた夏目漱石(<特集>音声言語の教育をどうするか)によれば、「戦前期の国語教科書に最も多く採録された漱石作品は『草枕』」で、次点の『吾輩は猫である』の2倍以上だそうだ。また、主に低学年向けの教材として『草枕』第2章が「峠の茶屋」、高学年向けの教材として第1章が「山路」(その他複数の教材名)として採録されることが多かったという。

 「現代の思想が現れたものが現代文」であるという旨の『国語教育』の創刊者保科孝一の言葉を引用し「山路」がそれに合致したこと、自然主義の衰退と漱石の作風の変化によって「「深刻な思索」を描いた作家という評価軸が定まった」文壇における漱石像が採択を助けた、「教育界にとって望ましくない自然主義文学観」を転倒させる存在としての『草枕』など発表者による複数の視座から『草枕』の教材価値に迫る発表は無知な私に新鮮な驚きを与えるものであった。

 質疑において採録の増えた1937年は日中戦争へ向かう時期であり、戦争への危機感という要因もあったのではという指摘もあった。小森陽一先生の最終講義を思い出し、こうした隠れた意図も教科書に込められていたのかと思いを巡らせた。膨大な量の注からご苦労が伺え、研究の重みを痛感した。

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草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

 

 

 

「国語Ⅰ」設置時における「総合」概念―『中等教育資料』における大平浩哉の論に基づいて―

 「国語Ⅰ」が元々「総合国語(仮称)」とされていたことは初めて知った。今もその影響が根強く残る「現代国語」と古典系科目の分断を解消することが狙われたようだ。 発表者は「「国語Ⅰ」の「総合」概念は、具体的にどのように構想され」たか、「何をどのように「総合」することが」条件だったかについて当時の教科書調査官大平による論考を対象とした分析を行った。

 その結果「⑴表現と理解の二領域を含む科目であること。⑵理解の領域の中に現代文と古典を含んでいること。」、「混在とも混合とも異なるものであり、ある一つの立場や観点があって、その下に組織的・有機的に組み合わさっていくもの」が大平の構想した「国語Ⅰ」における「総合」概念であること、この概念は抽象度が高く、具体的観点が示されなかったことが幸田先生の言うところの「歪な「総合」国語」につながった可能性があると指摘した。

 

1960年代「現代国語」教科書カリキュラムの需要の実態に関する一考察―指導計画の模索と教科書カリキュラムの課題―(文部科学省 大滝一登先生)

 先の発表に触れ、『中等教育資料』を基にした研究に価値があることを補足された。政治的な面で非常に難しい立場にありながら、出版や研究会など発信していく立場に立つというのはなかなかできないことだろう。現場の教員からは風当たりが強いように感じられるが、その姿勢に関しては非難されるべきでない。

 当該発表は「現代国語」が実施された20年はどのような時代だったか、当時の教師たちによる指導観やカリキュラム観が色濃く表れている文献を調査し、適宜引用・考察する形式であった。現場の教師は何をもって「系統」と考えたか、これらをどのように受け止めたかかについて迫ろうという意図があったように思われる。石塚知二・栗林三千雄・隈部啓といった当時の高校教師の言葉に触れられたのは貴重な経験だった。記録は残しておくべきである。

 

会にまつわるツイート集。

 

 ということで読んだ。

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

 

  以下、関西周遊中に拝読した際の雑多な感想ツイート。

 

 おまけ

都立高校の先生もいいなと揺れる日々。

3月の生活行動目標の振り返りと4月の生活行動目標

 3月はいろんなところに出かけ、後半は論文に追われた1ヶ月であった。総じて生活行動目標は達成出来ていない感があるが、基本的には充実していたように思う。3月の生活行動目標は以下。

 

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結果

 今月最後の読了はこちら。

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

 

国語教育史関連でこの本の感想も記事をまとめたいなぁと。 

 

 今年度から院生兼非常勤講師生活が始まるため昨年度よりも自由さがやや損なわれるかも。

私も(非常勤講師ながら)その中の一人。

以下、令和関連ツイート

元号から始める授業、ありかも。

 三宅さんの読書案内本。

人生を狂わす名著50(ライツ社)

人生を狂わす名著50(ライツ社)

 

 母校図書館にあってパラパラとめくってみたが非常に良い。一目惚れ。

 

4月の生活行動目標

 慣れ親しんだ塾バイトを辞め、非常勤講師をするので一応新生活。それ故に目標は控えめ。控えめながら、インプット・アウトプット・運動とバランスよくこれらの目標を全て達成できる4月に出来たらと思う。

書くことの難しさと向き合って

 今書いている論文が自分にとっては自明のことを論理的な飛躍の少ないように丁寧に論じなければいけないのでとても辛い。そして読んでも確かになんのこっちゃわからん研究能力の低さ丸出しって感じだ。明日の研究会に持っていこうと思ったが未だに完成を見ないしお目汚しするだけなのでやめておこう…。

 書くことと探究との繋がりは大いにあると思っている。面白いテーマだとも思う。しかし悲しいかな、私はどちらも好きなのに、文章も探究も苦手だ。

 今まさに研究対象にしている書くことと探究に苦しめられているというシュールなギャグをやらかしているのが私である。国語総合における書くこと(捜索ではなく意見文・報告文の類い)の実態を把握し、そこから現在も探究につながる指導ができる萌芽と成り得るものがあるよ!的なことまで論じたいが実力不足に苦しむ。

 まあないだろうとハナから探していなかった先行論を検討していくうちに自分がぶち当たっている壁に果敢に挑戦していた方がいらっしゃったことを知る。

 

書くことの教育における理論知と実践知の統合

書くことの教育における理論知と実践知の統合

 

 CiNiiで二本の論文が引っ掛かり芋づる式にこの本の存在も知った。

 そしてあすこまさんがこの本について数年前に言及されていたことを知る。恐るべきアンテナの高さ。

 あすこま先生のツイートによれば、この本は過去20年間の小中高の国語科教科書における意見文作成について関する記述を分析された労作らしい。書くことの再帰的プロセスへの言及は今の国語総合教科用図書にも少ないといってよい。

 

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 この本は大学図書館には入っていなかったので来年度に購入希望を出したい。今から3月までの論文には間に合わないけど…。今のところ全くの私見であるが、先のツイートの通り書くことと探究とのつながりは強いと思っている。この本に学ぶところは多いと思う。

次年度の大学図書館への購入希望図書を考える

  次年度の購入希望したいかなぁという本を以下に示す。

デューイについての検討もしっかりとやらないとと思いつつやらずにここまで来てしまった。

クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育 (リアリティ・プラス)

クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育 (リアリティ・プラス)

 

 今井むつみさんが名を連ねているのが個人的にうれしい。

プラグマティズム入門講義

プラグマティズム入門講義

 

 

 この本はは持っているが、後輩のために入れておいてもよいかなと。後輩に頼むのもあり。

国語の授業の作り方: はじめての授業マニュアル

国語の授業の作り方: はじめての授業マニュアル

 

 

 

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大学のOPAC読書メーターの読みたい本とにらめっこしてなるべく高いのを買ってもらうと思う。

 今年度購入希望図書は以下。半分読んでいないという体たらく。

 

“新しい作品論”へ、“新しい教材論”へ―古典編〈1〉文学研究と国語教育研究の交差

“新しい作品論”へ、“新しい教材論”へ―古典編〈1〉文学研究と国語教育研究の交差

 

 

 

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

 

 

 

教室における読みのカリキュラム設計

教室における読みのカリキュラム設計

 

 

探求の共同体 ─考えるための教室─

探求の共同体 ─考えるための教室─

 

 

言語文化教育の道しるべ: 高校国語教育の理論と実践

言語文化教育の道しるべ: 高校国語教育の理論と実践

 

 

 

あたらしい国語科指導法-五訂版

あたらしい国語科指導法-五訂版

 

 

国語科教師の実践的知識へのライフヒストリー・アプローチ

国語科教師の実践的知識へのライフヒストリー・アプローチ

 

 

 

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

 

 

 

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 一番最近頼んだのが以下。新学習指導要領の教科構造に影響を与えているのか、先取りしているのかという記述もあり。

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

高等学校国語科の教科構造―戦後半世紀の展開

 

 

 これは読めという本をぜひご教示ください。

 

 

 

『国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル』読書会感想のまとめ

いわゆる「オフ会」のような雰囲気で読書会が出来たのは非常に良かった。著者を囲んで読者が集い本の言葉を頼りに語り合う。読み直したくなる発見もたくさんあった。

 緊張もありなかなか思うように進められなかったがこの形式にしてよかったと思っている。東京駅で待ち合わせをしたもののうまく落ち合えずヒヤヒヤする一幕もあったが…

何とか時間通りに始められ、話足りぬ素敵な会となりました。

 

私の雑感

  授業を見学する前に古田先生の院生時代の読書についてお話を伺った。今の古田先生の思想を形作っている本を読んだのが院生時代だそうだ。

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 今回の読書会で古田先生の思想の背景にはミハイル・バフチンミシェル・フーコー、ハンナ・アレントの著作があるというお話があった。

単純な私はその言葉を頼りに読書メーターから3冊を読みたい本に登録する。 (古田先生チョイスではない)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

小説の言葉 (平凡社ライブラリー)

小説の言葉 (平凡社ライブラリー)

 

 

 

フーコー入門 (ちくま新書)

フーコー入門 (ちくま新書)

 

 

 

たかきさんから有り難いご教示が…

 

言説の領界 (河出文庫)

言説の領界 (河出文庫)

 

 

 

フーコーの言説 (筑摩選書)

フーコーの言説 (筑摩選書)

 

「知の考古学の直後に、フーコー自身が何をしたいのかを語る講演と、訳者慎改康之先生の解説の本」と教えて頂いたのが以下の本。

次回は京都市開催ですって!

 

 

参加された先生方の感想

https://twitter.com/umbrellastomach/status/1107266756366589952

古田先生のプチ模擬授業を受けてのご感想であろう。「教訓的な読み」は分かった気になって読みの幅を狭めてしまい、古典を説教臭いものとみなす向きを助長する。解釈コードを問い直すための古典の可能性を感じた。(詳細は後日)

https://twitter.com/umbrellastomach/status/1107269157190397953

https://twitter.com/umbrellastomach/status/1107271335577681920

機会が合えばご一緒したい。

 

  rofu先生は様々な取り組みをする学校でその取り組みも授業に取り入れつつ、ワークショップなども柔軟に実践する方である。お二人の授業スタイルは異なるようだがrofu先生はその違いを面白がっていたようで、読書会でも多くの質問をなさっていた。

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小学校教員を志望しているterufoさんのご感想

 古田先生のお話で、本で読んだ内容深まり、非常に刺激的でした。特に、生徒が教材の背景にある構造を読み取り、自分の周りの物事にも同じ構造を発見することができるような授業を作るとおっしゃっていたことが印象的でした。そういった構造を見つけることを含め、読みの楽しみを感じ、生徒が自分で問い出すような授業をどう作るかを考えていられるということを知り、人文学の可能性を感じました。また、先生が人文学の可能性を信じ、現代思想を血肉化して国語の授業を考えていることを感じ、胸が熱くなりました。私も、小学校ではありますが、現実の社会に人文学が切実に関わるものであることを忘れずに授業を作って行こうと思います。

 

はこせんせーのご感想

・なによりも古田先生の仰った「古典を用いて自己を相対化する授業」の在り方について知ることが出来たのが収穫。実践を通じてブラッシュアップしていきたい。
言語学や文学理論を現場に生かす方法は現在の自分には皆目検討がついていない。その辺についてももっと皆さんのご意見やお考えを聞きたい。
他の方が古田先生の著書をどう読んだかということを知れたのは良かった。視点が増えた。また、古田先生だけでなく他の先生方の授業実践について学ぶことが出来たのも非常に大きな収穫。
・懇親会が最高でした。次は京都で。
 
 2番目は研究成果を生かすことが国語学や文学の研究の追い風となるはずだというお話を受けてのご感想だと思われる。

  今年刊行されたこの本も『日本語歴史コーパス』をもっと教育現場に生かして!という研究者の方々の思いが詰まっている。締め切り間近の論文の呪縛から解放されて早く読みたいところ。

新しい古典・言語文化の授業: コーパスを活用した実践と研究

新しい古典・言語文化の授業: コーパスを活用した実践と研究

 

 夜行バスに揺られて来てくださったという。読書会翌日も駿台セミナーだったそう。学びへの貪欲さを是非見習いたい。

 

 そんな筑波大学大学院修士2年横濱先生のご感想

 人生で初めての読書会でした。今回は、著者(古田先生)ご本人が参加してくださったことがもっとも印象的でした。
 古田先生は今回の著者の中で、一人の教員の「暗黙知」を明らかにすることが本書の目的だとおっしゃっています。私はいわゆる「国語授業の小ネタ集」をたくさん読んできましたし、その本たちに助けられてもきました。しかし一方で、その小ネタの数々が、どのような授業観をもつ先生の中から生まれてきたのか、つまり、先生自身のバックグラウンドについて書かれていないことが多く、残念に思ってもいました。先生自身のバックグラウンドがブラックボックスの中にあると、自分自身と比較できず、いいなと思うものを試してみてもなんだか上滑りになってしまうのでした。
 今回の古田先生の著書はその点がクリアされています。たとえば、授業づくりの根底に「自己と他者」の構図があることなどを明記されています。これによって、著書で展開される板書や授業案の授業者の土台や根拠がわかるので、読んでいて自分の考えと比較しやすく、内容を客観視することができました。
 今回の読書会では、古田先生ご本人の口から先生のライフヒストリー、バックグラウンドを聞き取ることができたことで、より古田先生という授業者の考えが、豊かに理解できました。自分と似ている思考、そうでない部分を、本の内容に即しながら直接ぶつけることができる。これは、読書会に著者ご本人が参加してくださることでしか成し得ないことだなと思い、幸せな時間を過ごすことができたなと感謝しています。

 

葛西先生のご感想

 
 まずは、とても有意義な会を設けて下さったことに感謝しております。改めて、本当に本当にありがとうございました。
 先日の読書会には、国語教育との様々な関わりをしている方が参加されていました。
・現役の教員
・学生で今後教員になる方
・予備校講師
・大学の教員
・出版社の方
だいたいこのような方々が参加されていたかと思います。
 古田先生から、ポリフォニーについてのお話がありましたが、まさにあの場がポリフォニックな場であったように思います。参加されたそれぞれの方が、みなさんなりの気づきを経て、また日々の自分の実践の場に持ちかえり、活かしているのではないかと思います。そして、またさまざまなことを考え、このような場で共有しあう、そんなサイクルといいましたか、そういうことがあれば素敵な場だなあと改めて思いました。
 私自身は、冒頭の、コードのお話が特に考えさせられました。日ごろ、教えるというより、自分が読むときにも意識していることでした。しかし、受験指導では、一つの正解を教えることが求められる傾向にあります。昔、学校で働いていた時から、自分がどう変わってきたか、改めて考える契機となり、今後の仕事について深く考えようと改めて思いました。
 以上簡単ではございますが、私の感想とさせていただきます。またの機会を楽しみにしております。

 

 皆さんのご感想を拝見するに、著者を招いての読書会の良さを十分に生かしてくださったようだ。自分だけでなく、参加した皆様の学びが深まったようで良かったと強く思う。次は京都で。日程は未定ながら広島で古田先生の口から京都開催についてお言葉を頂きました。是非ご参加を検討ください。